マイ ライフ

誤解

以前から約束していた公演を見るために2ヶ月ぶりに友人と待ち合わせ場所で会ったとき、何だか気恥ずかしい気がした。向こうも同じみたいだった。というのも、この友人と出会ってから結構な頻度で飲み歩いていて、2ヶ月も会わなかったのは初めてのことだったからだ。

196485 会って話してみれば、お互いが相手からの連絡を待っていて、連絡がないのは相手に嫌われてしまったからかもしれないと思い込んでいたのだった。まるで私たちは、いい歳をした、恋する乙女みたいだった。

 誤解が解ければ何てことはない。私たちは2ヶ月ぶりに、はしごした2件目の飲み屋が閉店になるまで酒を酌み交わしたのだった。 

 それから2日後の休日、7年ぶりに大学時代の友人に会った。学部は違ったが人と群れるのが苦手な私と彼女はウマが合った。私の実家にも遊びに来たことがある。

 前回彼女と会ったとき、私は肉体的にも精神的にも最悪の状態で、朝に食べたアボカドで突然のアレルギー反応に襲われた。顔がパンパンに腫れ、全身が蕁麻疹に覆われ、声が変わっていった。アナフィラキシーショックだった。彼女が病院に運び込んでくれなかったら、危ないところだった。彼女は命の恩人とも言うべき友人である。また遊びに行くねと言いながら会えないまま、必死でどん底から這い上がろうともがいているうちに4年ほどが過ぎた。

 そんなある日、彼女から突然手紙が届いた。それには突然の病で大きな手術をした報告と、久しぶりに会いたいです、と書かれていた。私も急いで返信をした。けれども、お互い会いたいと言いながらも具体的な日時を決めることもなく、日常に謀殺されたまま、日々は過ぎていった。向こうも小さい子どもが二人もいるから、私以上に慌ただしい日々を送っていたに違いないと思う。

 2度ほど彼女にメールを出したが、返事はなかった。忙しいのかもしれない、病気のこともあるし、もしかしたら人には会いたくない時期なのかもしれない。自分にもそんな経験はあったから、気にはしなかった。

 その頃、私はLINEをやるようになり、ポコパンというゲームにハマっていた。 自分の電話番号を相手が登録しているとか、友だちになっている人の中にポコパンをやっている人がいると、ランキングにアカウント名が表示される。ある日、そのランキングの中に、私はその友人のものを発見した。彼女の名前はのぶ江とか、かず美みたいに、ひらがなと漢字が組合わされていて、よくある名前ではないのですぐ分かった。

 そこで、彼女に「久しぶり。元気?」とメッセージを送った。結果、既読スルーされた。ちょっと傷つきながら、やっぱり、まだ会いたい気分じゃないのかもしれない、と思うことにした。

004640  しかし、友人は毎日毎日、ポコパンで高得点をたたき出している。そのうえ、彼女のLINEのアイコンは時折変わる。決まって動物のお尻のアップ写真にひと言コメントがついている。馬のお尻には「馬ケツ」、犬のお尻には「犬ケツ」という具合である。それを見ながら、「バケツ」はすぐに分かったが、犬ケツが「イヌケツ」ではなく、「ケンケツ」と読ませて献血とひっかけているに違いないと思い当たったときには、ひざを打つ勢いだった。そんなお気楽感を漂わせているのに既読スルー。ゲームはガッツリやっとるやないかいっ、という腹立ちを、きっと病気が彼女をそうさせているのだという思いで抑えているうちに日々は過ぎた。

 彼女から年賀状は届いた。「元気? 私も元気だよ。会いたいね」とひと言添えてあった。私も「元気だよ、会いたいね」と遅ればせながら返信をした。しかしLINEは既読スルー。このまま疎遠になって会うこともなくなってしまうのかもしれない。私はがっかりゆえの腹立たしささえ感じていた。

 やがてポコパンにもすっかり飽きて、彼女のLINEアイコンを目にすることもなくなっていた。

 そんな折、電車の中でスマホを見ていたら、友人と同じ病気のタレントのことがニュースになっていた。彼女のことが思い出されて、果たして元気でいるのかと急に心配になった。無事なのだろうか。落ち着かず、メールもLINEもだめならと、今度はショートメールでメッセージを送った。

 意外にも、友人から会おうという返信がすぐに来た。具体的な日付の提案もあった。そんなわけで、私たちは7年ぶりに再会したのだった。

 友人と私の間は、驚くほどに何も変わっていなかった。話も尽きなかった。命に関わるほどの病気が発覚して手術をしてからこれまでの話を聞かせてくれたあとで、まるでドラマみたいだったよと彼女は力強く笑った。私は何もできなかったけれど、彼女を支える家族がいること、そして何より友人が回復して元気でいることにほっとした。

 しばらくして、会えてよかったよ、しばらく会いたくないのかなと思っていたから、と私がこぼすと、友人はキョトンとしている。聞けば、メールなんて届いていないと言う。しかも、LINEはやっているが、ポコパンはやっていないと言う。人違いだった。なんという衝撃。じゃあ、あれは誰だったのか。

 考えてみれば、馬ケツも犬ケツも、友人らしくない。LINEアドレスを交換してみれば、友人のアイコンは子どもの写真であった。もちろん、お尻のアップではない。

「私が病んでおかしくなったとでも思った?」と友人は爆笑していたが、正直なところその通りだ。違和感があったのに、それを無視して友人に違いないと思い込んでいたのだった。しかし、本当にあれは誰だったのだろう? 

 彼女が子どものお迎えに行かなければならない時間まで、私たちはおしゃべりをして笑い合った。

 相手を気遣っているつもりが、どこかで、「ちぇっ、どうせ私のことなんて」とすねてしまっていたのかも知れない。勝手な思い込みで数少ない友人を2人もなくさないでよかった。

 もしあなたにも、気になっている人がいるのなら、連絡してみてはいかがだろうか。

笑う女

ひとり飯を喰らう人が好きである。  

いつだったか、月島の店でひとり、お好み焼きを食べている青年を見かけたことがある。私は連れの肩越しに彼を見ていた。とても楽しそうだったから、ついつい目が離せなくなってしまったのだ。青年は丁寧にお好み焼きを焼き、ソース、マヨネーズ、青のりをかけて仕上げた。それから手を合わせていただきますをして、ヘラで器用に一片を切り出して口に運んだ。青年が満足げな笑みを浮かべながら、実においしそうに食べる様子は感動的ですらあった。私もあんな風に食べる人になりたい。あの青年の姿は私にとって、ひとり飯の理想型である。

先日の夜、近くでひとり飯をして帰ろうかと考えながら地下鉄の駅の階段を上りきったところで、膝の辺りにガツンと何かがぶつかり、「痛っ」と声が漏れた。すみませんと言いながら、大きなカバンを下げた若い女が足早に私を追い越していった。カバンの角が私の膝裏をヒットしたのだ。

少しばかりの苛立ちを抑えつつ歩いていくと、信号待ちをするさっきの女に追いついた。どんな顔をしているか見てやろうと視線を上げると、女は笑っていた。ひとり、ニヤけているのだ。微笑みという領域をはるかに超えている。通りの向こうから漏れるかすかな明かりに照らされ、彼女の笑う顔が暗闇の中に浮かび上がっていた。

怖っ。

不可解な笑顔にかきたてられた恐怖心から、私はその笑顔の訳を探ろうとして、彼女の耳にイヤホンを探した。ケータイで誰かと話していて、相手の言葉に笑ったのかもしれないと思ったのだ。しかし、当ては外れた。

なぜだ、なぜ笑っているのだ。

ふと、横断歩道の向こう側にある人影が目に入った。暗くて姿がよくは見えないが若い男のようだ。ははん、そういうことか。あの男は恋人に違いない。待ち合わせでもしているのだろう。なるほど女は、通りの向こう側を見て笑っているようにも見える。男は彼女に気づいていないようだが、彼女は彼に気づいたのだろう。なるほどと、彼女の笑顔の訳に思い当たって、気持ちが落ち着いた。

信号が青に変わった。

女は大きなカバンを肩にかけて持ち直すと、待ちきれない様子で駆け出した。恋って素晴らしい。若いってうらやましい。

彼は彼女に気づく素振りがない。まったく鈍いぜ、お兄さんよぅと思いながら、若いカップルの逢瀬を目撃しちゃおうと見ていたら、女は男を通り過ぎた。赤の他人のようだ。予想外の展開に私は焦り、目で女を追った。彼女は勢いよく、近くの牛丼店に駆け込んでいった。そう、女の笑顔の訳は牛丼だったのだ。

拍子抜けしているうちに、信号は赤に変わった。私の心持ちも変わった。女はひとり飯を喰らう人であった。

キン肉マンばりに牛丼にテンションを上げられる彼女がすごいのか、彼女をあんな笑顔にさせる牛丼がすごいのかはよく分からないが、私は胸がすく思いがして、心の中で「グッジョブ」という掛け声とともに親指を立てた。

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鯉のあらい

 fish_koi 先日、またひとつ歳をとった。
 疲れがとれない。ちょっと食べたらすぐ太る。
 歳上のおねえさんたちが口々にいっていたことを実感する今日この頃だ。

「おねえさん、上がっていきなさいよ」

 実家に帰省中、近所のおじさんたちの宴に誘われ、断りきれず上がらせてもらうことになった。

「はいよ、飲める口なんでしょ」とコップを渡され、秋田の酒をなみなみとつがれる。

 おじさんたち5、6人が囲むテーブルには、和洋中の料理が入り乱れてところせましと並ぶ。

「このシューマイ、うまいよ」と勧められたり、「こっちも食べて」と回鍋肉の盛り皿やポテトサラダが回ってきたりして忙しい。そのお宅の奥さんが、これもどうぞと、栄養ドリンクと野菜ジュースを手渡してくれる。ちょっとしたカオスである。

 そのなかで、メインは鯉のあらいであった。おじさんの中に、鯉のあらい作り名人がいるらしい。なかなか乙な一品ではある。そういえば、この間聴いた落語にぜいたくな料理として鯉のあらいが出てきた。

 実のところ、子どもの頃に父が作った鯉料理を食べて以来、鯉には泥臭い印象しかない。放っておいたら箸はつけなかっただろうが、おじさんたちが酢みそにつけて食べろ食べろとかえるの合唱みたいに勧めてくる。

 ここは空気を読む。一切れすくって、酢みそにつけて口に入れてみたら、これがうまかった。泥臭さなどみじんもない。日本酒にもよく合う。

「うわあ、おいしいですねえ。こんなにおいしいの初めて食べました」とやや大げさに賞賛しながら、ぱくりぱくりと鯉のあらいを二切れ三切れと口に運ぶと、おじさんたちは満足げであった。

 「東京で働いてます」とか「この夏は暑いですねえ」とか、しばらく世間話をしていると、わたしから一番遠くに座っていたひとりのおじさんが、どういう文脈でそうなったのか分からないが、

「あんた、子どもいないんだろ」と言い出した。

「ええ、おりません」と笑って答えて日本酒を飲む。

「子孫繁栄は人類の義務だよ、あんた。がんばらなくちゃ」と言うので

「がんばります」と笑顔で返して、鯉のあらいをもう一切れすくって食べる。

「まだ独身なんだって? 早く結婚しなくちゃ。相手いないの」

 今度は、その向かいのおじさんが口を挟む。

「ご縁がないもので」

 ほほほ、と笑ってわたしは日本酒を飲む。

「待つばかりではだめだよ、今の時代は。これだと思うオトコがいたら、自分から積極的にいかなきゃ」

 そう言った隣のおじさんは、わたしを励ましてくれているつもりのようだ。

「そうですね、積極的にいかなきゃですよね」

 わたしが左手でガッツポーズを作ってみせると、そんなわざとらしさに気づきもせず、おじさんたちはそうだそうだと口々にうなずいた。かえるの合唱である。

「ところであんた、いくつになるの?」と向かいのおじさんが尋ねる。

 いくつに見えますぅ、などという質問返しはしないことをポリシーとしている。

「今年で四十二になります」

「……」

 テレビかラジオだったら放送事故レベルの沈黙が襲う。黙るんじゃないよ、と思う。 あんなに威勢のよかったおじさんたちがシーンとおとなしくなり、バツが悪そうにしている。おかしくて笑いが漏れそうになった。

 わたしは、もう一切れ鯉のあらいをすくい、酢みそにつけてばくりと食べた。たんぱくな味があっさりしていて小気味よい。コップに残った日本酒をくいっと飲み干し、
「結構なものをいただきまして、ごちそうさまでした」と礼を言い、何ごともなかったように笑顔を崩さずおいとました。 

 歳をとるたび、腹回りと神経は太さを増すような気がして、複雑な女心である。

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