思い出

ノーマンステイズ

居酒屋で隣合わせになった外国人の若者と話をしていたら、私の年齢とシングルであることを知った彼が驚いて「どうして結婚していないのか」と聞いてきた。本当に不思議に思っているようで、そこには嫌味がなく、むしろ好意的な問い方だった。でも、あまりにもストレートだったので残念ながら咄嗟にうまい返しができず、ハハハ、カンパーイ! と笑ってごまかした。飲んでいたのは酒だったが、お茶をにごしたってわけだ。そうしながら質問の答えを考えていたら、あるフレーズが頭をよぎった。

ノーマンステイズ。

だいぶ昔の話になるが、とある外国のとある街の路上で占ってもらったことがある。5ドルを払って手相を見せたところ、占い師は「あなた、男運が悪いわね」と言う。そんなこと金を払って人に言われるまでもないが、いざ指摘されるとそれはそれでへこむ。じゃあどうしたらいいのさと訊ねると、手相には運が悪いということしか書いていないので、対処法を知りたければタロットカードで見てあげると言う。ちぇっ、そういうことかと苦々しく思いながらも、海外まで来てこのままでは後味が悪いと、さらに5ドルを払って今度はタロットカードで占ってもらった。まったくいいカモである。

だいぶ使い込んであるタロットカードを切って山を作り、そこから引いたカードをなにやら複雑な形に並べ終えた占い師は、渋い顔をして「ノー…」とつぶやき、首を振りながら言った。

“No man stays…”

026728ノーマンステイズ!? 「男は皆去っていき、誰も残らない」ということ!?その、きっと単館でしか上映されないであろう地味な外国映画のタイトルのような響きは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせた。ミステリー? 戦慄が走る。いや、これはホラーだ。

ノーマンステイズ。その言葉は私の胸に矢のように突き刺さった。当時、チョベリバに代表されるギャル語がはやっており、なかに(矢が突き刺さったカモのように)傷ついたという意味の「超ヤガモ」というフレーズがあったが、まさにそんな心境、私の心は超ヤガモである。

そもそも対策を教えてくれるはずだったじゃないか。矢で撃たれながらも「だから、どうしたらいいのよ」とヤガモがキレ気味に詰め寄ると、占い師は山からもう一枚カードを引き、それを見てため息をついた。そして憐れむような目で言った。

“Pray to God.”

「神に祈れ」ということである。神にすがるしか私に道は残されていないらしかった。第二の矢が突き刺さり、ヤガモは瀕死である。

ひどいショックを受けたとき、しばしのち、人は突きつけられた現実を否定しようとするものだ。私は2本の矢を力ずくで抜き取り、投げ捨てた。しょせんは占いに過ぎないんだから当たるとは限らないと自分に言い聞かせ、てやんでい、てやんでいと気持ちを奮い立たせてその場を後にし、そこで占ってもらったことは記憶の片隅に葬った。

しかし今、赤ちょうちんの灯りの下でその時の記憶とともに「ノーマンステイズ」のフレーズがよみがえり、ふうむ、あの占いは当たっていたのかもしれない、という気になった。ならば、私が取るべき行動は神頼みというわけだ。じゃあ、とりあえず神様にお願いしてみようか。

と思いながら、ほろ酔いで帰宅し、母が神社から受けて毎年送ってくれるお札をよく見たところ、昨年までは「良縁祈願」だったのに、今年から「厄除け」にかわっていた。Oh, no!

ウェットティッシュの思い出

イタリアに旅行をした時、持ち物のなかで何が役に立ったかって、除菌タイプのウェットティッシュだった。海外のレストランでは日本のようにおしぼりなんてでてこないので大活躍した。

まだ10代だった頃のある日、学校へ向かっていたら、道路の向こう側に止まっている車の中から、「すみません!この辺に病院はありませんか?」と声をかけられた。声の主は20代後半ぐらいであろう男性だった。ケガでもしているのかなと思った。wet_tissue

車に近づいていくと、その男の人が前屈みになって股間を手で押さえているのが目に入った。「あ、この人、ヤバい人かもしれない」と思った矢先、その人が「ぼく、病気なんです。今、発作が来ちゃって」と私の思いを見透かしたように訴えかけてきた。私はそれで、ああ、この人は病気なんだ、しかもちょっと恥ずかしい病気っぽいけど、偏見を持っちゃいけないと思ってしまった。

「ティッシュ、持ってませんか?」と聞かれたので、私はかばんの中からウェットティッシュを取り出した。その頃、その使い勝手のよさからウェットティッシュを気に入っており、普通のティッシュより使えると思って常備していたのだ。ほら、こんな時にだって役に立つ。

私がそれを差し出すと、その人は嫌そうな顔をした。

「これ、ウェットティッシュでしょう?これじゃ使えないなあ」

「すみません……」

思いがけない反応に私は恐縮した。

「まあ、他にないなら仕方ない。それでいいや。じゃあ今から処置するんで、あなたにも手伝ってほしいんだけど」

なぜか上から目線でその人が言う。

そのとき、私は本当に急いでいた。大事な授業があって遅刻するわけにはいかなかった。それに、このシチュエーションは私のキャパを超えていた。いくら相手が可哀想な病気の人でも、手伝うのは自分には無理だと思った。

「私、本当に急いでいるんです。手伝えなくてすみません。これ、使ってください」

私は謝って、ウェットティッシュをその人に押し付けるようにして渡した。

「ぼく、本当に怪しい者じゃないんで、警察に言ったりしないでください」

とたんに挙動不審になったその人の言葉にうなずくと、私はその場から走り去った。

授業にはギリギリで間に合った。でも、授業中ずっと、自分は発作を起こしている病気の人を見捨ててしまったんじゃないかと、ちょっとした罪悪感に駆られていた。

帰宅して、歳の離れた兄に、発作を起こした人に遭ったのだとその日の出来事を話すと、「お前はバカかっ!」と激怒された。兄によれば、健康な若い男性ならば、数日ほうっていおいたら誰でも発作が起きるんだそうである。ひええ、男の人って大変だなあと気の毒になった。

どうもあの男の人はいわゆるヘンシツシャというやつらしかった。自分が置かれていた状況を把握して、まぬけな自分がひどく恥ずかしかった。そして、人にだまされたのだという事実に気持ちが沈んだ。まあ、よく考えてみれば、ある意味ビョーキなのだろうから、嘘をつかれていたわけではないかもしれないが。

親切にしたつもりが、ウェットティッシュにダメだしされるわ、兄にこっぴどくしかられるわ散々だった。世間知らずながら、ああ、世知辛い世の中だなあと思ったのを覚えている。

でも、誰がなんと言おうとやっぱりウェットティッシュは便利なのだ!って何の主張だよ。

もぐらのはなし

モグラ先輩近ごろ、モグラ先輩が話題らしい。彼は多摩動物園の「おしえて!モグラ先輩!」という掲示板のキャラクターなのだが、その毒舌ぶりがウケている。「モグラって日に当たると死んじゃうって本当?」と問われれば、「死ぬわけねーだろ!!」とツッコみ、もぐらの生態について分かりやすく解説を加える。ツンデレである。やるなあ、モグラ先輩。

そう、なかなかやるんである、もぐらは。

小学生の頃、家のそばで小さなもぐらが死んでいるのを見つけた。当時の私の手のひらにも乗るくらいの大きさだったと思う。もぐらを見るのは初めてだったけれど、図鑑や本の挿絵で見ている姿そのものだったから、「あ、もぐらだ!」とすぐに分かった。そして、その珍しさに興奮した私は、家に走り戻って、死んでいるもぐらを見つけたことを母に報告した。すると母が驚くようなことを言う。

「もぐらは死んだふりをするから、本当は生きているかもしれないよ」

mogura_big急いでもぐらのところに戻ってみると、こつ然とその姿は消えていた。まんまと一杯くわされたみたいだった。私はあんぐりと口を開けて、その小さな生き物に感心したのを覚えている。

あるとき、誰かが「もぐらは不安で死んでしまうのだ」と教えてくれた。もぐらは土に触れていないと、不安になって死んでしまうらしかった。それを聞いて以来、私はもぐらにシンパシーを感じている。なにせ私は生まれつきの心配性なのだ。無駄にいろんなことが心配になって不安に駆られ、しょっちゅうドキドキしている。私がもぐらだったら、もう死んでいるかもしれないとさえ思うほどだ。

おとなになるといい加減さが増すせいかだいぶましになったが、子どもの頃は、おねしょが一生治らなかったらどうしようとか、明日死んじゃったらどうしようとか、戦争が起こったらどうしようとか、 宇宙人に遭遇してさらわれたらどうしようとか、とにかくいろんなことが心配になって、妄想が大きく膨らみ、不安にさいなまれるという具合で、生きづらくてしかたなかった。あらゆることの結果を懸念するような子どもだったのだ。そんなあるとき、『まんが ことわざ辞典』で「案ずるより産むが易し」ということわざを知って、子ども心にも救われる思いがした。おとなになった今も励まされる言葉である。もぐらにも、このことわざを教えてやりたい。

もぐらトリビアをもう1つ。野生のもぐらは、12時間以上何も食べないでいると空腹から死んでしまうらしい。やはり、空腹に弱い私はもぐらにシンパシーを禁じ得ない。

「もぐらは、腹ペコだと死んじゃうんだよっ!」と世の中に向かって叫びたい気分である。うさぎはさびしくても死なないらしいが、不安と腹ペコで死ぬなんて、もぐらはなんと繊細でおセンチな生き物であることか。もっと、日の目をみてもいいんじゃないかと思う。

あれ、でももぐらって、日に当たったら死んじゃうんじゃ……。

死ぬわけねーだろ!! by モグラ先輩