6月2016

薄水色の空

その日の夜、私は上野の焼き肉屋で友人と飲んでいた。焼酎も3杯目のおかわりをした頃、ふと脇においたバックに目をやるとケータイが光っていて着信に気づいた。母からだった。急いで出ると、祖父が亡くなったことを告げられた。詳しいことはまた後で連絡するからと言って電話は切れた。

  lgi01a201406080700祖父は少し前に退院してしばらくは元気で意識もはっきりしていたのに、再び入院になって2日後には娘である母のことも分からなくなり、食べることもできなくなった。祖父に忘れられてしまっていたら耐えられるだろうかと不安ではあったが、翌週には帰省して会いに行くつもりでいた。 朝に母から祖父の容態が安定していると聞いて安心していたところだった。

 友人に祖父が亡くなったことを伝え、もっと早く会いに行っていればよかった、とつぶやくと、「何をしたって後悔は残るんだよ」と父親を亡くしている友人は言った。

 なんだかひとりになりたくなくて、もう一杯、もう一杯と友人を付き合わせ、店をあとにした頃には空が白み始めていた。タクシーをつかまえて帰宅し、部屋でひとりになると泣けてきた。ベッドに突っ伏して、声をあげて泣いた。

 祖父が元気だった頃は、家に遊びに行くと「これ、持っていけ」と自分が作った野菜をたくさん持たせてくれたり、ご飯を作ってくれて「ほら、食え」と出してくれたりした。働き者で寡黙な人だった。

 長生きしてよと言うたび、お前が嫁に行くまでは死ねない、と祖父が言い返すのが長年の私たちお決まりのやり取りだったのに、祖父は逝ってしまった。少し前に見舞ったとき、「まだ私は嫁に行ってないんだから、元気になってよ」と言うと、祖父は「がっかりしちゃう」とまるで泣くようなふりをして右手で顔を覆った。励ますつもりだったのに予想外の反応に胸が痛んだ。私は祖父の望むようには生きられない。そのことを申し訳なく思った。でも、ひょっとして祖父は分かってくれていたのだろうか。時間が経って、あれは祖父なりのおちゃらけだったのかも、などという気がしないでもないが、いくら考えてみても、その場にいた母に聞いてみても、未だに分からない。

 祖父の亡きがらと対面して、その穏やかな顔に安堵した。納棺のときも、お葬式のときも、火葬する直前も、最後の言葉をかけてくださいと言われるたびに思いをめぐらして言葉を探してみたけれど、「ありがとう」しかなかった。

 火葬の間、私たちはお茶を飲んだり、おにぎりを食べたりしながら終わるのを待った。祖父の曾孫にあたる従妹の幼い子どもたちが走り回っているのを眺めていると、祖父からその子たちにつながる系譜が凄いものに思えた。

 火葬が済んで拾骨室に入り、お骨になった祖父を見たら、まるでカチリッと音がしたように私の中で区切りがついた。隣にいた叔母と「じいちゃんの骨、しっかり残っているねえ」と感心した。そして、叔母に祖父との思い出を聞いてもらった。

 5歳の頃である。私は田んぼ道を走る祖父のバイクの後ろに乗っていた。荷台につかまっていた手がすべり、あっと思った次の瞬間、目の前には一面の空が広がっていた。あれ、どうして空しか見えないんだろうと思ったのと、その薄水色の空を今も覚えている。少しして自分がバイクから落ちたことに気づいた。起き上がると、だいぶ先を走る祖父のバイクが小さく見えた。私が落ちたことに気づいていないらしかった。立ち尽くし、やがて私は来た道をテケテケと祖父の家へと走り戻ったのだった。その後覚えているのは、戻ってきて私を見つけた祖父が不機嫌に見えたことだ。今は祖父の気持ちはよく分かる。あれは心配したあとで、私が無事だったことに安堵したゆえのものだったろう。
「私がいないのに気づいてビックリしただろうね」
バイクを止めて後ろを見たときの祖父の様子を想像して、クククッと私たちは笑いを押し殺した。そのあとで、本当におだやかで優しい人だったね、料理が上手だったよね、と祖父を偲んだ。その日のうちに、祖父のお骨はお墓に埋葬された。

 あれから数週間経ったけれど、今でも寝しなにふと祖父のことを思い出して泣いてしまうことがある。私の大切な人がひとり、この世からいなくなってしまった。とてもさびしい。

 でも、私の人生はつづく。私にできるのは、祖父の人生からつながる自分の人生を精一杯生きることのみである。

ある朝、ダブリンバスに人生をみる


ダブリンバス今回、アイルランドではキラーニーへ行こうと決めていた。国立公園があるキラーニーは人気のスポットで、ダブリンからは列車で3時間ほどの距離だ。

ナンバー175のバスに乗れば終点のヒューストン駅まで1時間くらいだと滞在先のファミリーから教えられて、出発当日、余裕を持って朝の7時過ぎに家を出た。9時の列車に乗ることができれば昼頃にはキラーニーに着く。

バスの停留所に着くと同時に、向かってくる175バスが見えた。なんというベストタイミング。これも日頃の行いがいいからだなとニンマリしながら待つ。そんな私をバスは素通りして行った。

なんで!?

一瞬あっけにとられたあと、苛立ちが込みあげてきた。気持ちのやりどころがないので、そばにいた若者にその思いをぶつける
「175バス、止まらないで行っちゃったんだけど」
「満員だったんじゃないかな」
肩をすくめて、若者は軽い感じで言った。まるで他人事である。まあ、他人事なんだけど。
「満員じゃなかった。見たもの」
やるせなくて私は独り言のようにつぶやく。そうして、自分がいかにダブリンバスが嫌いだったかを思い出した。

ダブリンバス。ダブリナーズ風に発音するところのドブリンブスである。今は電光掲示板があってバスの到着時間が分かるようになっているが、昔はバスがいつやってくるのか皆目見当がつかなかった。というのも、バス停に張られている時刻表は、そこに到着する時刻ではなくて、最寄りの大きな停留所を出発する時間しか書いていなかったからだ。地元の人と違って、よそ者にはメインの停留所からどれくらいかかるかなんて分かるわけがない。そんなわけで、停留所に人がいたらそろそろ来るのかもなんていう具合に勘を頼りにバスに乗っていた。しかも運転も荒いし、親切とは言い難い運転手に当たることも多かった。あるときなど、私用のケータイが鳴った運転手が路肩にバスを停めて電話に出たから驚いた。まあ、あれから20年近く経っているから、さすがにそんなことはないと思いたいけど。 

若者が他のバスに乗って去ると、停留所には私ひとりになった。気を取り直して次の175バスを待つことにする。電光掲示板によれば次の到着は20分後だ。余裕を持って家を出てよかった。

バスがもう少しで到着という頃になると、あちらこちらから人が姿を現してきた。他のナンバーのバスと連なってやってきた今度の175バスは素通りすることなく停車し、乗車口がプシューッと音をたてて開いた。そこへ駆け足でやってきた学生らしき男子とスーツ姿の男性が飛び乗った。次に続こうとしたそのとき、サングラスをかけた白髪の運転手が手のひらを見せて私を制止した。制限人数を超えた、と言って。

え、だって最初に待っていたのは私なのに。そんなことあっていいわけ? その理不尽さに、まるでいわれのないイエローカードをもらったサッカー選手のごとくジェスチャーで抗議したが、レフェリーばりに運転手は同じセリフを繰り返した。こんなこと彼にとっては日常なのであろう。非情にもドアはプシューッと音をたてて私の目の前で閉じた。あうっ。さっきとは比べものにならないくらい腹立たしい。くっそー、だから嫌いなんだよ、このドブリンブスがっ!

まぶたに残った運転手のサングラスが気取った感じで余計に私を苛立たせた。例えが古くて申し訳ないが、彼のサングラスは『西部警察』の渡哲也演じる大門を彷彿とさせた。そんなわけで、私はあの運転手をダイモンと命名した。

さらに待つこと20分。バスの到着が近づくと姿を現す人々が敵のように思えてきて、こいつらを蹴散らしてでも今度こそ乗り込まねばという心理状況に陥りながら、3度目の正直で私はようやく175バスに乗り込むことができた。さほど混んでもおらず、私の闘志は空回りである。この時点で、すでに8時になっていた。

アラフィフぐらいであろうショートカットの美形の女性の隣の席に座る。知っているけれども、念のため尋ねてみる。
「ヒューストン駅に行きたいんですけど、どのぐらいかかりますか?」
「早ければ50分くらいだけど、道が混んでいればもっとかかるかもしれないわね」
やっぱりそうだよね。時計を見てため息をつく。
「列車に乗るのね。何時発?」
「9時です」
女性は時計を見ると、ふうっと息を吐いた。
「間に合わないかもしれないわね。次の列車の時刻は?」
「9時のを逃したら次は11時です」

やっぱり間に合わないよなあ。ダイモンの顔がよぎり、またイライラが再燃した私は、こういうのってウザいかもと思いつつも、憂さ晴らしに女性にことの顛末を話した。彼女は気の毒そうな顔をし、2時間は長いわね、と言った。

気が短い私は、何が嫌いと言って待つのが嫌いだ。しかも待たされてイラつく自分の小ささに後で自己嫌悪におちいる、というのがお決まりのパターンである。でもそれは避けたい。落ちそうになる気持ちをなんとか奮い立たせようと深呼吸をする。

どれくらい経っただろうか。ふと前方に目をやると、停車しているダブリンバスが見えた。そのナンバーは175であった。ダイモンが運転しているであろう先発の175バスである。道が混んでいたのと満員だったせいで時間をくったに違いなかった。追いついたんだと思った矢先、私のバスがダイモンのバスを追い越した。ざまあみろ、ダイモン。少しばかり胸がすっとする。でも、あのバスに乗れたとしても9時の列車には間に合わなかったということか。

バスはダブリンの中心街シティセンターへ入っていく。ヒューストン駅にも近づいてきたなあと思ったとき、少し先の停留所に止まる1台のバスが目に入った。なんとそのナンバーも175。おそらく私を素通りしていったバスであった。それが走り出し、私のバスが後に続く。2台の175バスは連なってヒューストン駅へのルートをたどり、次の停留所で同時に停車した。 

最初のバスに乗れたとしても、駅に着く時間は変わらなかったということか。まあ、それでも列車に間に合いそうにはないけれど。と思ったその時である。まだ停車したままの前の175バスを私のバスが追い越した。ヒャッホー!

「もしかして、あなた間に合うかもしれないわよ」
隣の席の女性が腕時計を見て微笑んだ。

その時点で8時45分ぐらいだったと思う。間に合うだろうか。再び希望がわき上がってくる。そして停留所での出来事を思い起こす。バスに素通りされたこと。あとから来た人たちに先を越され、ダイモンに乗車拒否をされたこと。敵を蹴散らす心持ちでこのバスに乗り込んだら、案外すいていたこと。そして、このバスが次々と先発のバスを追い越したこと。最終的に自分が乗ったバスが最初に到着するなんて。乗るのが早ければいいというものでもなかったな。これってまるで人生みたいじゃないか。なあんだ、焦ってイライラするんじゃなかった。

8時53分。無事にバスはヒューストン駅に到着した。私は隣の女性に挨拶をしてバスを飛び降り、駅構内へと駆け込んだ。 

あとは切符を買うだけだと思ったが、悲しいかな、そうスムーズにはいかないらしい。窓口には行列ができていた。窓口が3つあるのに開いているのは1つだけだ。なんでだよ、効率悪すぎるだろ。ゾンビのようによみがえってきた苛立ちを抑えながら数えてみると、私の前には7組も並んでいた。もう5分しかないし無理かもしれない。ここまで来て結局間に合わないのか。どのバスに乗ったとしても結果は同じだったということか。何がまるで人生だ。やっぱりだめじゃないか。ああ、南無三とばかりに私は高い天井を仰ぐ。カトリックの国で。

ところが、である。予想外に列はスピーディに解消されていき、私の番がやってきた。キラーニーまでのチケットを購入し、それを握りしめると急いで改札を通り抜け、ホームに停車している列車へと飛び乗る。

ああ、間に合ったと思ったとき、出発のベルが鳴った。