再会と後悔

数年ぶりで、彼に会いに出かけた。

初めて彼と会った時、私はまだ20代だった。

 私はあの頃とは随分違う。当然か。だってもう四十路を超えたのだもの。体力だってずいぶん衰えた。疲れやすくなった。

 けれども、彼は少しも変わっていなかった。1ミリほども。その端整な顔立ちを惚れ惚れと眺めながら、私はため息をついた。

 彼は涼しげな切れ長の目でじっと一点を見据えたままだった。その額には第三の目とやらがしっかり見開かれている。その目には何が映っているのだろう。高々と髷を結い、甲冑に身を包み、彼は今日もまた象に乗っていた。象は機嫌がよさそうに笑っている。

 どんなに祈っても、彼は私だけを見てはくれない。結局、私が彼を見つめるばかりだ。切ないといえば切ないが、癒されるといえば癒される。

 さよなら、また会えるといいけど、と心でつぶやき、私は名残惜しく振り返りつつ彼のもとを去った。

 男前の仏像は数あれど、ハンサムで美男子の仏像といえば、やはり東寺の帝釈天である。2月の初旬、身を切るような寒さに身をすくめながら、私は昔好きだった男に会いにいくような心持ちで京都の東寺を訪れた。

 ほの暗い講堂に足を踏み入れると、そこには弘法大師空海が手がけた21軀の巨大な仏像群で形成される立体曼荼羅がある。感嘆のため息をもらさずにはいられないほどの圧倒的で荘厳な空間である。五智如来、五大菩薩、五大明王、四天王、梵天と帝釈天が威容を誇るが、なかでも左端に陣取る帝釈天には、ひと目見たその日から乙女心を奪われた。あまりの色気とオーラに胸がドキドキしたほどである。うぉーと叫びたいほど感動する仏像は少なくないが、ときめくような胸の高鳴りを体験したのは初めてだったのでびっくりした。まるで恋したみたいだった。hotoke_taisyakuten

 マイナー志向の強い私からすれば、仏像界のアイドルのような帝釈天を好きだなんて、まるで戦隊ものでいったらレッドを好きというような、アイドルグループで一番人気のメンバーのファンを自称するような、学年で一番モテる男子に恋をするようなものだ。まったくもって邪道である。

 例えば、講堂に入るとすぐに目につく梵天は立体曼荼羅の右端に位置し、帝釈天と対をなす。顔が4つに腕が4本もあって、神の使いとされるガチョウの姿をした4羽の鳥の上に座っている。仏像としては派手さもあって、これまた凄くかっこよい。東寺のパンフレットの表紙を飾るほどフォトジェニックである。でもやっぱり、それでもなお、帝釈天を贔屓目に見てしまう。

 やっぱり帝釈天が好きだ。悔しいけれど。

 売店には帝釈天のクリアフォルダが販売されていて(相方なので梵天が写っているのもあった)、やはりその人気が高いことをうかがわせた。店内を2周したものの、その辺のミーハーな仏像ガールと一緒にされたくないという尖った気持ちもあり、まるで多感な中学生みたいに何に対してか分からない抵抗をして、結局買わずに出て来た。で、今そのことをちょっぴり後悔している。素直に買っておけばよかった・・・。

ある朝、ダブリンバスに人生をみる


ダブリンバス今回、アイルランドではキラーニーへ行こうと決めていた。国立公園があるキラーニーは人気のスポットで、ダブリンからは列車で3時間ほどの距離だ。

ナンバー175のバスに乗れば終点のヒューストン駅まで1時間くらいだと滞在先のファミリーから教えられて、出発当日、余裕を持って朝の7時過ぎに家を出た。9時の列車に乗ることができれば昼頃にはキラーニーに着く。

バスの停留所に着くと同時に、向かってくる175バスが見えた。なんというベストタイミング。これも日頃の行いがいいからだなとニンマリしながら待つ。そんな私をバスは素通りして行った。

なんで!?

一瞬あっけにとられたあと、苛立ちが込みあげてきた。気持ちのやりどころがないので、そばにいた若者にその思いをぶつける
「175バス、止まらないで行っちゃったんだけど」
「満員だったんじゃないかな」
肩をすくめて、若者は軽い感じで言った。まるで他人事である。まあ、他人事なんだけど。
「満員じゃなかった。見たもの」
やるせなくて私は独り言のようにつぶやく。そうして、自分がいかにダブリンバスが嫌いだったかを思い出した。

ダブリンバス。ダブリナーズ風に発音するところのドブリンブスである。今は電光掲示板があってバスの到着時間が分かるようになっているが、昔はバスがいつやってくるのか皆目見当がつかなかった。というのも、バス停に張られている時刻表は、そこに到着する時刻ではなくて、最寄りの大きな停留所を出発する時間しか書いていなかったからだ。地元の人と違って、よそ者にはメインの停留所からどれくらいかかるかなんて分かるわけがない。そんなわけで、停留所に人がいたらそろそろ来るのかもなんていう具合に勘を頼りにバスに乗っていた。しかも運転も荒いし、親切とは言い難い運転手に当たることも多かった。あるときなど、私用のケータイが鳴った運転手が路肩にバスを停めて電話に出たから驚いた。まあ、あれから20年近く経っているから、さすがにそんなことはないと思いたいけど。 

若者が他のバスに乗って去ると、停留所には私ひとりになった。気を取り直して次の175バスを待つことにする。電光掲示板によれば次の到着は20分後だ。余裕を持って家を出てよかった。

バスがもう少しで到着という頃になると、あちらこちらから人が姿を現してきた。他のナンバーのバスと連なってやってきた今度の175バスは素通りすることなく停車し、乗車口がプシューッと音をたてて開いた。そこへ駆け足でやってきた学生らしき男子とスーツ姿の男性が飛び乗った。次に続こうとしたそのとき、サングラスをかけた白髪の運転手が手のひらを見せて私を制止した。制限人数を超えた、と言って。

え、だって最初に待っていたのは私なのに。そんなことあっていいわけ? その理不尽さに、まるでいわれのないイエローカードをもらったサッカー選手のごとくジェスチャーで抗議したが、レフェリーばりに運転手は同じセリフを繰り返した。こんなこと彼にとっては日常なのであろう。非情にもドアはプシューッと音をたてて私の目の前で閉じた。あうっ。さっきとは比べものにならないくらい腹立たしい。くっそー、だから嫌いなんだよ、このドブリンブスがっ!

まぶたに残った運転手のサングラスが気取った感じで余計に私を苛立たせた。例えが古くて申し訳ないが、彼のサングラスは『西部警察』の渡哲也演じる大門を彷彿とさせた。そんなわけで、私はあの運転手をダイモンと命名した。

さらに待つこと20分。バスの到着が近づくと姿を現す人々が敵のように思えてきて、こいつらを蹴散らしてでも今度こそ乗り込まねばという心理状況に陥りながら、3度目の正直で私はようやく175バスに乗り込むことができた。さほど混んでもおらず、私の闘志は空回りである。この時点で、すでに8時になっていた。

アラフィフぐらいであろうショートカットの美形の女性の隣の席に座る。知っているけれども、念のため尋ねてみる。
「ヒューストン駅に行きたいんですけど、どのぐらいかかりますか?」
「早ければ50分くらいだけど、道が混んでいればもっとかかるかもしれないわね」
やっぱりそうだよね。時計を見てため息をつく。
「列車に乗るのね。何時発?」
「9時です」
女性は時計を見ると、ふうっと息を吐いた。
「間に合わないかもしれないわね。次の列車の時刻は?」
「9時のを逃したら次は11時です」

やっぱり間に合わないよなあ。ダイモンの顔がよぎり、またイライラが再燃した私は、こういうのってウザいかもと思いつつも、憂さ晴らしに女性にことの顛末を話した。彼女は気の毒そうな顔をし、2時間は長いわね、と言った。

気が短い私は、何が嫌いと言って待つのが嫌いだ。しかも待たされてイラつく自分の小ささに後で自己嫌悪におちいる、というのがお決まりのパターンである。でもそれは避けたい。落ちそうになる気持ちをなんとか奮い立たせようと深呼吸をする。

どれくらい経っただろうか。ふと前方に目をやると、停車しているダブリンバスが見えた。そのナンバーは175であった。ダイモンが運転しているであろう先発の175バスである。道が混んでいたのと満員だったせいで時間をくったに違いなかった。追いついたんだと思った矢先、私のバスがダイモンのバスを追い越した。ざまあみろ、ダイモン。少しばかり胸がすっとする。でも、あのバスに乗れたとしても9時の列車には間に合わなかったということか。

バスはダブリンの中心街シティセンターへ入っていく。ヒューストン駅にも近づいてきたなあと思ったとき、少し先の停留所に止まる1台のバスが目に入った。なんとそのナンバーも175。おそらく私を素通りしていったバスであった。それが走り出し、私のバスが後に続く。2台の175バスは連なってヒューストン駅へのルートをたどり、次の停留所で同時に停車した。 

最初のバスに乗れたとしても、駅に着く時間は変わらなかったということか。まあ、それでも列車に間に合いそうにはないけれど。と思ったその時である。まだ停車したままの前の175バスを私のバスが追い越した。ヒャッホー!

「もしかして、あなた間に合うかもしれないわよ」
隣の席の女性が腕時計を見て微笑んだ。

その時点で8時45分ぐらいだったと思う。間に合うだろうか。再び希望がわき上がってくる。そして停留所での出来事を思い起こす。バスに素通りされたこと。あとから来た人たちに先を越され、ダイモンに乗車拒否をされたこと。敵を蹴散らす心持ちでこのバスに乗り込んだら、案外すいていたこと。そして、このバスが次々と先発のバスを追い越したこと。最終的に自分が乗ったバスが最初に到着するなんて。乗るのが早ければいいというものでもなかったな。これってまるで人生みたいじゃないか。なあんだ、焦ってイライラするんじゃなかった。

8時53分。無事にバスはヒューストン駅に到着した。私は隣の女性に挨拶をしてバスを飛び降り、駅構内へと駆け込んだ。 

あとは切符を買うだけだと思ったが、悲しいかな、そうスムーズにはいかないらしい。窓口には行列ができていた。窓口が3つあるのに開いているのは1つだけだ。なんでだよ、効率悪すぎるだろ。ゾンビのようによみがえってきた苛立ちを抑えながら数えてみると、私の前には7組も並んでいた。もう5分しかないし無理かもしれない。ここまで来て結局間に合わないのか。どのバスに乗ったとしても結果は同じだったということか。何がまるで人生だ。やっぱりだめじゃないか。ああ、南無三とばかりに私は高い天井を仰ぐ。カトリックの国で。

ところが、である。予想外に列はスピーディに解消されていき、私の番がやってきた。キラーニーまでのチケットを購入し、それを握りしめると急いで改札を通り抜け、ホームに停車している列車へと飛び乗る。

ああ、間に合ったと思ったとき、出発のベルが鳴った。

ミゼラブル、ミゼラブル

ポーターハウス久しぶりに再会した友人とワインを飲みながら軽く食事をし、サヨナラして店を出ると雨がひどく降っていた。そして、身をすくめるほどに寒かった。ミゼラブル。

天気がめまぐるしく変わり、しょっちゅう雨が降るアイルランドではミゼラブル(miserable)という言葉をよく耳にする。みじめなとか哀れなという意味だが、どしゃぶりやひどい天気を指しても使われるのだ。

まったくもって気がめいるようなミゼラブルな天気だと思いつつも、まだ6時前だったからそのまま帰るのは少しもったいない気がして、グラフトンストリート近くのThe Porterhouseに寄ることにした。ギネスはおいておらず、クラフトビールのカルチャーを牽引している人気のパブだ。ダブリンでも街中に数店舗あって、そのどれもが賑わいをみせている。

店内に入ると、空いているのは入り口近くのカウンターの角にあたる一席だけだった。声高にガールズトークを繰り広げている若い女子2人組と、若者3人組に挟まれたその席はあまり居心地が良さそうに見えなかったが、とりあえず The Porterhouse体験をしてみようと椅子に腰掛けた。

「ヘイ」Hey.

バーマンが無表情で声をかけてきた。無愛想な坊主頭の若者である。

「何にする?」What would you like?

「Harpってあったりする?」Do you have Harp?

「ないね」Nah.

だよね。とっさに聞いてしまったけれど、そんなの置いてるかよというバーマンのバカにしたような顔を見て、ちっ、しくじったぜ。ちょっとダサい感じをだしちゃったなと思う。それって、ちょっと気取ったカクテルバーに行って、ホッピーありますかと聞いてしまうような場違い感だ。ただ、置いているところをめっきり見かけなくなり、私の中でレア感が増しているHarp というラガービールを飲みたくて、でも叶わずにいたのだ。このビールは人気がないみたいだ。Harpを好きだというアイリッシュに会ったこともない。

仕方ない。ならば銘柄に詳しいわけじゃないし、とりあえず人気のクラフトビールを試してみるか。

「何が人気なの?」 What is a popular one?  

「赤、白どっち?」 Red or White?

レッドエールとかはあまり好まない。私はホワイトビールが好きである。

「白で」White.

バーマンが早口で銘柄をあげた。彼のアクセントが強いせいか聞き取れなかった。
どうせ私の知っているビールなんかなさそうだ。

「じゃあ、それにするよ」 I’ll take that.

「どれ?」Which one?

バーマンはイラツいたような表情を見せる。彼が挙げた銘柄は1つじゃなかったようだ。あの早口で銘柄を複数あげたのか。不親切だなあ。伝えようという意図が感じられない。おもてなしの心というものがないのかっ。……ないだろうな。まあいい、テキトーなのを選んでおこう。

「一番最初のやつで」 The first one.

「フランスとニュージーランドのがあるけど?」French or Newzealand?

どういうことだ? 思いがけない質問に私はえっ?という感じで言葉をつまらせた。バーマンは、呆れたようにハアッとため息をつき天井を見上げて、その場からいなくなった。

無愛想にもほどがある。しかも無視かよとイラッとし、イヤなバーマンに当たってしまったなあとテンションが下がる。別なバーマンが来るのを待とうと右手の壁にかかっている黒板を眺めていると、さっきのバーマンが戻って来た。なんだよ、お前かよとテンションがまた一段下がる。彼は白ワインの入ったグラスを手にしていた。ほらよ、という感じで彼はそれを無造作に差し出した。

そういうことかと瞬間的に理解した。この店といえばビールだと思っていたからWhat is a popular one? と私は聞いた。ビールを指したつもりのoneを彼はwine(ワイン)と聞き間違えたのだ。赤か白かという質問も、フレンチかニュージーランドかという質問もそれで納得がいく。

ここに来る前にもワインを飲んでいたし、まあいいかというちょっと面倒くさい気持ちと、自分の言い方がまずかったのかもしれないという気弱さが招く疑いから、訂正する気にもならず、私は何も言わずに6ユーロを支払った。

確かにポピュラーなワインなのであろう。美味いワインだった。でも気分はのらなかった。まったく興ざめだ。なんだって私はわざわざクラフトビールの店を訪れてワインを飲んでいるんだ。これが白ワインだというのは分かる。しかしフランスワインなのか、ニュージーランドワインなのか不明じゃないか。なんだかみじめな気持ちにさえなってくる。ミゼラブル。

気づくと、例のバーマンは隣の若者たちと愛想よく会話を交わしていた。私にはふてぶてしくしか見えないが笑顔まで浮かべている。へえ、笑えるんだと不思議な気持ちで彼を見ていたら、去年イタリアで遭遇したシエナ駅の窓口のじいさんを思い出した。駅の外から発車するバスについて尋ねたら、「ここは電車の切符を売る窓口だ。バスのことなんて他で聞け!」と怒鳴られた。あのじいさんも愛想がないうえにアグレッシブで不親切だったが、他の旅行者たちにも同じようにシャウトしていた。頭に来たが、人を選ばず誰にでも不親切でイヤな奴であるという点ではフェアだったと思う。ところがこの若者はどうだ。芯というものがないのか。人によって態度を変えるんじゃないよ。イヤな奴ならイヤな奴を貫け、バカヤロー!

楽しくない気分で酒を飲むのは虚しいし、性に合わない。それが無駄でしかないことは重々承知だが、ちょっとした無言の抵抗のつもりでグラスに少しばかりワインを残して私は店を出た。

雨は降り続いている。しかも寒い。ミゼラブル。

くぅ、何て日だ。めいりそうになる気持ちを奮い立たせ、寒さに身を縮めながら私は帰路へついた。

まあ、旅をしているとこんな目に遭うこともある。

そのフラストレーションをどうやって解消するか。

こうやってネタにするのである。ニヤリ。

1 / 1212345...最後 »