王子さまのバラと砂漠に咲く花

 うわばみ-300x194仕事で子どもの相手をすることが多いのだけれど、ある日、小学2年生の女の子がノートにゾウをこなしているうわばみの絵を描いていた。我慢できず「それが帽子じゃないってこと知ってるよ」といたずらっぽく言うと、その子は私を見上げて、ちぇっという顔をした。おとなげなかったかしら、と思いつつも、あれを帽子の絵だと思い込まない大人になったことに鼻が高かった。それはひとえに、サンテグジュペリと星の王子さまのおかげである。

 ちょうどそのとき読んでいた本のなかに、こんなセリフが出てきた。

「ひとが何かを憎むのは、実はそれを恐れているから」

 それで王子さまのバラを思い出した。

 lp_4私が『星の王子さま』に触れたのはアニメが最初だった。♪プチプランス プチプランス ルルルルルルル〜と、主題歌を今でも頭から歌える。自尊心が強くて、傲慢でわがままで王子さまを振り回すバラは、私に強烈な印象を残した。彼女の言葉に戸惑い、つらくなった王子さまは自分の星を去ってしまう。すでにおとぎ話の刷り込みで“王子さま”という存在そのものが圧倒的な正当性を持っていたから、私はバラに腹を立てた。高慢ちきで憎たらしいと思った。たぶん、生まれて初めて何かを憎いと思ったような気がする。私はバラを恐れていたんだろうか? 

 それから少し大きくなって原作を読んだときも、やっぱりバラはいけすかないと思った。でも、大人になって読み返してみたら、バラの弱さや脆さが垣間見えた。肯定的に見えた王子さまの優しさって、実は相手を傷つけるパターンのやつじゃんと、ちょっぴりバラに同情した。なにせ王子さまは彼女のもとから逃げたのだ。それは傷つくよなあと思う。でももちろん、そうしむけてしまったのはバラなわけで。瀬戸内寂聴が「男と女はフィフティフィフティ」と言い切っていたのを思い出して、妙に納得した。

 バラは美しさと、守ってあげなきゃと思わせる術をもって、遠く離れても王子さまをとりこにする。なんていったって王子さまに、「もしも誰かが、何百万もの星の中のたった1つの星に咲く花を愛していたら、その人は星空を見るだけで幸せになれる」と言わせちゃうんだから。幼いながらも、私は自分がバラのような性質を持ち合わせていないことを直感して、ジェラシーを感じたのだろう。自分にない何かを持っている相手というのは、確かにこわいものだ。

 331464B0-3E69-11E1-88F3-CE01CD288735_lとはいえ、バラはこの世に1本しかないと思っていた王子さまの思いは、庭園に咲き乱れるたくさんのバラを見たときに揺らぐ。あのバラは普通の花で、そんな花しか持たない自分をちっぽけだと悲しむ。でも結局は、誰かとの間に絆ができれば、その相手も自分も世界でたったひとりの特別な存在になるのだということ、その相手に対する責任が伴うのだということをキツネから教わり、バラへの思いを強固にする。そうして、「大切なものは目に見えない」ということを学ぶのだ。

 ただ、自分にとって大切なものに気づくのはステキなことだけれど、王子さまが庭園のバラたちに言葉を投げつける場面はいただけない。自分のバラが特別だという思いから、「きみたちはぼくのバラとぜんぜん似てないよ」と庭園のバラたちを当惑させ、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」なんて言い放っちゃうんだから。時に恋する者はやっかいだ。コラコラ、それは浅はかってもんだよ、と王子さまをしかってやりたい。王子さまにとって特別でないからといって、責任がないからといって、庭園のバラたちに価値がないなんてことはないのだ、絶対に。

 それは砂漠に咲く一輪の花にだって、同じことが言える。

 D7912EF2-3E68-11E1-8C44-C701CD288735_l砂漠を縦断していくうちに、王子さまが出会ったのは一輪の花だけだった。花びらが3枚しかない、ごく地味な花。
「こんにちは」と王子さまは言った。
「こんにちは」と花も言った。
「人間はどこにいますか?」と王子さまは丁寧に尋ねた。
 花はいつか、キャラバンが通るのを見たことがあった。
「人間? 6人か7人はいるはずよ。何年か前に見たことがあるわ。だけど、どこにいるかは誰も知らないの。あれは風に飛ばされるでしょ。根がなくて生きるのって大変よね」
「さようなら」と王子さまは言った。
「さようなら」と花も言った。(『星の王子さま』池澤夏樹・新訳 集英社)

 バラのような美しさを持ちあわせておらず、王子さまの興味をひくこともない地味な花。でも私は、砂漠に根を張って孤独に生きるその花に魅力を感じてしまう。そこにはどんな世界があるのだろうと興味をかきたてられる。私とその花の間にはなんの絆もないし、私はその花になんの責任も持たない。その花は私の気持ちをつゆとも知らない。それでも、やっぱりその花には尊厳があり、価値がある、と思う。

 幼い私がバラを憎らしく思ったのは、どこまでもわがままなのに王子さまにとって特別な存在だったからだ。a roseではなくthe roseであるバラ。ただキレイってだけでずるい、と思った。私だって特別な何かになりたいけれど、バラのように振る舞ったら嫌われてしまう。いつの間にやらそんな思い込みとともに、何者でもない自分の存在の軽さに苦しんだ。それはたぶん、誰かにとって特別な存在であることと、そのものの尊厳や価値を混同してしまったからだ。

 あの庭園に咲き乱れるone of themであるその他大勢のバラにだって、砂漠に咲く一輪の花にだって、王子さまのバラと同じだけの尊厳がある。それは別の誰かによって左右されるものではない。そう思ってはいても、傷つくたびに王子さまのように泣いたり揺らいだりしてしまうけれど。いわゆる大人になった今、もはやバラを憎いとは思わない。王子さまが星に戻ってきたら、素直になれるといいね、と思う。

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