2月2017

再会と後悔

数年ぶりで、彼に会いに出かけた。

初めて彼と会った時、私はまだ20代だった。

 私はあの頃とは随分違う。当然か。だってもう四十路を超えたのだもの。体力だってずいぶん衰えた。疲れやすくなった。

 けれども、彼は少しも変わっていなかった。1ミリほども。その端整な顔立ちを惚れ惚れと眺めながら、私はため息をついた。

 彼は涼しげな切れ長の目でじっと一点を見据えたままだった。その額には第三の目とやらがしっかり見開かれている。その目には何が映っているのだろう。高々と髷を結い、甲冑に身を包み、彼は今日もまた象に乗っていた。象は機嫌がよさそうに笑っている。

 どんなに祈っても、彼は私だけを見てはくれない。結局、私が彼を見つめるばかりだ。切ないといえば切ないが、癒されるといえば癒される。

 さよなら、また会えるといいけど、と心でつぶやき、私は名残惜しく振り返りつつ彼のもとを去った。

 男前の仏像は数あれど、ハンサムで美男子の仏像といえば、やはり東寺の帝釈天である。2月の初旬、身を切るような寒さに身をすくめながら、私は昔好きだった男に会いにいくような心持ちで京都の東寺を訪れた。

 ほの暗い講堂に足を踏み入れると、そこには弘法大師空海が手がけた21軀の巨大な仏像群で形成される立体曼荼羅がある。感嘆のため息をもらさずにはいられないほどの圧倒的で荘厳な空間である。五智如来、五大菩薩、五大明王、四天王、梵天と帝釈天が威容を誇るが、なかでも左端に陣取る帝釈天には、ひと目見たその日から乙女心を奪われた。あまりの色気とオーラに胸がドキドキしたほどである。うぉーと叫びたいほど感動する仏像は少なくないが、ときめくような胸の高鳴りを体験したのは初めてだったのでびっくりした。まるで恋したみたいだった。hotoke_taisyakuten

 マイナー志向の強い私からすれば、仏像界のアイドルのような帝釈天を好きだなんて、まるで戦隊ものでいったらレッドを好きというような、アイドルグループで一番人気のメンバーのファンを自称するような、学年で一番モテる男子に恋をするようなものだ。まったくもって邪道である。

 例えば、講堂に入るとすぐに目につく梵天は立体曼荼羅の右端に位置し、帝釈天と対をなす。顔が4つに腕が4本もあって、神の使いとされるガチョウの姿をした4羽の鳥の上に座っている。仏像としては派手さもあって、これまた凄くかっこよい。東寺のパンフレットの表紙を飾るほどフォトジェニックである。でもやっぱり、それでもなお、帝釈天を贔屓目に見てしまう。

 やっぱり帝釈天が好きだ。悔しいけれど。

 売店には帝釈天のクリアフォルダが販売されていて(相方なので梵天が写っているのもあった)、やはりその人気が高いことをうかがわせた。店内を2周したものの、その辺のミーハーな仏像ガールと一緒にされたくないという尖った気持ちもあり、まるで多感な中学生みたいに何に対してか分からない抵抗をして、結局買わずに出て来た。で、今そのことをちょっぴり後悔している。素直に買っておけばよかった・・・。