笑う女

ひとり飯を喰らう人が好きである。  

いつだったか、月島の店でひとり、お好み焼きを食べている青年を見かけたことがある。私は連れの肩越しに彼を見ていた。とても楽しそうだったから、ついつい目が離せなくなってしまったのだ。青年は丁寧にお好み焼きを焼き、ソース、マヨネーズ、青のりをかけて仕上げた。それから手を合わせていただきますをして、ヘラで器用に一片を切り出して口に運んだ。青年が満足げな笑みを浮かべながら、実においしそうに食べる様子は感動的ですらあった。私もあんな風に食べる人になりたい。あの青年の姿は私にとって、ひとり飯の理想型である。

先日の夜、近くでひとり飯をして帰ろうかと考えながら地下鉄の駅の階段を上りきったところで、膝の辺りにガツンと何かがぶつかり、「痛っ」と声が漏れた。すみませんと言いながら、大きなカバンを下げた若い女が足早に私を追い越していった。カバンの角が私の膝裏をヒットしたのだ。

少しばかりの苛立ちを抑えつつ歩いていくと、信号待ちをするさっきの女に追いついた。どんな顔をしているか見てやろうと視線を上げると、女は笑っていた。ひとり、ニヤけているのだ。微笑みという領域をはるかに超えている。通りの向こうから漏れるかすかな明かりに照らされ、彼女の笑う顔が暗闇の中に浮かび上がっていた。

怖っ。

不可解な笑顔にかきたてられた恐怖心から、私はその笑顔の訳を探ろうとして、彼女の耳にイヤホンを探した。ケータイで誰かと話していて、相手の言葉に笑ったのかもしれないと思ったのだ。しかし、当ては外れた。

なぜだ、なぜ笑っているのだ。

ふと、横断歩道の向こう側にある人影が目に入った。暗くて姿がよくは見えないが若い男のようだ。ははん、そういうことか。あの男は恋人に違いない。待ち合わせでもしているのだろう。なるほど女は、通りの向こう側を見て笑っているようにも見える。男は彼女に気づいていないようだが、彼女は彼に気づいたのだろう。なるほどと、彼女の笑顔の訳に思い当たって、気持ちが落ち着いた。

信号が青に変わった。

女は大きなカバンを肩にかけて持ち直すと、待ちきれない様子で駆け出した。恋って素晴らしい。若いってうらやましい。

彼は彼女に気づく素振りがない。まったく鈍いぜ、お兄さんよぅと思いながら、若いカップルの逢瀬を目撃しちゃおうと見ていたら、女は男を通り過ぎた。赤の他人のようだ。予想外の展開に私は焦り、目で女を追った。彼女は勢いよく、近くの牛丼店に駆け込んでいった。そう、女の笑顔の訳は牛丼だったのだ。

拍子抜けしているうちに、信号は赤に変わった。私の心持ちも変わった。女はひとり飯を喰らう人であった。

キン肉マンばりに牛丼にテンションを上げられる彼女がすごいのか、彼女をあんな笑顔にさせる牛丼がすごいのかはよく分からないが、私は胸がすく思いがして、心の中で「グッジョブ」という掛け声とともに親指を立てた。

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鯉のあらい

 fish_koi 先日、またひとつ歳をとった。
 疲れがとれない。ちょっと食べたらすぐ太る。
 歳上のおねえさんたちが口々にいっていたことを実感する今日この頃だ。

「おねえさん、上がっていきなさいよ」

 実家に帰省中、近所のおじさんたちの宴に誘われ、断りきれず上がらせてもらうことになった。

「はいよ、飲める口なんでしょ」とコップを渡され、秋田の酒をなみなみとつがれる。

 おじさんたち5、6人が囲むテーブルには、和洋中の料理が入り乱れてところせましと並ぶ。

「このシューマイ、うまいよ」と勧められたり、「こっちも食べて」と回鍋肉の盛り皿やポテトサラダが回ってきたりして忙しい。そのお宅の奥さんが、これもどうぞと、栄養ドリンクと野菜ジュースを手渡してくれる。ちょっとしたカオスである。

 そのなかで、メインは鯉のあらいであった。おじさんの中に、鯉のあらい作り名人がいるらしい。なかなか乙な一品ではある。そういえば、この間聴いた落語にぜいたくな料理として鯉のあらいが出てきた。

 実のところ、子どもの頃に父が作った鯉料理を食べて以来、鯉には泥臭い印象しかない。放っておいたら箸はつけなかっただろうが、おじさんたちが酢みそにつけて食べろ食べろとかえるの合唱みたいに勧めてくる。

 ここは空気を読む。一切れすくって、酢みそにつけて口に入れてみたら、これがうまかった。泥臭さなどみじんもない。日本酒にもよく合う。

「うわあ、おいしいですねえ。こんなにおいしいの初めて食べました」とやや大げさに賞賛しながら、ぱくりぱくりと鯉のあらいを二切れ三切れと口に運ぶと、おじさんたちは満足げであった。

 「東京で働いてます」とか「この夏は暑いですねえ」とか、しばらく世間話をしていると、わたしから一番遠くに座っていたひとりのおじさんが、どういう文脈でそうなったのか分からないが、

「あんた、子どもいないんだろ」と言い出した。

「ええ、おりません」と笑って答えて日本酒を飲む。

「子孫繁栄は人類の義務だよ、あんた。がんばらなくちゃ」と言うので

「がんばります」と笑顔で返して、鯉のあらいをもう一切れすくって食べる。

「まだ独身なんだって? 早く結婚しなくちゃ。相手いないの」

 今度は、その向かいのおじさんが口を挟む。

「ご縁がないもので」

 ほほほ、と笑ってわたしは日本酒を飲む。

「待つばかりではだめだよ、今の時代は。これだと思うオトコがいたら、自分から積極的にいかなきゃ」

 そう言った隣のおじさんは、わたしを励ましてくれているつもりのようだ。

「そうですね、積極的にいかなきゃですよね」

 わたしが左手でガッツポーズを作ってみせると、そんなわざとらしさに気づきもせず、おじさんたちはそうだそうだと口々にうなずいた。かえるの合唱である。

「ところであんた、いくつになるの?」と向かいのおじさんが尋ねる。

 いくつに見えますぅ、などという質問返しはしないことをポリシーとしている。

「今年で四十二になります」

「……」

 テレビかラジオだったら放送事故レベルの沈黙が襲う。黙るんじゃないよ、と思う。 あんなに威勢のよかったおじさんたちがシーンとおとなしくなり、バツが悪そうにしている。おかしくて笑いが漏れそうになった。

 わたしは、もう一切れ鯉のあらいをすくい、酢みそにつけてばくりと食べた。たんぱくな味があっさりしていて小気味よい。コップに残った日本酒をくいっと飲み干し、
「結構なものをいただきまして、ごちそうさまでした」と礼を言い、何ごともなかったように笑顔を崩さずおいとました。 

 歳をとるたび、腹回りと神経は太さを増すような気がして、複雑な女心である。

えびフライ

 えびフライお盆中は通勤電車もすいているなあと思ったのも束の間で、朝の電車もいつもどおりの混雑が戻ってきた。なんだかこの夏は体がいつもよりしんどくて、休日は家でゴロゴロ過ごすというのが定番になっているが、夕方近くにふと気が向いて、巣鴨へ出かけた。大雨が降りやんだあとの平日の地蔵通りには人もまばらだったが、ときわ食堂だけはひっきりなしに客が訪れ、賑わいをみせていた。わたしの目当ては、この店の名物、えびフライ定食である。

 運ばれてきた大きな2匹のえびフライはしっぽとしっぽを交差して、平たい皿に盛られた千切りキャベツの上にのっていた。それらを前にして、えんびフライ、とつぶやいてみる。

 中学校の教科書に載っていた『盆土産』という小説が思い出に残っている。

 「えびフライ、とつぶやいてみる。」という一節で始まる物語の主人公は小学生の少年だ。

 東京へ出稼ぎに行っている父から盆に帰ると速達が届く。それには、土産は、えびフライ、と書かれている。少年も彼の姉も祖母も、えびフライを見たことがない。

 「えびフライ、どうもそいつが気にかかる。」というように未知の食べ物が気になってしかたない少年は、ことあるごとに「えびフライ……」と文脈なしにつぶやいてしまう。訛りが入ると「えんびフライ」に聞こえてしまうのだけれど。

 少年は父親が土産にと運んできた冷凍えびフライのえびの大きさに目を見張り、その旨さのあまりしっぽまでたいらげてしまうほどに感激する。それは姉も祖母もおなじことで、墓参りにいったとき、彼は祖母がとなえる念仏の途中に、「えんびフライ」という言葉が混じるのを耳にする。亡くなった祖父と母に前夜の食卓の様子を報告しているのだろうか、と思い、死んだ母はあんなうまいものを食べたことがなかったのじゃないかと、申し訳ないような気持ちになるのだ。

 すぐに東京に戻らねばならない父親との別れのとき、さいならと言おうとした少年の口から出たのも「えんびフライ」という言葉であった。

 『盆土産』は、えびフライに投影された登場人物たちの心情を鮮明に描き、ノスタルジックな気持ちを呼び起こす佳作である。これほどまでにえびフライを魅力的に描いているものはほかにないと思う。それゆえに、30年近く経った今でも、教科書に載っていたこの物語は印象に残っている。

 しかし、当時中学生だったわたしは、物ごとをナナメに見たい歳頃だったせいか、この話に心つかまれているくせに、「だっせぇ」という感想を吐いた。まるで、えびフライ祭りではないか。たかがえびフライごときに何をそんなにドキドキワクワクして踊らされているのか、とバカにした。

 ところが、ケケケと笑い飛ばしたあとで、気づいてしまった。考えてみたら、わたしは、えびフライを食べたことがなかった。食べたことがあると思っていたのは、どこぞで出された、えびの天ぷらだった。しかもやたらと衣が多くて小指ほどの大きさしかないえびばかり。そもそも、父がえびを好きではないから、我が家の食卓にえびフライが出されることなんてなかったのだ。そのことに思い至った瞬間、わたしは敗北した。少年が揚げたてのえびフライをひとかじりしたときの、しゃおっ、という音が頭の中に再現されたと同時に、えびフライはわたしの憧れの食べ物となったのだった。

 今、その憧れの食べ物がわたしの目の前にある。まず添えてあるレモンを絞りかける。ワガラシを少々つけてソースをかけたえびフライを口に入れると、しゃおっ、と音がした。うまいものを食べると笑みがこぼれるのはなぜだろう。少年と姉のごとく、わたしはあっという間に2本のえびフライをたいらげた。

 お盆は仕事で休めなかったが、あと少しでまとまった休暇が取れる。そうしたら帰省して墓参りをするつもりでいる。先頃亡くなった祖父の墓前で、巣鴨でえびフライを食べたことなど報告しようかなぁと思っている。

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