ノルウェイの森とNorwegian Wood
代々木にあるノルウェイ発のカフェ、フグレントウキョウで友だちと待ち合わせをした。ウッディな印象で、外壁に密着したベンチと小さなテーブルが等間隔で置かれていてテラス席のようになっている。平日の昼間だというのに、雑談にふける人たちやパソコンを持ち込んでなにやら作業をしている人たちで込み合っていた。なかなか洒落たカフェだった。
友だちとサヨナラしたあと、ノルウェイつながりでビートルズの曲「ノルウェイの森」について考えた。村上春樹の小説のタイトルにもなっている。冒頭で主人公が乗った飛行機からあの曲が流れるのだったかな。音楽に詳しくない私でも、この曲は数えきれないほど耳にしてきた。「ノルウェイの森」 というタイトルもあって幻想的なイメージを漠然と抱いていたのだけれど、今やあの邦題は誤訳とされているらしい。普段、音楽を聴くとき歌詞のことは深く考えないのだけれど、興味がわいて、この曲の歌詞をひもといてみることにした。
原題はNorwegian Wood。確かにこれはノルウェイの森のことではない。おそらくノルウェイ産の木材のことだ。ポール・マッカートニーの言葉を借りれば、いわゆるチープなパイン材のことである。でも邦題が「ノルウェイの木材」じゃあかっこわるい。「ノルウェイの森」というタイトル自体は趣があってとてもステキだし、誤訳うんぬん関係なく、それはそれでいいんじゃないだろうかと思うのが正直なところだ。でもまあ、本来の意を汲むならば、最近多く使われている原題そのままの『ノーウェジアン・ウッド』 (ノルウェイジャンよりも、こっちの表記が広く使われているようだ)とするというのが妥当なところだろう。
副題にThis Bird Has Flownとついている。「鳥は飛んでった」ということだけれど、bird は girlを意味する。これはつまり女の子に逃げられてしまった男の歌なのだ。
そもそもこの曲は、ジョン・レノンの情事を歌にしたと言われている。ポール・マッカートニーによれば、最初の2行だけがジョンのなかで出来上がっていた。その後に続くストーリーが浮かんで、それを歌詞にしたらしい。
I once had a girl ちょっと親しくなった女の子がいた
Or should I say she once had me 彼女にしてやられたって感じかな
普通に解釈すると、I once had a girlは「僕にはかつて恋人がいた」となる。でも、あとの歌詞を考慮すると、モノにしようとした女の子がいた、ぐらいの感じかなと思う。2行目の「それとも“she once had me” と言ったほうがいいかもな」という言い方は、she played me. (彼女にしてやられた)と言うニュアンスも含んでいるように思う。関係性のイニシアチブは彼女が握っていることがわかる。
She showed me her room 彼女は僕に部屋を見せてくれた
彼女は“僕”を部屋に入れたわけだけれども、ここから察するに、“僕”にとって彼女の部屋を訪れるのは初めてなのだろう。
Isn’t it good, Norwegian wood? ねえ、ステキでしょ? ノルウェイの木なのよ
これは、多分彼女のセリフだ。彼女の部屋はノルウェイの木で内装されているのだ。
タイトルにもなっているNorweigian woodについて、村上春樹がエッセイの中である逸話を紹介している。ジョージ・ハリソンのマネージメントをしているオフィスで働くアメリカ人女性から聞いた話だそうだが、実はもとのタイトルは “Knowing she would” だったというのだ。もしそうなら、Isn’t it great, knowing she would?は、彼女ではなくて“僕”のセリフになる。「彼女がヤラせてくれるってわかってるってステキだよな」というニュアンス。けれどもそんなタイトルはけしからんとレコード会社が文句をつけた。そこで語呂合わせのようにしてジョン・レノンがNorwegian woodという語句を思いついてタイトルにしたのだそうだ。
実際のところ、ジョン自身はタイトルの由来を思い出せないと述べている。一方でポールは、当時ノルウェイ産の木材、前述したパインの木を使った内装が流行っていたのだけれど、Cheap Pineというタイトルではイケていないから、この曲名にしたのだと語っている。でも、今でも“knowing she would”説はファンの間で根強くあるようだ。真相は謎である。だからこそ人々のイマジネーションがかき立てられるのだろう。
She asked me to stay 彼女は泊まっていってと言った
And she told me to sit anywhere 好きなところに座ってと言うから
So I looked around 周りを見回してみたけれど
And I noticed there wasn’t a chair 椅子はひとつもなかった。
なんだそりゃ、とツッコミたくなるのは私だけだろうか。日本家屋をイメージすると違和感がないかもしれないが、舞台は西洋のおうちだ。座れと言われても椅子がないという状況はいささか妙ちきりんなのだろう。ナンセンスな感じが滑稽に思えて、私はこのくだりが結構好きである。
I sat on rug, biding my time 僕はラグの上に座ってチャンスをうかがった
bide one’s timeは、「好機を待つ」とか「機が熟するのを待つ」という意味合いがある。 椅子がないから仕方なくラグに腰を下ろした“僕”の下心がひしひと伝わってくる一行である。
Drinking her wine ワインを飲みながら
We talked until two 僕たちは2時まで話をした
And then she said, “ It’s time for bed” そこで彼女が言った “もう寝る時間よ”
1時でもなく3時でもなく、2時なんだなあ。なんだろう、この2時に漂うスペシャル感は。もう日付は変わっているけれども、まだ新しい日は動き出していなくて、去ったはずの昨日の余韻がとっぷりと感じられるそんな夜の時間。それは彼女の一言で幕引きとなる。
She told me she worked in the morning 朝から仕事があるのよと彼女は言い
And started to laugh 笑い出した
I told her I didn’t 僕はないよと彼女に告げて
And crawled off to sleep in the bath バスルームで寝るために仕方なくその場を離れた
clawlは「這う」という意味があるけれど、実際芋虫のように這ったわけではない。もくろみが外れてがっかりした“僕”がすごすごとバスルームへと向かう様子が表れている。“僕”は彼女に敗北を喫したのだ。小悪魔キャラかなんなのか、したたかな女だ。映画なんかで時折こんな感じの女が出てくるが(蒼井優が演じそうだ…。)、多分友だちにはなれないと思う。ちょっぴり、“僕”が気の毒である。それにしても、どうしてバスルームで寝るのかとイギリス人に尋ねてみたところ、床で寝るよりもあの細長いバスタブのほうが寝心地がいい場合があるんだよ、とのことだった。
And when I awoke I was alone 目覚めると僕は独りだった
This bird has flown 鳥は飛び立っていた
“僕”が目を覚ますと、彼女が家を出たあとだった。家に他人をおいて出掛けてしまうんだと驚いてしまう。ふぅむ、彼女ってどういう神経をしているんだろうか。それとも2人の間には私が思った以上の親密な関係性があるんだろうかと疑問がわかないでもないが、とにかく彼は独り部屋に残されてしまったわけだ。
So I lit a fire だから僕は火をつけた
ここの一行の解釈の仕方で、この歌のイメージが大きく変わる。「タバコに火をつけた」とか「暖炉に火をつけた」と思う人もいるようだ。私も最初はそうなのかと思った。狙った女の子に袖にされた“僕”がタバコをふかしながら、あるいは暖をとりながら部屋を眺める。そして彼女の「ねえ、ステキでしょ? ノルウェイの木なのよ」というセリフがリフレインする、というアンニュイな青春ドラマのような色合いを帯びたエンディング。けれども、実のところは違う。あえてそうしなかったとポールも言っている。“僕”はノルウェイの木で内装された彼女の部屋に火を放ったのだ。その気にさせておきながら男をバスルームで寝させた女へのリベンジとして、Norwegian woodを燃やすというアイデアをふざけ半分で思いついた、とポールはインタビューで語っている。
Isn’t it good, Norwegian wood? ステキじゃないか、ノルウェイの木ってさ
だから、この最後のセリフは “僕”のものだろうと思う。よく燃えているのであろうノルウェイの木を見て、彼は彼女と同じセリフを言うのだ。
勝手に幻想的なイメージを抱いていたが、ふたを開けてみればクレイジーな歌だった。ヤレると思ったのにあてが外れた男のリベンジの歌なのだから。コケにされて悔しい気持ちはわかるけど燃やしちゃうってどうよ……。あけてびっくり玉手箱とはこのことだ(って古いか……)。
フグレントウキョウを訪れてから数日間、あれやこれやとこの歌について思いを巡らせていて、“僕”は彼女と恋人ではなかったみたいなのになぜ、 I once had a girlなんて言ったのかしらなんていう質問をイギリス人の同僚にぶつけたりした。それは多分、そのほうが語感がいいからだよ、深い意味はないさ、歌詞なんてそんなものだよと、彼は言った。そしてハーイと挨拶するたび、まだNorwegian Woodのことで頭を悩ませているのかい、なんてからかわれたりした。うん、と私が笑って答えると、そりゃクレイジーだな、と彼は笑った。でも私としてはそのクレイジーなのが楽しかった。ノルウェイの木材で内装された椅子のない彼女の部屋や、午前2時を迎えるまでの“僕”の様子や、朝起きたときの”僕”を想像するのは、なかなか面白かった。部屋を燃やされた彼女はどんな反応を見せるのだろうか。いや、すべては“僕”の妄想かもしれない。
もちろん、私とは違う解釈をする人もいるだろう。曲というのは、聴き手がいつどこでどんな心境でそれを耳にしたのかによって印象や思い入れが異なるものだ。呼び起こされる光景やイメージだって異なる。ジョンは3行目以降はポールが作ったと認めておきながら、後年、あの曲は完全に自身の手によるものだと前言を翻すような発言をしているし、ポールがインタビューで語ったことが全ての真実とは限らない。だからこそ Norwegian Woodという曲について、今でもいろんな人がいろんな思いを巡らせていろいろな解釈をしているのだろう。その意味で、この『ノルウェイの森』と名付けられた曲Norwegian Woodはある種のファンタジー(幻想)なんじゃないだろうかなんてことを、あのメロディを聴きながら思った次第である。