ローマ見物記 1

オベリスクローマ観光ツアー

ローマを手軽に見て回るならツアーがいいというアドバイスを受けて、勝手が分からないローマ観光初日は、主だった名所を駆け足で巡るツアーに参加した。集合場所はその名が古代ローマの公衆浴場テルマエに由来するテルミニ駅近く。宿から歩いて向かうが、方向音痴な自覚は多分にあるので、15分くらいの道のりの間で5〜6人に道を訊ねたと思う。それにしても、ローマは交通量がとても多いし、運転も荒い。信号がないのにどうやって道を渡ったらいいのかと戸惑っていると、地元の人たちはためらいもなくどんどん渡っていく。ひかれなきゃオーケーということらしい。

ツアーは私を含めて5人の日本人に日本人のガイドさんがつく、という形だった。他の参加者に「ひとり旅だなんて偉いわねえ」と言われたが、偉くなんかない。偉いのは古代ローマ人である。

 トレビの泉噂で聞いていたとおり、ローマの街は遺跡だらけだった。紀元前に建てられていた巨大な建物がそこここにあって、知識は雀の涙ほどしかないが古代ローマ恐るべし、と思う。古代エジプトのオベリスクがローマには13本も建っている。あんな巨大なものを運んでくる技術をローマ帝国が持っていたことに驚かされる。中にはレプリカとされているオベリスクもあるが、古代ローマ人が作ったものなので2000年の歴史がある。もはやそれってレプリカの域を超えていないか?

ローマの有名な場所はどこも観光バスが頻繁に出入りし、観光客でひしめいている。まさに、ザ・観光地という感じ。なかでも大人気のトレヴィの泉は残念ながら有名ブランドFENDIの出資で修復中だった。再訪を願ってのコイン投げはできなかったが、通常ここに投げ込まれるコインの総額は半年間で日本円でおよそ7,500万にのぼるというからスゴい。

パンテオン

オベリスクパンテオンは最初に紀元前27年に建設されて、のちに火事で焼失したのをハドリアヌス帝が再建したという石造りの神殿である。ドーム天井の中央が採光のため開いている。床にはちゃんと雨水を排水する穴もある。真ん中に柱を作らずに支えるため、外壁は上部に向かうにつれて素材に軽石をまぜたりして厚みを薄くし、計量化をはかっているんだそうだ。今はキリスト教の聖堂となっているこの建物は、直径43メートルの球体がすっぽりと入る巨大空間。それならウルトラマンも入っちゃうなあと思う。セブンやエースもいける。ゾフィーとかタロウだとはみだしちゃうけど。

和辻哲郎はパンテオンを見て「ローマ建築というものは形の持っている質によって人を動かすよりも、むしろその大きさ、量によって人を圧倒するものなのであろう。」と『イタリア古寺巡礼』のなかで書いているが、まったく同感である。

カンピドリオ広場にて

古代ローマの中心部だったフォロ・ロマーノをカピトリーノの丘から眺めたあと、カンピドリオ広場に出る。残念ながら今回は内部を見学する余裕がなかったが、広場を取り囲むように建てられているカピトリーニ美術館は一般に公開された最古の美術館である。屋上に白い裸像が立ち並んでいて、こちらを見下ろしていた。

カンピドリオ同じ全裸でも、熱海の旅館の屋上に仁王立ちしていたおじさんとは全然違う。なんでだろうと思いながら見上げていると、ガイドさんの説明が耳に入ってきた。裸像というのは欲望を脱ぎ捨てた人間の理想的な姿を現しているのだそうだ。なるほど、それが違いか。熱海の屋上のおじさんは欲望に満ちていたもんなあ。そして何より美しくなかった。全裸にもいろいろあるものだ。

このカンピドリオ広場を設計したのはミケランジェロだ。建物が平行ではなく階段側から見ると逆ハの字型に建っており、広場に至る階段を上って行くと突然目の前に大きな空間が広がるように見える作りになっている。やることがイチイチすごいので、ミケランジェロに嫉妬のようなイラだちを覚えた瞬間である。


ミケランジェロのモーゼ

モーゼ次に訪れたサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会はミケランジェロのモーゼ像で知られている。和辻哲郎が『イタリア古寺巡礼』のなかで触れていたので、ぜひ見たいと思っていた。

和辻哲郎は、ミケランジェロが「中から盛り出るもの」を刻みだそうとし、それをギリシャ彫刻とはまるで違ったやり方でやろうとしていると言う。全体の輪郭を無視するようにむくむくもりあがっているひげも、着物のひだも、腕や肩の肉にしても、ギリシャ人の重んじた簡素さや、輪郭の鮮明さを犠牲にしてまでも「内なるもの」、あるいは精神を外に押し出すこと、それが彼のねらいなのではないかと言うのだ。しかし、ミケランジェロの技術を賞賛しながらも、ギリシャ人が調和の中で朗らかに彫刻を表現しているのに対して、少し偏っている点でミケランジェロの負けだと書いている。

ただそうだとしても、私はそういう意図を持って不自然なまでに大胆な表現をいとわないミケランジェロの勇胆さに脱帽する。私は芸術には疎いし、背景にも知識は持たないのだけれども、ミケランジェロってイヤな奴だったに違いない、と勝手に思う。モーゼをみているうちに、少し前に流行した『嫌われる勇気』という本を思い出した。あなた、絶対読んだほうがいいよと先輩が薦めてくれた本。帰ったらもう一回読んでみようかな。なぜだかそんな気になったのだった。

ちなみに、このモーゼには角が生えている。ヘブライ語の「光輝く」という語がラテン語で「角」と誤訳されたからと言われているが、もともと角であったという説もあるらしい。いずれにせよ、角が生えてるなんて、なんかかっこいい。

なんといってもコロッセオ

コロッセオなぜローマ滞在を決めたかといえば、古代ローマの象徴とも言うべきコロッセオが見たかったからだ。言わずもがな、グラディエーターたちが命をかけて人間や獣と闘った円形闘技場である。巨大なネロの像(コロッスス)が傍らに建っていたことから、コロッセオと呼ばれるようになったと言われている。半分倒壊しているのは地震によるものだそうだ。イタリアも地震が多い国なのだ。元々の建材はだいぶ流用され、ここから運び出された大理石はサン・ピエトロ大聖堂なんかにも使われているらしい。

Goodを意味する親指を立てたジェスチャー、サムズアップ。Facebookのいいねボタンでもおなじみだ。これは親指を下に向けると逆の意味になるわけだけれど、これも古代ローマを起源とする説がある。決闘の末、敗者は命乞いをすることが許されており、その決定権はローマ皇帝をはじめとして、その場にいる最も位の高い者に委ねられた。その者が親指を上げれば敗者は許され、親指を下げれば敗者は殺されたと言う。コロッセオは民衆の目を政治からそらすための娯楽を目的として作られたと言われているが、当時の民衆が食べたり飲んだりしながら、ここで繰り広げられる死闘や処刑に熱狂したというのは、今の私たちからしてみればなんとも想像を絶する。

コロッセオ内部収容人数は5万とも、それ以上とも言われている。日よけの布を張る設備なんかもあって直射日光を受けずに観戦できるようになっていたそうだ。その技術には驚かされるばかりだが、印象的だったのは、各ゲートにちゃんと番号が振ってあることだ。勝者の門、敗者の門、そして神の入り口、皇帝の入り口4ゲートをのぞき、80のうち残り76ゲートに番号が振ってある。当時は板やガラスなどにゲート番号を書いたものをチケット代わりに使っていたというので、その段取りのよさというか、オーガナイズ力には感心した。 

日本史を選択していたため世界史に疎い私にとって、驚きの連続だったローマの市内見物。ローマ帝国が栄えていた時代、日本は弥生時代にあたる。圧倒的な技術と規模の違いに劣等感のようなものすらおぼえ、出土品の展示物のなかに質素な土器を見ると、「こういうのなら私たちも作ってたよ!」と、少しほっとするのであった。

ツアー解散のとき、他の参加者の方に「がんばってね!」とエールを送られた。のん気なひとり旅なんだけど、私の人生か何か大変そうに見えるのだろうか。いちおう「がんばりますっ!」とガッツポーズを返しておいた。

ひとりごはん in ローマ

PicCollageツアー解散のあと、滞在B&B近くのトラッテリアで夕食をすませることにした。ローマでの初ひとりごはんである。ローマ名物のトンナレッリというパスタを注文。でも食べてみて、その味の濃さにびっくり。こんなのうちのお父さん食べたら血圧上がっちゃうよというくらい塩辛いのだ。私は味が濃いめでも平気なほうだと思ってたが、これはキビシイ。かなり賑わっている店内を思わず見回してみるが、みんな普通に食事している。こ、この味の濃さが普通なのかっ? とても食べきれず、ローマでのひとりご飯デビューはしょっぱい思い出となったのだった。

でも、ビールとワインはおいしかった。

つづく。

あ、私もこのアイコン使っていたんでした。今気づきました。恐るべし、古代ローマ(笑)
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