トイレにまつわるエトセトラ

 013657先日、朝のワイドショーを見ていたら、トイレが話題にあがっていた。小学校では耐震化工事を優先するなど予算の関係もあり、まだ昔ながらの和式便器が主流なのだそうだ。でも今や一般家庭では洋式が主流であり、使い方が分からなくて戸惑う子も少なくないらしい。トイレで“大”をするのを躊躇してしまう率が洋式に比べて高いらしく、子どもの便秘にも影響を及ぼしているのだそうだ。コメンテーターたちも、“今時、和式ですか!?”みたいな反応で、まるで和式便器が悪者みたいで不憫になった。

 私は公共のトイレは断然、和式派である。どこの誰がどれだけ座ったか分からない便座に座るのには抵抗があるので、便器と距離を保てる和式のほうがクリーンな気がする。昔、ダブリンに一年留学したことがあるのだが、海外の公共トイレの便器は便座の位置が日本のものよりも高い。しかも清潔感はあまりなかった。海外に住むとなると、この便器とずっと付き合わなければならないのかと考えると、ややブルーな心持ちになったのを覚えている。近頃は便座シートや除菌ジェルなどが備え付けられているところも増えてきてはいるけれど、外のトイレで和式と洋式の選択ができるなら、私は今でも迷わず和式を選ぶ。駅やデパートのトイレで並んでいると、和式と洋式の両方がある場合、「お先にどうぞ」と和式を譲られることもよくあって、ラッキーと思う。人気でいえば、洋式が和式を圧倒しているようだ。和式に肩入れしている私としては無念である。

 私は十八歳まで和式便器で育った。いや、別にその中で暮らしていたわけじゃないけど。そして、何の告白なんだよ。さらに言えば、何を隠そう我が家のトイレはいわゆる“ボットン便所”であった。タレントの有吉弘行が「家のトイレがボットンなのが恥ずかしくて学生時代に彼女を作らなかった」と告白していたのを何かの番組で見たことがあるが、その気持ちはよく分かる。当時もすでに一般家庭では水洗の洋式が主流だったと思うから、それはちょっと恥ずかしい事実であったりもした。そのうえボットン便所は、入るたびに幾ばくかの緊張感がまとわりつく。何度スリッパを落としてしまったことか。中学生の頃にはお年玉でもらった一万円を入れたお気に入りの財布をうっかり落としてしまったことがある。結構な深さがあるので、財布は見えるが手を伸ばして届くような距離ではない。どうする、あきらめるしかないのか……。ショックで落ち込む私を救ったのは、私よりもボットン便所歴が長い兄であった。趣味の釣り道具を持ち出して、私の財布をつり上げてくれたのだった。トイレに集合して様子を見守っていた家族から「おおっ!」と歓声があがり、その正月一番の盛り上がりを見せた。お気に入りの財布はおじゃんになったが、一万円は無事に戻ってきた。 

 引っ越しをして、ボットン便所からいきなり洋式の水洗トイレになった。あのスリル感は失われ、トイレタイムはまったりと心地よいものになった。劣勢の和式に加勢したい気持ちはやまやまだが、私だって完全プライベート空間である家のトイレにおいては洋式がいい。ロダンの「考える人」みたいなポーズもできちゃうし。物心ついたときから洋式だったという人より、和式のボットン便所から洋式トイレへの移行を経験している人のほうが洋式の恩恵を享受しているに違いないと思う。

 我が家に私が“ブルーレット事件”と呼ぶ出来事が起こったのもその頃である。
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大学生のとき、帰省したら家のトイレの水が青くなっていた。おお、あれを使っているのか、と思った。母によれば、それには理由があった。

 ある日、母がトイレに入ると床に色の着いた粉が散らばっていた。よく見ると、それはバスクリンであった。なぜ、トイレにバスクリンが……? いぶかしがる母は、その日知人の家を訪れてトイレを借りた父が、トイレの水が青いことに衝撃を受けたことを知った。バスクリンは父の仕業であった。単純思考で、色のついた水といえばバスクリンしか思い浮かばなかったようだ。試しにトイレのタンクにバスクリンを入れてみたらしかった。結果は言わずもがなである。

 色のついた水がフラッシュとともに透明に戻ったときにショックを受けただろう父の様子を想像したら笑えた。
「バスクリンて緑色じゃん、そもそも青くないっつうの。信号じゃないんだから」と言いながら、腹を抱えて大爆笑した。
「だからお母さん、ブルーレットを買って来て、そっと入れておいてあげたのよ」と、笑いながら母は言った。笑い転げながらその言葉を聞いて、我が母ながらその懐の深さに感服した。笑いが収まって冷静になり、父のDNAを色濃く受け継いでいることを思い出した私には、自分の将来に対する一抹の不安だけが残った。兄弟の中で誰よりも私が父親に似ているのである……。だから、父の行動パターンはよく分かる。手塚治虫の「ブラック・ジャック」の文庫版を書店で見つけて第1巻を置いておいたら、私のもくろみどおり、次の帰省時にはトイレに全巻揃っていた。その正月、私を含め兄弟たちのトイレ滞在時間は長くなった。

 トイレについて考え、トイレにまつわる出来事を思い出した朝であった。確かに、和式トイレがなくなったとしても特に問題はなさそうな気もする。でも、でもだよ、和式と洋式、どっちが良いとか悪いとかじゃない、いろんなトイレがあっていいじゃないか。スリル感あるトイレ修行をして育ち、和式トイレを難なくこなせる私としては、公共のトイレでくらい和式を残してほしいなあと思う。あれがなくなっちゃうとさびしいというちょっとしたノスタルジーもあるのかもしれない。ひょっとして和式がなくなったら、ちょっと尖ってみたいうんこ座りするヤンキーも消滅して、地べたに座るゆる〜い系若者だけになってしまうのかもしれないというビミョーな危惧もある。

 「初めてのときは使い方が分からない子どもたちも、絵のついた説明書きや足跡シールをつけたりすることで、和式便器をこなせるようになっているそうです」とアナウンサーが言うのを聞いて、私は心の中で「がんばれ、ちびっこ!」とエールを送った。

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