場所

ミゼラブル、ミゼラブル

ポーターハウス久しぶりに再会した友人とワインを飲みながら軽く食事をし、サヨナラして店を出ると雨がひどく降っていた。そして、身をすくめるほどに寒かった。ミゼラブル。

天気がめまぐるしく変わり、しょっちゅう雨が降るアイルランドではミゼラブル(miserable)という言葉をよく耳にする。みじめなとか哀れなという意味だが、どしゃぶりやひどい天気を指しても使われるのだ。

まったくもって気がめいるようなミゼラブルな天気だと思いつつも、まだ6時前だったからそのまま帰るのは少しもったいない気がして、グラフトンストリート近くのThe Porterhouseに寄ることにした。ギネスはおいておらず、クラフトビールのカルチャーを牽引している人気のパブだ。ダブリンでも街中に数店舗あって、そのどれもが賑わいをみせている。

店内に入ると、空いているのは入り口近くのカウンターの角にあたる一席だけだった。声高にガールズトークを繰り広げている若い女子2人組と、若者3人組に挟まれたその席はあまり居心地が良さそうに見えなかったが、とりあえず The Porterhouse体験をしてみようと椅子に腰掛けた。

「ヘイ」Hey.

バーマンが無表情で声をかけてきた。無愛想な坊主頭の若者である。

「何にする?」What would you like?

「Harpってあったりする?」Do you have Harp?

「ないね」Nah.

だよね。とっさに聞いてしまったけれど、そんなの置いてるかよというバーマンのバカにしたような顔を見て、ちっ、しくじったぜ。ちょっとダサい感じをだしちゃったなと思う。それって、ちょっと気取ったカクテルバーに行って、ホッピーありますかと聞いてしまうような場違い感だ。ただ、置いているところをめっきり見かけなくなり、私の中でレア感が増しているHarp というラガービールを飲みたくて、でも叶わずにいたのだ。このビールは人気がないみたいだ。Harpを好きだというアイリッシュに会ったこともない。

仕方ない。ならば銘柄に詳しいわけじゃないし、とりあえず人気のクラフトビールを試してみるか。

「何が人気なの?」 What is a popular one?  

「赤、白どっち?」 Red or White?

レッドエールとかはあまり好まない。私はホワイトビールが好きである。

「白で」White.

バーマンが早口で銘柄をあげた。彼のアクセントが強いせいか聞き取れなかった。
どうせ私の知っているビールなんかなさそうだ。

「じゃあ、それにするよ」 I’ll take that.

「どれ?」Which one?

バーマンはイラツいたような表情を見せる。彼が挙げた銘柄は1つじゃなかったようだ。あの早口で銘柄を複数あげたのか。不親切だなあ。伝えようという意図が感じられない。おもてなしの心というものがないのかっ。……ないだろうな。まあいい、テキトーなのを選んでおこう。

「一番最初のやつで」 The first one.

「フランスとニュージーランドのがあるけど?」French or Newzealand?

どういうことだ? 思いがけない質問に私はえっ?という感じで言葉をつまらせた。バーマンは、呆れたようにハアッとため息をつき天井を見上げて、その場からいなくなった。

無愛想にもほどがある。しかも無視かよとイラッとし、イヤなバーマンに当たってしまったなあとテンションが下がる。別なバーマンが来るのを待とうと右手の壁にかかっている黒板を眺めていると、さっきのバーマンが戻って来た。なんだよ、お前かよとテンションがまた一段下がる。彼は白ワインの入ったグラスを手にしていた。ほらよ、という感じで彼はそれを無造作に差し出した。

そういうことかと瞬間的に理解した。この店といえばビールだと思っていたからWhat is a popular one? と私は聞いた。ビールを指したつもりのoneを彼はwine(ワイン)と聞き間違えたのだ。赤か白かという質問も、フレンチかニュージーランドかという質問もそれで納得がいく。

ここに来る前にもワインを飲んでいたし、まあいいかというちょっと面倒くさい気持ちと、自分の言い方がまずかったのかもしれないという気弱さが招く疑いから、訂正する気にもならず、私は何も言わずに6ユーロを支払った。

確かにポピュラーなワインなのであろう。美味いワインだった。でも気分はのらなかった。まったく興ざめだ。なんだって私はわざわざクラフトビールの店を訪れてワインを飲んでいるんだ。これが白ワインだというのは分かる。しかしフランスワインなのか、ニュージーランドワインなのか不明じゃないか。なんだかみじめな気持ちにさえなってくる。ミゼラブル。

気づくと、例のバーマンは隣の若者たちと愛想よく会話を交わしていた。私にはふてぶてしくしか見えないが笑顔まで浮かべている。へえ、笑えるんだと不思議な気持ちで彼を見ていたら、去年イタリアで遭遇したシエナ駅の窓口のじいさんを思い出した。駅の外から発車するバスについて尋ねたら、「ここは電車の切符を売る窓口だ。バスのことなんて他で聞け!」と怒鳴られた。あのじいさんも愛想がないうえにアグレッシブで不親切だったが、他の旅行者たちにも同じようにシャウトしていた。頭に来たが、人を選ばず誰にでも不親切でイヤな奴であるという点ではフェアだったと思う。ところがこの若者はどうだ。芯というものがないのか。人によって態度を変えるんじゃないよ。イヤな奴ならイヤな奴を貫け、バカヤロー!

楽しくない気分で酒を飲むのは虚しいし、性に合わない。それが無駄でしかないことは重々承知だが、ちょっとした無言の抵抗のつもりでグラスに少しばかりワインを残して私は店を出た。

雨は降り続いている。しかも寒い。ミゼラブル。

くぅ、何て日だ。めいりそうになる気持ちを奮い立たせ、寒さに身を縮めながら私は帰路へついた。

まあ、旅をしているとこんな目に遭うこともある。

そのフラストレーションをどうやって解消するか。

こうやってネタにするのである。ニヤリ。

ダブリンのジャパニーズボーイ

ミュージアム
ダブリンの国立装飾美術・歴史博物館を訪れた。広場を囲むように無機質な印象の建物がどっしりと構える。もとは兵舎として建てられたものだ。広場に兵士の格好をした若者たちがいて、その周りを人々が取り囲んでいた。イベントの一環らしい。アイルランドの人々にとって今年は1916年のイースター蜂起から100周年というビッグイヤーだ。街のいたるところにイースター蜂起関連のグッズやイベントの広告を見かける。

博物館の中にアジアの美術コレクションがあり、片隅に、日本の恐らく雛人形と思われる男女の木像と、仏像、そして裃を着た江戸時代の少年らしき像が置かれていた。日本から遠く離れてダブリンにたどり着き、展示されていることがなんだか不思議に思えて、モノにも運命というものがあるならば、この像たちはみなそういう運命を背負っているのかしらなどと妙にセンチメンタルな気分になった。雛人形はお互いパートナーがいるし、仏像はそもそも仏さんである。悟りを開いているわけだし、どこでどんな運命に遭おうともその微笑にゆらぎはないだろう。けれども、ふくふくとして、そのたたずまいが愛らしい少年は私の目にはちょっぴり悲しそうに見えた。

そうして、それぞれの像の説明書きを読んで、少年の悲しげな理由はこれかと思った。少年の像はShotoku Taishiと明記されていた。そんなバカな。日本人なら誰でも、裃を着てマゲを結っているこの人形が聖徳太子でないことは分かるはずである。しかし、ここまで堂々と言い切られると、もしかして……という気になってくる。生得大志くんとかいう同姓同名とか? ……そんなわけないか。 
コレクターに譲った人が「ディス イズ ショートクタイシ」ともっともらしく言ったのだろうか。

昔、骨董品を扱う露店で公家らしき人形が売られていた。妙に気になって、それは誰の人形なのかと尋ねると、露天商はためらいもなく答えた。

「ああ、それ? それはね、菅原道真の友だち」

誰だよ。結局その人形を買うことはなかったが、もしかして、そんな妙ちきりんなやりとりがあったのかもしれないと想像ばかりがふくらむ。 

呆れて笑えてくるが、少年には同情してしまう。異国の地において、実際とは全く異なる人物と認定されていることに、ガラスケースの中に置かれた少年がじっと我慢の子で耐えているかのように見えてくる。
「めっそうもない。人違いでございます」
という少年の声が聞こえてくるようである。くぅ、切ない……。

そしてまた仏像も阿弥陀如来立像と説明されているが違う。これは釈迦如来立像のはずだ。確かにこの二つの仏さんの立像は似ているので間違いやすいかもしれない。違いはそれぞれの仏像が結ぶ印にある。阿弥陀さんならば親指と人差し指で円を作っている。これを来迎印と呼ぶ。オッケー!とか、もうかってる? と言っているようにも見えなくはない。私の大好きな京都南禅寺の見返り阿弥陀さんもこの印を結んでいる。一方でお釈迦さんは、怖がらなくていいですよと右手を挙げ(施無畏印)、聞きましょう、願いを叶えてあげましょうと衆生を救おうと左手を下方に差し出している(与願印)。京都清涼寺の釈迦如来立像などにこの印を見ることができる。それを知った上で展示されている仏像の写真を見てみると分かると思うが、これはお釈迦さんである。

お釈迦サン阿弥陀さんの方が知名度が高いのだろうか。以前、上野の博物館で仏像を見ていたら、外国人カップルの男の方が鼻高々に「アミダはブッダの未来の姿なんだぜ!」と女に教えていて、「違うがな!」と心の中でツッこんだことがある。それはウルトラマンがパワーアップするとウルトラセブンになると言ってしまうようなものだ。指摘はしなかったが、女のほうがフーンという感じでさほど興味を示さなかったのが幸いである。 

似ているとはいえ、国立博物館なんだからちゃんと調べてよと思う。でもなあと、またある記憶が蘇る。ダブリンに住んでいたとき、銀行から送られた明細を見ていたら電気料金がひと月に2回引き落とされていた。窓口に出向いて確認したところ、「ごめんごめん、口座番号が似てたから間違って別の人の分を引き落としちゃったよ」と、テヘペロってな調子で謝られて呆れたことがある。それを思えば、この国で阿弥陀さんとお釈迦さんが間違えられても驚きはないか。 

少年の像については、特徴的な髪型をしているのでまげの種類を調べてみたり、家紋を調べてみたりした。家紋については陰北条鱗というものではないか思うのだがどうだろう。それ以上のことは分からない。名もなき少年の像なのかもしれない。 

まあ、お釈迦さんについては、何と言っても仏さんであるから、阿弥陀さんと間違えられたところでホホホホってなもので心は平穏極まりないに違いない。けれども、やっぱり少年のことは不憫に思えてならない。それに、はるばる日本からやってきたお釈迦さんや少年が、当てずっぽうの説明書きをつけられて世界中から訪れる人々の目に触れるというのも日本人として忍びない。

そこで博物館にメールを出すことにした。スルーされる可能性が高そうだが、私がスルーして何もしないよりはましかもしれないと思ったのだ。

後日、博物館からはお礼とともに担当の学芸員に伝えますという形式的な返信が届いた。真摯な対応をしてくれることを心から願う。

ダブリンを次に訪れた際には、少年に会いに行こうと思う。そのとき彼はどんな表情を見せてくれるだろうか。またひとつ楽しみなことが増えた。

 

追伸:この像について何か思い当たることがあれば、ぜひご一報くださいませ。

パブのすすめ〜O’NEILL’Sにて〜

imageアイルランドといえばギネスが有名だが、もちろんそれ以外にもたくさんのビールが飲まれている。最近はクラフトビールの人気の高まりとともに、新しい銘柄を見かける。ギネスが出したラガー HOP HOUSE 13だとか、キラーニーだとか。日本では味わえない銘柄を味わってみるのも楽しみのひとつだ。たくさんの種類を試したい人なら醸造所を兼ねているJ. W. SWEETMAN のようにテイスティングができるパブも気にいるに違いない。

特に目当てがない場合、どのパブに行ったらいいか迷うかもしれないが、良さそうだなと思えるパブがあったら思い切って入ってみることをおすすめする。だいたいどこのパブでも美味しいビールやウィスキーが飲めるし、食事もできる。もちろん、地元の人にとってはお気に入りのパブというのがあるものだが、当然ながら人によって好みは異なる。せっかくの機会だ。自分にとって居心地のよいパブを探してみるといいと思う。たまに愛想の悪いバーマンに当たってしまって嫌な思いをすることがあるかもれないが、そんな時は店を出て他のパブを探せばいい。石を投げれば当たるくらいパブがあるのだから。

imageまた、パブでの食事もおススメだ。そんなに量は欲しくないというのであればスープ・オブ・ザ・デイを試してみるとよい。料金もだいたい5ユーロ弱とお手頃だし、味も期待を裏切らないと思う。いわば日替わりスープがブラウンブレッドと一緒に出される。スープはコクがあって腹持ちもいいものが多い。私は甘みの強いブラウンブレッドにバターをつけて食べるのが大好きなのだが、アイルランドに来たらこれもぜひご賞味いただきたい。シーフードチャウダーもクリーミーでコクがあり、具がザクザク入っていてとても美味しい。

ダブリンのシティセンターにぶらりと出かけた日、これまた1713年創業のO’NEILL’Sという老舗のパブにぶらりと入り、遅めのランチをとることにした。セルフ形式でオーダーするのだが、メニューを手渡されてその種類の多さと充実ぶりに驚いた。

imageラムシャンクを頼むと、マッシュポテトのにうえに骨つきのラム肉がドーンとのって出てきた。これで12.95ユーロ。子どもの頃に憧れた「はじめ人間ギャートルズ」の肉の実写版みたいなボリュームにテンションがあがる。この国の人はラム肉をよく食べる。日本では特定の場所でしか食べられないから、ラム好きとしては嬉しい限りである。せっかくなのでギネスもハーフパイントをオーダーする。

人気のパブだけあって、昼下がりの時間でも混み合っていた。私の前のラウンドテーブルでは、フォーマルな装いの品のよさそうな老夫婦がギネスを楽しんでいた。隣のテーブルでは、3人の若者がパイントを次々と空けていた。その内の20代後半くらいであろうひとりの若者が話しかけてきた。酔いが回っているのが一目でわかるが、時折、じゃましていたらごめん、と謝るあたりに、憎めない人懐こさが感じられた。コークからやって来たらしかった。ダブリンは日本人から見れば小規模だし、コークはアイルランドで2番目に大きい街だが、ダブリンは落ち着かないと言い、おのぼりさんの雰囲気を醸し出しているのがおかしかった。

image「せっかくダブリンに来たから昨日はCopper Face Jacksへ行って踊りまくったぜ」と彼が口にしたそのナイトクラブの名に覚えがあった。昔、友人たちに誘われて時折遊びに繰り出した場所だ。そのクラブがまだあることに驚き、若かりし頃そこへ行っていたなんて、なんだか自分が化石にでもなったような気分になって、懐かしさとともに赤面したのだった。

しばらくして、彼が聞きたいことがあるんだけど、と前置きしたあとで言った。
「日本では女性は第二階層民として扱われているというのは本当かい?」
恐らく男尊女卑のことを言っているのだなと思った。私は女ではあるけれども第二階層民ではない。もしそうなら、ひとり旅をしてぬくぬくとパブでひとり飯を堪能しているはずがない。
「アイルランドと変わらないと思うよ」
外国の人が抱くイメージと現実とのギャップがおかしくて、笑いながら答えると、なるほどと言って、彼は少しバツの悪そうな顔をした。
「でも、こうやって交流することでいろんなことがわかるよね。よその国の人はアイリッシュは皆ギネスばかり飲むと思っているだろうけど、そうじゃない。俺たちアイリッシュはハイネッケンを飲むんだ」
なるほどね、と私はうなずく。でも、彼の言葉を鵜呑みにはしない。だいたい酒飲みは自分が好む酒が一番だと言いたがる。確かにハイネッケンの人気は高いけれど、アイルランドの人は本当にギネスをよく飲む。

「あなたは外国に旅行する予定はないの?」
私が尋ねると、彼はちょっと照れたように答えた。
「11月にアイスランドへ行って彼女にプロポーズしようと思っているんだ」
なんでも、7年も付き合っている彼女がいるらしい。
「俺はどうしようもない奴なんだけど、そんな俺を長年支えてくれた彼女のことを愛しているんだ」
酔いに任せてなのか彼は言った。実際に、I love her.という表現を使った。
「どうしてアイスランドなの?」
「星がキレイだからだよ。そんなところでプロポーズしたらロマンチックだろ」
彼は、いい考えだろと言わんばかりのドヤ顔を見せた。

くぅ、このロマンチックボーイめ。ただの酔っ払っいのにいちゃんかと思ったら、いい奴じゃないかとほっこりした気分になった。
「プロポーズが上手くいくことを願ってるよ」
彼と握手を交わし、私はO’NEILL’Sをあとにした。

ひとりの時間を過ごすのもいいし、誰かとの時間を共有するのもいい。たまたま隣になった人と会話を交わしてみるのもいい。パブにはいろんな楽しみがつまっている。

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