ローマ見物記 2

和辻哲郎の『イタリア古寺巡礼』に誘われて

まずこの日は『イタリア古寺巡礼』をバッグに忍ばせてテルミニ駅近くのローマ国立博物館、マッシモ宮へ向かう。各博物館でも拝観券が無料になったり割引が効いたりするうえに、地下鉄やバスが乗り放題になる2日間のローマパスを買えるとガイドブックに書いてあったのだが、窓口で「売り切れだからテルミニで買え」と軽くあしらわれる。テルミニ駅は巨大で、24番フォームにあるインフォメーションセンターを見つけるのに手間取ってしまった。いまいち方向指示が分かりにくいし、駅の職員らしき人にたずねてあっちと指差されても、どっちだよって感じでよく分からないのだ。そんなこんなで時間をだいぶ無駄にしたあげく、やっとローマパスを入手し、マッシモ宮へと戻ったのだった。

こうまでして見たかったのは「裸体彫刻を見てこれほど美しいと思ったことは一度もない」と和辻哲郎に言わしめたニオベの娘像である。

ニオベの娘

いちばん見たかったニオベの娘は入館してすぐの部屋に置かれていた。想像していたよりも大きい。ニオベが自分の多産を自慢したことで女神レトの怒りをかい、レトの2人の子アポロンとアルテミスの放った矢によってニオベの子どもたちは命絶える、というギリシャ話に基づいて作られている。

ニオベの娘

このニオベの娘は、アポロンの矢を背に浮け、ひざまずこうとしながら、同時に背中の矢を抜こうとしている。そういう瞬間をとらえているゆえに、この作品は動的である。矢で射られた彼女の衝撃と焦りが伝わってくる。写真で見ていたときは彼女の目が無機質に思われたけど、至近距離から見つめていてふと気づいた。少女漫画でショックを表現するときってこういう目だった!『ガラスの仮面』でよく見かけたような…。この時代は瞳を表現しなかったのかもしれないけれど、そんな風に見たら、ニオベの娘から伝わるショックの度合いが増したような気がした。

また、緊急事態におかれて、彼女は衣が脱げて体が露出することにかまってなどいられない。そうして露出した胸から腹にかけての線、そして太ももの線は絶妙で、ほれぼれするほどの美しさだった。

和辻哲郎は、裸体があまり作られていなかった当時においては大胆な作品だったろうとしたうえで、この像を以下のように賞賛している。

この像の右手は解剖学的に言って無理があるといわれている。なるほどうしろへ回ってみると、腕のつけねのところなど、少し不自然のように見える。しかしそういう欠点があるにかかわらず、この像は、そういう欠点を持たない像よりも美しいのである。

欠点があるのにそれをものともせず、欠点を持たない像よりも美しいなんて、なんて素晴らしいんだろう。完ぺきだけがすべてではないのだ。

旅の間、圧倒的な数の裸体彫刻を目にしたが、今思い返してみても、このニオベの娘像は私の中でナンバーワンだ。そんな感動を得られたのは、もちろん和辻哲郎の解説のおかげであるが。

ところで、イタリアへ発つ前に友人が「イタリア人とのロマンスを期待してるよ」とメールを送ってきたので「片乳を出すくらいの勢いで弾けてくるわ」と返しておいたのだが、なんともタイムリーにこの博物館で片乳を出している女を見つけた。あ、出ちゃってますよ?というレベルではなく、「出している」んである。

片乳をだす女

これはもう見事な出しっぷりだ。しかも大胆に片乳を出しながら、隣の老人の凝視をものともしない落ち着きぶり。これには到底かなわない。いやはや、先人は偉大である。

円盤投げ

有名な円盤投げの像もあったりして、なかなか楽しいマッシモ宮なのであった。

ヴィーナスの誕生

この日のニオベの娘像に続くお目当ては、ナヴォーナ広場近くのアルテンプス宮にあるルドヴィージの玉座〈ヴィーナスの誕生〉だ。紀元前5世紀のギリシャ彫刻である。この彫刻を和辻哲郎はローマ第一等と賞賛している。

工事中のためプラスチック製のチェーンで立ち入りを制限された部屋のなかに、それは惜しげもなくどんとおかれていた。ここも人が少ないので独り占めして見放題である。ひひひとほくそ笑み、バッグから『イタリア古寺巡礼』を取り出してガイド代わりに該当箇所をふむふむと読みながらこのヴィーナスを眺める。
ヴィーナス

ニオベの娘像がギリシャ彫刻の絶頂期の作品だとすると、これはそれより少し前の「前夜」の作だと和辻哲郎は書いている。その絶頂より一歩手前というところがお気に入りだということだ。大きな違いはヴィーナスが裸ではなく、濡れて体に張り付いているが衣を身に着けているところにある。裸のようで裸ではなく、脱いでいないというところがこのヴィーナスの上品さと艶やかさを生んでいるのだろうと思う。

何よりこの作品は構図がスバラシイ。シンメトリーで構成されていながら、すべてが微妙に異なっているのだ。ヴィーナスを引き上げるニンフの手の位置は微妙に左右で高さが違う。足にも違いが見られ、左のニンフの膝は腕より上に出ている。ニンフの衣も、線の違いから同じものではないことが分かる。線の使い方によって、ニンフの脚の形が浮き出ているのもきれいだった。

つまりあの厳密なシンメトリーは、それぞれに異なった、個性を持った部分によって構成されているのである。ギリシア人の作る統一は決して一様化ではない。あくまでも多様の統一である。

多様の統一というのは、何においても理想的な状態じゃあないかと思う。なるほどそういうことをさらりとやってのけてしまう点がギリシア人のすごいところだったのかもしれない。

ヴィーナスの左右の脇の下からニンフの3本の指先がのぞいていることに気づかされたときは鳥肌が立った。和辻哲郎のガイドなくこの作品をみていたら、あ、シンメトリーだ、と思うぐらいで素通りしてしまっていただろうと思う。そしてシンメトリーでありながら、実は全て異なるもので構成されているんだと分かってこの作品を眺めたとき、その絶妙さに驚嘆して感動を覚えた。

だいたい、見るのは好きだけれど知識がない私が美術鑑賞をすると、ただのインパクト勝負になってしまう。
「うっわあ、このパンてば悪い顔してんなあ」


パン

とか、

ニンフニンフ2

男の表情から、「や〜めろ〜よ〜」と心の中でアテレコし、ひとりでウヒヒとウケて、ニンフが足をからめている様子に、「やるなあ、さすが男を惑わすニンフ…」とその女子力の高さに舌を巻く、というのがせいぜいのところである。

そんなわけで、ニオベの娘とヴィーナスの誕生を見たあと、なんというか、まっとうに芸術を鑑賞したという満足感を得て、和辻の哲ちゃん、ありがとう!と心の中で礼を言ったのだった。

国立博物館は人が少なく、数々の名作をのんびりじっくり鑑賞できるのがとてもよかった。ローマの喧騒に少し疲れたなと思ったら、こういうところを訪れてみるのもすてきな過ごし方だと思う。オススメ!

次回は、この日、合間に訪れた骸骨寺について書こうと思う。

つづく。

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