思い出

寅吉と和平

おじいさんの狛犬めぐり冊子

 face_ojiisan_laughゴールデンウィークに帰省して実家でのんびりしていた時のこと。父を訊ねて客人がやってきた。父が退職後に地域の生涯学習プログラムでボランティアをしていたときにお世話をしていたお年寄りのひとりらしい。父が不在だったため対応した私と母におじいさんは冊子を差し出した。最初はただ話を合わせるためだけのつもりでその「福島県南の狛犬めぐり」と題された手作り感満載の冊子をめくっていたのだが、いつの間にやら魅了されてしまった。あちこちの神社の狛犬や石仏の写真とともにコメントが添えられている。「狛犬の雌は子育てに夢中です」とか「こっちの狐さんはマフラをまいています コンコン」とか。ところどころに見られるタイプミスとともに、コメントがほのぼのしていて笑いを誘う。お茶を飲みながら話を聞けば、おじいさんは今年81歳になるという。パソコン教室に18年も通っているのだそうで、その意欲に母とともに驚かされた。耳が遠いため、時々会話に衛星中継のような間が入るが、とにかく好奇心旺盛で元気なおじいさんで、話を聞いていて楽しかった。

 冊子の中に小松寅吉と小林和平の名が何度か登場するので、気になってググってみるとwikipediaを初めとして結構な情報が出てきた。寅吉とその弟子である和平は、それぞれ明治、昭和に活躍した知る人ぞ知る名工らしい。彼らは私にとっても馴染みのある土地の神社の狛犬やら石像やらを手がけていた。彼らが手がけた狛犬がある神社はへんぴな場所にあることが少なくないのに、全国から小松寅吉や和平の狛犬ファンが訪れるらしい。私は神社仏閣は好きだが、あまり石像に興味がなかったので狛犬に注目したことはなかった。でも考えてみれば、名を知られた仏師がいるように名を知られた石工がいるのも当然のこと。しかもこんな身近にいたとは驚いた。

 そんなわけで、おじいさんが帰ったあと、早速私は母に付き合わせて寅吉・和平の作った石像を訪ねたのだった。

 

長福院の毘沙門天と仁王像

 PicCollage-1石川町沢井の長福院は地元の人でなければ分からないような場所にある、とても小さな日蓮宗のお寺である。母に教えられて道路脇にのびる細い坂道を車で上って行くと、そこに長福院はあった。目の前の道は子どものときから数えきれないほど通っていたのに、こんなところにお寺さんがあるとは思いも寄らなかった。境内にそびえたつ樹齢130年というしだれサクラの木が葉を青々と茂らせていた。その回りを囲むように色とりどりの花が植えられていて、そこはちょっとした楽園みたいだった。

 住職さんに許可をもらい裏庭に入っていく。太い竹が生い茂り、これまた桜の木がそびえ立つ裏庭の真ん中に小ぶりの仁王像を従えた大きな毘沙門天が立っていた。この毘沙門天は手伝った和平がかなりの部分を彫っているという話もあるが、小松寅吉の最後の作ともされているようだ。毘沙門天らしく視線は鋭く猛々しい。そして重厚感がある。ただ、好みの問題なのか、私はどうも和平が手がけたとされるユーモラスな仁王像のほうに目がいってしまう。赤い色が所々に残っていて、なかなかいい味わいを醸し出していると思う。

 

寅吉の失敗作

 仁王寅吉の作品で特に興味を引かれて訪ねたのが、富貴作集落の公民館にあるという仁王像だ。これは寅吉が失敗作として土に埋めてしまったものを彼の死後に地元の人々が掘り起こして設置したのだそうだ。

 寅吉と言うのは誇り高きアーティスト気質の人であったようだから、そういう人にとって失敗作として葬ったものを人の目にさらされるのはどんな気分なのだろうと複雑な思いもある。確かに、途中で彫るのをやめたのであろう未完の作品で巧さや緻密さは感じられない。でも、なんだかほっこりする。作品としては失敗だとしても、そこには仁王さんらしさというか威風堂々とした存在感みたいなものは漂っているように感じた。

 

寅吉と和平の飛翔獅子

IMG_1335中島村の川田神社に寅吉が作ったとされる最初の飛翔獅子を見に行く。

獅子が乗る装飾を施した雲を含めて一つの大きな石から掘り出すこのスタイルは画期的で、狛犬美術史においても大きな意味合いを持つらしい。我ここにありと声高に叫ばんばかりの、台座に目立つように彫られた「石工 小松布孝作之」という寅吉の銘が印象的だった。専門的なことはまったく分からないけれども、寅吉の作品はフォトジェニックだなと思う。改めて写真で細部を見てみると技巧の凝らされた様子がよく分かる、そんな作品のような気がする。って逆光の写真で申しわけないのだけれど。

 
IMG_1358
石川町の石都々古和気神社の飛翔獅子を訪ねる。この神社を訪れるのは久しぶりだ。この神社は私にとっていわゆる産土神である。遥か昔に七五三もここでやった。長年にわたって初詣に訪れていた思い出の神社でもある。だからこの和平の手による狛犬の前を幾度となく素通りしていたことになる。今、小林和平の名を知り、改めて狛犬を眺めてみる。とても表情豊かなかわいらしい狛犬である。3頭の仔獅子を連れた雌の様子がなんとも微笑ましい。お乳までしっかり彫られている。和平は3人の子どもをなくしており、その子どもたちへの思いが込められているのではないかと言われているが、なんとも優しい気持ちになる狛犬だった。「ネバーエンディングストーリー」のファルコンを思い出した。

おじいさんの好奇心に刺激を受けて、なかなか楽しい石像探訪ができた。狛犬の世界も奥が深く、熱心な愛好者も多いようだ。ところで寅吉の代表作品一覧を見ていてはっとした。それは、彼が石川町にある近津神社の境内にある摂社、煙草神社の馬を手がけていたからだ。あの馬の作者は寅吉だったのか。

 

空飛ぶ馬

FullSizeRender小学生の頃、学校帰りに近津神社で寄り道をしたものだった。そこには石の馬がいた。私はいつも大きな台座によじのぼり、馬の腹をなでた。回数が決まっていたような気もするが定かではない。そうすると次の日晴れになると言われていたからだったと思う。そしてまた、どこからかこの馬は夜中に空を飛ぶのだと聞き、その様子を想像してみたりなどしてみたものだ。そういった意味でこの像は思い出深くて、午年となった昨年の正月に数十年ぶりに訪ねたほどだった。当時はなかった社の中に入れられていて日差しをよけながら少し窮屈そうだなあと感じ、当時思っていたよりも小さかった気がした。子どもだった私にはあの馬がとても大きく思えたのだ。

文字通り、意外にも子どもの頃に私は寅吉の作品にそうして触れていたのだった。そして、私があの神社を通るたび、和平の仔獅子を連れた狛犬たちも私を見下ろしていたに違いなかった。そう思うとなかなか感慨深いものがある。

これから神社の前で狛犬を見かけるたび、ふむふむと眺めてしまうだろうと思う。おじいさんの好奇心に刺激されて、思わぬ楽しみを見つけ、昔の記憶を呼び起こされた充実した休日だった。

ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

ドーナツのはなし


118848 時間つぶしに入ったカフェで、ショーケースの中のドーナツが目に入り、病み上がりにもかかわらず食べたくなって、コーヒーと一緒に注文した。甘いドーナツにはやっぱりブラックコーヒーが合う。

 一週間ぶりぐらいでコーヒーをすすってみたものの、まだ体の調子は戻らないなあと少し切ない気持ちになる。春めいてきて、それはうれしいのだけれど、年々この時期は体調を崩しやすくなっている。丈夫なのだけがとりえだったのに、この一ヶ月で2度も体調をくずした。この間などは40度の熱が出て丸二日も動けなかった。確実に歳をとっているということらしい。回復してきているが、高熱を出したせいで脳みそのしわがならされてプリンみたいになっている気がする。ぽーっとしている自分に気がついて、ふうとため息をつき、皿の上に置かれたドーナツに目をやる。真ん中には見事に穴があいていた。ザ・ドーナツ的な、ドーナツらしいドーナツだ。 

 大学生のとき、アメリカに3週間ほどホームスティしたことがあった。いわゆる旅行会社が企画した学生向けのプログラムだったので、英語学校での授業も組み込まれていた。地下鉄サリン事件が日本で起こったのがそのときだったから、もう20年前のことだ。授業で何を習ったのかなんて覚えていない。でも、あるひとりの女の先生のことが記憶に残っている。主婦がパートで英語を教えていますという感じの先生だった。その先生が着ていた、流行遅れというより流行だったこともないんじゃないかというような柄の、裏地のないペラペラのワンピースがあか抜けない印象を与えた。まるで小さな子どもに話すかのように一語一語区切って話し、リアクションが大げさなところに、少しイライラした。「今、アメリカの若者には『ビバリーヒルズ90210』というドラマが大人気なのよ」と彼女は言った。数ヶ月後に『ビバリーヒルズ青春白書』という邦題でNHKが放送を開始して、大人気となるそのドラマのことを誰も知らなかったので、みんなキョトンとしていた。

 日本人は往々にしてリアクションが薄いというのもあるのかもしれない。そして、それはアメリカ人と日本人というより、彼女と私たちとの相性の問題だったかもしれない。彼女が雑談をはさむたび、彼女と日本から来た私たちとの間の距離はひらき、そこに何の共通点も見いだせず、ぎこちない空気が漂っていたような記憶がある。でも、そんな空気を感じていたのは、多分こちら側だけだったのだろうと思う。

 なにがきっかけでそんな発言になったのかは覚えていないが、彼女は変わらず大げさな笑顔を浮かべて、「ドゥー ユー ノウ ドーナツ?」と聞いてきた。ふざけているのかと思ったら、彼女は本気だった。日本人はドーナツを知らないだろうと思って聞いているのが分かって唖然としていると、「ドーナツは、まんなかに、あながあいている、おかしなの。やわらかくて、あまくて、とってもおいしいのよ」とドーナツが何たるかを例のごとく一語一語区切って説明された。 

118807 私は昭和のこどもだったが、物心ついたときからドーナツは食べていたし、当時ですら福島にだってミスタードーナツはあった。彼女はドーナツを知らないから私たちが黙って聞いていると思っていたようだった。意表をつく質問に驚いてしまって、ポカンとしてしまっただけだったのだけれど、日本という小さな島国からやってきた学生たちにドーナツというアメリカ的なお菓子の知識を伝えることができて、彼女はとても満足そうだった。

 恐らく、同じことを誰かに聞かれたとしても、「ドーナツ?もちろん知ってるよ」ですむだろう。私があの出来事を違和感とともに今でも覚えているのは、彼女が実は日本から来た私たちに興味が一切なくて、彼女の知る世界だけが世界のすべてであり、それが私たちにとってもそうだと彼女が信じているように感じたからだと思う。彼女は知らなかったし興味もなかったのだ。私たちがドーナツを知っているかどうかなんて。もしかしたら、穴のないドーナツは彼女にとってはドーナツではなかったかもしれない。

 でも、彼女がやるようなことを自分だってやってしまうことがある。自分はドーナツの何たるかを知っているが、相手はドーナツなんて知らないと思い込み、実のところ相手を見ていないということが。穴のあいていないドーナツはドーナツではないと思ってしまうことが。

 23歳くらいのとき、バックパックでエストニアのタリンを訪れたとき、ユースホステルで同じくバックパッカーの40歳ぐらいの日本人の女性と一緒になった。適当に話を合わせながら、でも心のなかで「うわ〜、40にもなってひとり旅って切ないわ〜。楽しそうにしてるけど、実は無理してんじゃないの、さびしいんじゃないのお」と思っていたのだった。とんだバカヤロウである。そんなふうにしか見ていなかったから、彼女がどんな人だったか思い出せない。ただそういう人がいたという輪郭みたいなものが記憶に残っているのみだ。

 この数ヶ月というもの、私はイタリア語を習ってみたり、旅行記を読んでみたりして、来たるイタリア旅行だけをもっぱら楽しみにして日々を過ごしている。あのとき自分がバカにしていた40にしてひとり旅だ。できることなら、あのときの自分をグーで殴ってやりたい。と言っても、あの頃の私に今の私の気持ちを理解しろというのは無理な話である。ただ知らなかっただけなのだ。知っている世界がせますぎて、想像力が働かなくて、40の世界は色あせているに違いないと決めつけていた。救いは、若い頃に自分が思っていたほど、40になったからといって人生がつまらなくもないということだ。悲しいかな、免疫は確実に下がっているけど。

 皿からドーナツを持ち上げると、穴の向こうが見通せた。たかが40年生きたところで知らないことなんてたくさんあるし、むしろその方が多い。だけど、自分が知らない世界がこの世には果てしなく広がっているのだという実感は強まってきたように思う。この世には私が食べたこともない美味いドーナツがまだまだたくさんあるはずだ。だから、この人はドーナツを食べないだろうなんて決めつけるのは早計だ。そういう人こそが、とっておきのドーナツを知っているかもしれないんだから。

 ずるずると鼻水をすすり、まだポーッツとしている頭でそんなことを思いながら、病み上がりの私はドーナツにかじりついた。

ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

コミュニケーションの極意

父から電話がかかってきた。もしもし、と出た瞬間、「あのさあ、英語のリスペクトってどういう意味?」と質問が飛んできた。ああ、またかと思う。

ときどき、父からこの手の用件で電話がかかってくる。疑問がわくとすぐかけてくるので前置きはないし、今、大丈夫?とかいう気遣いもなく、ウザいことこのうえない。ただ、父の様子は何となく伝わってくる。 

030000「ねえ、マニフェストってどういう意味?」
「公約のことだよ」
 選挙の時期だしねえ。ニュースでも見てたんだろうな。

「レイアウトって何?」
「配置のことだよ」
 パソコンいじってるのね。

「ルンバってどういう意味?」
「ルンバ!? タンゴみたいなダンスの一種っていうか…」
意外に説明が難しいな。掃除機のCMをみたのか?いや、氷川きよしの歌の話かも知れぬ。

ちなみに、リスペクトの意味を聞かれたのは2度目だ。「尊敬するって意味だよ。前にも教えたじゃん」と面倒そうに答えると、父が「あん?」と聞き返してくる。近ごろ、父は耳が遠くなった。空耳アワー状態でトンチンカンな会話が繰り広げられることも少なくない。この間などは、喫茶店でウェイトレスさんに「さとうとミルクはこちらです」と言われて、「いやあ、さとうとしおさんって人は知りませんねえ」と答えて恥ずかしい思いをしたらしい。 

「だから、リスペクトは、尊敬するって意味だってば!」と私は少し声をあげる。
「えっ? あんだって!?」
 志村けんかよ。

 ならば。
「うやまうってことだよ」と言葉を変えてみる。
「えっ?よく聞こえないんだよ」
 ダメだこりゃ。私はいかりや長介の心境である。

「尊敬する、う・や・ま・うっていう意味」と声を張り上げて繰り返すこと三度目くらいで、父はやっと聞き取れたようだった。「ああ、そういう意味かあ。最近よく聞くから、どういう意味かと思ってさ。なるほどね、はいはい、どうも」と電話は切れた。

確かに、リスペクトって、最近若い子がよく使うからなあ、と苦笑する。父は溢れかえる横文字にまったくついていけていない。どうも英語に興味だけはあるようなのだが習得するセンスはないらしい。だいぶ前になるが、父が唐突に「向こうの人は、ショッピングって言葉は使わないんだね」と言ってきた。和製英語は数あれど、ショッピング= shoppingである。なぜそんなことを言いだしたのか不思議に思いつつ「いや、普通に使うけど?」と言うと、「だって、CDでは、ショッペン!って言ってるよ」とそれこそ不思議そうに言うのを聞いてコケそうになった。“go shopping”が、父にはゴー、ショッペンと全く別モノに聞こえたらしい。悲しいかな、英会話CDレッスンの効果は父にはまったくないようだった。

038881そんな父に、やられた、と思ったことがある。私が高校生の頃、父の知人の家にホームステイしていたオーストラリアからの留学生に会いに連れて行ってもらったことがあった。私が英語に興味を持っていたから、ネイティブと話せるいい機会だと思ったようだ。私は教科書に出てきた単語を頭からしぼりだし、会話を試みた。片言の英語ながら出だしは上々だったが、途中で行き詰まってしまった。状況は忘れたが「ハエ」を説明したくて「フライ」と言ってみるも、発音が悪いらしく、相手は首をかしげたままなのだ。どうしよう、通じない・・・と思って困っていると、それを見ていた父が「どうした?」と聞いてきた。「ハエって言いたいけど通じない」と答えると、「ばか、お前、コミュニケーションはハートなんだよ」と父は言って、その子に向かって、プーンと言いながらジェスチャーでハエが飛ぶ様子を真似てみせた。すると、その子は“Oh!”と目を輝かせ、瞬時に理解したのだった。それは、私にとっては悔しくもあり、ハッとさせられる出来事でもあった。 

父が放ったあのときの言葉は、いつも私の頭の片隅にある。英語に限らず、日本語でも、コミュニケーションは難しいなあと思うことがある。特に、人に何かを伝えるというのは。でも、人とのやりとりで頭でっかちに考えすぎてしまったり、言葉に頼りすぎて行き詰まりそうになったりすると、ふとあのことが思い出されて、我にかえるのだ。そんなわけで、英会話は「ゴーショッペン」レベルだし、ときに果てしなくウザいけれども、そんな父を実はちょっとリスペクトしていたりする。

 

↓2つのブログランキングに参加しています。ポチポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
  読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ