マイ ライフ

ももちゃん

従妹の娘に、ももちゃんという子がいる。生まれたての頃に見たきり時間が経って、次に会った時は2歳になっていた。「こんにちは」と挨拶すると、「ねえ、わたし、かわいいでしょ?」というのが、ももちゃんの第一声であった。確かにももちゃんは目がぱっちりして、まつ毛もしっかりとして長くてかわいかったが、白雪姫の継母ばりのうぬぼれの強さに驚いた。近頃の子どもはやっぱり違うんだなぁと舌を巻いた。

140351  先日福島に帰省したとき、久しぶりにももちゃんに会う機会があった。ももちゃんは3歳になっていた。家にお邪魔をすると、大きなテレビの前でアニメの『アンパンマン』に釘付けになっているももちゃんがいた。さすがに画面に近すぎるだろうと思って、「ももちゃん、もうちょっと離れて見たほうがいいよ」と抱き寄せた。すると意識がこっちに向いたようで、私から一旦離れ一冊の本を抱えて戻ってきた。それもアンパンマンの本だった。私のことは記憶にないようだったが、人見知りはしない性格のようだ。ももちゃんは本を開いて見せると言った。

「ねえ、おねえさんは、どれが好き?」

 おねえさん!? やるねぇ、キミ。合格!ってなわけで、ももちゃん株急上昇である。なんともできる子ではないか。もしかしたら、私がいい歳をしてLaundryのキャラクターTシャツを着ていたからかもしれないけれど。ご機嫌な私は答えた。

「そうだなあ、おねえさんはハンサムだから食パンマンが好きかな。でも、助けてもらうなら、お腹すいてるだろうし天丼マンがいいよね。食パンだと口の中がパッサパサになっちゃうしさ」

「……」

 情報過多だったようである。ももちゃんは私の話をスルーして、自分の世界に入ってしまった。

 いただいたお茶をすすっていると、しばらくしてももちゃんがまた近づいてきた。どこから手に入れたのか今度は一本の羽を持っていた。それを見せながらももちゃんは言った。

「これはね、鳥の羽なの。羽があるから鳥は飛べるんだよ」

 ロマンじゃんと思って、3歳女子に尋ねてみた。

「ももちゃんにも羽があるのかな。ももちゃんも飛べるの?」

 するとももちゃんは、キョトンとして私を諭すように答えた。

「飛べないよ。ひとは飛べないんだよ、羽がないんだから」

 おねえさん、そんなことも知らないのね、みたいな顔で。
 
 げ、現実的。ワァオと驚いていると、ももちゃんは続けた。

「あとはね、飛べるのはアンパンマンだけだよ」

 おねえさん、知らないみたいだから教えてあげるね、みたいな顔で。

 はい、ファンタジーいただきましたぁってな気持ちになって顔がゆるんだ。だから、アイツ、あんぱんだぜ、とは言わないでおいた。

 福島に帰ったある日の昼下がり、私は3歳の子どものなかに現実とファンタジーの融合を見たのであった。そうやって、ひとは幼いうちから現実を知り、一方で夢をみて、いろんな矛盾を自分のうちに抱きながら生きていくのだなあと思った。

おばちゃん問題

ある休日、用事が早めにすんで家の最寄り駅についた。春めいてきて暖かかったのでそのまま近くの公園に足を向け、ベンチに腰をおろしてグラウンドで遊んでいる子どもたちを眺めていた。

 catchball_friends 目の前に、キャッチボールをしている男の子2人組がいた。小学4〜5年生ぐらいだと思う。ひとりはキャッチャーミットを持っていた。そのうちもうひとりがピッチャーが投げ込むような体勢でボールを投げ出したので、バッテリーを組んでいるんだろうと思った。

 少年が取り損ねたボールがワンバウンドしてこっちに飛んできて、ベンチの横をかすめていった。それほど危ない距離でもなかったのに、うっと一瞬ひるんだ自分に、ああ、私も鈍くなったもんだなと思った。少年たちは、私に「さーせんっ」と頭を下げて戻っていくとキャッチボールを再開した。しっかりしてるねえと好感が持てた。私も子どもの頃、私も父や兄たちとキャッチボールをよくやっていたものだ。

 ふと、彼らに声をかけてみようかと思ったものの躊躇してしまった。というのも自分を何と呼んだらいいか分からなかったからだった。「おねえちゃんもねえ」と言ったらいいか、「おばちゃんもねえ」と切り出すべきか、そんなことで戸惑ってしまった。そのうち2人はキャッチボールを切り上げて、公園から去って行った。

 おねえちゃんもねえ、と言うのも厚かましいような気もする一方で、おばちゃんもねえ、と言うのにはどうも抵抗があった。正直に言おう。40を過ぎた今でも、私は自分をおばちゃんと呼ぶのに抵抗がある。私よりだいぶ若いアラサーの同僚なんて、自分を平気でおばちゃんと呼ぶ。といっても、本人は実はそう思っていないのは明らかだけれども。一方私は、おばちゃんと言われる年齢であることも自覚していて、美魔女を目指しているわけでもないし、歳を聞かれても「いくつだと思う?」と相手にとって面倒くさいであろう質問返しは決してせず、潔く即答することをモットーとしている。それでも自分をおばちゃんと呼ぶことには、なぜか拒否反応を示してしまうのだ。

 どうも私のなかのおばちゃんは、ちびまるこちゃんのお母さんのようなイメージがある。おばちゃんパーマをかけてかっぽうぎを着たおばちゃん。大阪でいえば、パンチパーマをかけてヒョウ柄を超えてヒョウの顔がついたトレーナーにスパッツをはいたおばはん。どうも、そういうおばちゃんとひとくくりになってしまう感じに抵抗があるみたいだ。シロクマのトレーナーは着られても、ヒョウはまだ私には恐れ多すぎます…みたいな力不足さえ感じる。

 05122640代でも50代でも60代でも70代でもおばちゃんと呼ばれることを考えると(巣鴨の地蔵通りではすべておねえさんと呼ばれるが。)、おばちゃんのくくりは広すぎやしないか。そもそも、おばさん、おばちゃんといったバリエーションしかないのも私の抵抗感の要因ではないかと思う。男の人はというと、こんなことには無頓着なようなように見えるし、おっさんとオヤジがあるだけバリエーションも多くてマシなような気がする。それに、ちょいワルオヤジというとクールなイメージなのに、ちょいワルおばちゃんってイケてない。おばちゃんパーマをかけたおばちゃんがママチャリを爆走させているイメージが浮かぶではないか…。

 ああ、そうか、と膝を打つ。いわゆるクールなアラフォー女性をイメージする総称として最近流行ったのが、「オトナ女子」ってやつだ。いつまでも若々しく輝く女性ってことなのであろうが、これを勘違いした作法を身につけている女は「こどもおばさん」と揶揄されるのである…。つくづく女ってめんどくさいなと思う。そして、多分そんなことを考えている私もある意味めんどくさいのかもしれない。

 「私はね〜」で話しかけるという線も考えてみたが、それも自我が全面に出ている気がしてしまってしっくりこなかった。「おねえちゃん」なのか「おばちゃん」なのかで迷ったのは、多分だけれど、無意識のうちに子どもという存在に対して自分の社会的役割みたいなものを探っていたのだろう。そういう意味で、私に子どもがいたら、自分をおばちゃんということには抵抗がないだろうと思う。「◯◯ちゃんのおばちゃん」という役割をやすやすと担うことだろう。役割というか立ち位置というべきか。でも、それが今はビミョーなのである。

 春先の公園で、そんな思いを巡らせる私は、ミッドライフクライシスにおちいっているアラフォーの女である。

思わぬ共感 

ちょっとした知り合いに、食いしん坊の幼い女の子がいる。口ぐせは「お腹がすいた」である。出会ったばかりの頃はぽっちゃり具合がかわいらしかった。私も食い意地のはった子どもだったので初めは微笑ましく思っていたが、見かけるたびに少しずつふくらんでいるので心配になってきた。しかも、他の子と分けるんだよ、と大人からもらったお菓子をためらいもなくひとりでたいらげてしまう始末。次第に彼女が繰り返す「お腹がすいた」というつぶやきがまるで呪文のように聞こえてきて、そら恐ろしくさえ感じるほどだ。

cry_girl  あるとき、その子が大粒の涙を流して泣いているところに出くわした。「パン・オ・ショコラ」と叫びながら泣いている。となりでおろおろしている母親に聞いたところ、その子がおやつに食べるつもりだったパン・オ・ショコラを母親がうっかり食べてしまったとのことだった。パンはいくつかあったけれど、その子はパン・オ・ショコラを食べると固く心に決めていたらしい。確かにパン・オ・ショコラはクロワッサン生地の中にチョコレートが入っていて甘くておいしい。「クリームパンならあるわよ」とお母さんに言われても、その子は泣きながら首を横に振り、「パン・オ・ショコラ〜!」とそのパンの正式名称を叫ぶ。なんともシャレたパンの名前とその子の泣きわめく様子はどうもミスマッチであった。ドン引いた私は戸惑うばかりの母親に挨拶して早々に退散した。「パン・オ・ショコラ〜」が後ろの方でリフレインしていた。いやはや食べ物の恨みは恐ろしいとはよくいったものだなと思った。 


 そんなことがあったこともすっかり忘れていたある日、私はランチにパンが食べたくなって、近所のシャレたベーカリーに立ち寄った。時間がなくて急いでいたから、クロワッサンとくるみパンを選んで、もうひとりの客に先を越されないようにレジへ急ぎ精算をすませた。おつりとレシートを受け取って次の人にレジを譲った瞬間、奥の調理場から店員がパンの入ったかごを持って入って来た。

003192「こちら焼きたてのパン・オ・ショコラでございます」

 くぅ、なぜ今なんだ。ほんの少し早ければ買えたのに。目の前を焼きたてのパンに素通りされて、ふつふつと残念感がわきあがる。私はおとななので声には出さなかったが、心のなかで叫んだ。

 パン・オ・ショコラ〜!

 予想外の出来事は、思わぬ共感をもたらすことがあるようだ。