2月2016

ある日、変態について考える

あるとき、あるひとがお茶をすすりながら言った。

「そうは言っても、君も実は変態でしょう? うん、変態だと思うよ」

 分かるんだよ、なぜなら僕も変態だからね、とそのひとは自信ありげに続けた。それから数週間後、知人たちと歓談中に、なかのひとりから至極カジュアルな感じで、「そうは言っても、そういう自分、変態やんか」と指摘を受けた。そのひとも、分かるさあ、俺も変態やからな、と続けた。私はごく短期間に、繰り返し変態認定を受け、そのたびにエヘへと笑ってやり過ごしたけれども、複雑な心境におちいった。自分を変態と思ったことなんてないもの。そもそも、変態ってなんだよ。

 変態というと、一般的に広辞苑によるところの、「正常ではない性行動をすること。また、そのような傾向をもつ人」を第一に想起させるが、彼らの意味するところは、そっちではなく、「普通の状態と違うこと。また、そのさま」のようである。 

 まあ、そう考えれば、少しばかり合点がいく。

  069843あるとき、母と食事をしていたときのこと。なんの話をしたのかはまったく覚えていないが、母が驚きのあまり目を見開いて、フォークとナイフをカチャッと音をたてて皿に置いた。その音と光景は今でも鮮明に記憶に残っている。母は言った。

「あんた、自分のこと普通だと思ってるの? 言っておくけど、普通じゃないよ?」

 びっくりしたけれど、母の言い方は、いわば、あなたは白鳥じゃなくてあひるなのよ、みたいな、それをちゃんと心しておかなきゃだめよ、という愛にあふれていたので、まあ親から見たらそんなものかと思って、えへへと笑って聞き流した。

 時折そんなふうに、普通じゃないんだから、それを認めなさいね、という人生におけるアドバイスをいただくことがある。たいていその人たちの言い方も優しさにあふれているので、そのたび、えへへ、また言われちゃったとその場をやりすごす。 

 確かに、私を変態だと指摘したひとたちの言い方もポジティブだし、私のことを買ってくれているらしいというのは分かった。でも、私がノーマルですけど何かみたいな体でいることがもどかしいようだ。だから、彼らは言う。ユー、認めちゃいなよ、変態だってことをさ。

 連続で言われたせいもあって、いよいよ、自分は変態なのだろうか、という気になった。

 そこで、周りの人たちに「私、変態らしいんですけど…」と持ちかけると、大きく二派に分かれた。「でしょうね」とか「今頃気づいたの」と静かにうなずく肯定派と、「そんなこと言ったら、誰だって変態よ」とか「私も私も!」という主張派である。後者の場合は、どうも変態を「個性的」というニュアンスでとらえているようだ。私の意味するところは異なるが、いずれにせよ、変態は感覚的に選定されるようで、これだから変態という確固たる条件みたいなものはないようである。

 じゃあ、私の何が変態なのかと考えるあまり、頭が変態のことでいっぱいになったので、TSUTAYAに駆け込み、変態について何かヒントがあるかもしれないとの期待から『変態仮面』を借りた。その名のとおり、正義の味方の変態の話である。正義の味方だけれども、変態ゆえに賞賛されないという哀しきヒーローでもある。主人公の男子高校生は女の子のパンティをかぶると変態仮面になるのだけれど、本人は自分は変態ではないと否定し、葛藤する。それなのに、敵のニセ変態仮面のほうがはるかに変態度数が高いことにショックを受けるという矛盾。私がこの映画から何を学んだかといえば、そんな矛盾を誰しも抱えている、ということである。もはや私だって、「ほら、君なんて大したことないよ。あいつのほうが君なんかよりずっと変態だ」と言われたら、ちょっと悔しい気持ちになるだろう。

 ふと、高校生の時に太宰治の『トカトントン』の読書感想文で書いた一文を思い出す。「今はまだ、自分が凡人であるとは思いたくありません」と高校一年生の私は書いた。でも、別に凡人がイヤだったからだといって、変態になりたかったわけではない。賞賛されるひとになりたかったのだ。“万人ウケ”というのに憧れていた。けれども、それを告白するたび、どのひとも笑って「それは無理な相談だな。君はそういうタイプじゃない」と私に告げた。

 まわりのおとなが口癖のように「普通がいちばん。平凡がいちばん幸せなのよ」と言っていた。そういうのはイヤだと思いながらも、気づいたら「長いものには巻かれろ」をモットーに生きていた。やっぱり、平凡が幸せなんだろうなあ、結構、適応力あるよな、私と思っている自分がいた。しかし、しめしめと思いながら生きていると、いきなり冷や水を浴びせられるものだ。あるとき、食事した帰り道の電車のなかで、人生の先輩が別れ際に言った。「あなた、自分を出していったほうがいいわよ。ニコニコしているただのいい人にしか見えないから。中身は全然違うじゃない」

 私はそのときも、えへへと笑ってやり過ごしたけれど、その言葉には、私の何かがうまくいっていない残念感があふれていたから、ぐさりと胸に刺さった。一市民としてそこそこいい人であろうと心がけて生きている自負はあるが、ただのいい人、と言われると虚しさが漂うのはなぜだろう。いつの間にか、私は、ただのいい人の仮面を被っていたということか? まさか、 いい人の仮面を被った変態? 問題は複雑さを増す。

  んもぅ、そもそも変態ってなんだよ? どうして私を変態だっていうんだよぅ。暇にまかせてそんなことについて考え続けたら、いよいよめんどうくさくなってきて、私は部屋の床に寝転んで、そのいっさいがっさいの疑問を放置してやった。

 そんなわけで、それらはまだ、うちのカーペットの上に転がったままである。

王子さまのバラと砂漠に咲く花

 うわばみ-300x194仕事で子どもの相手をすることが多いのだけれど、ある日、小学2年生の女の子がノートにゾウをこなしているうわばみの絵を描いていた。我慢できず「それが帽子じゃないってこと知ってるよ」といたずらっぽく言うと、その子は私を見上げて、ちぇっという顔をした。おとなげなかったかしら、と思いつつも、あれを帽子の絵だと思い込まない大人になったことに鼻が高かった。それはひとえに、サンテグジュペリと星の王子さまのおかげである。

 ちょうどそのとき読んでいた本のなかに、こんなセリフが出てきた。

「ひとが何かを憎むのは、実はそれを恐れているから」

 それで王子さまのバラを思い出した。

 lp_4私が『星の王子さま』に触れたのはアニメが最初だった。♪プチプランス プチプランス ルルルルルルル〜と、主題歌を今でも頭から歌える。自尊心が強くて、傲慢でわがままで王子さまを振り回すバラは、私に強烈な印象を残した。彼女の言葉に戸惑い、つらくなった王子さまは自分の星を去ってしまう。すでにおとぎ話の刷り込みで“王子さま”という存在そのものが圧倒的な正当性を持っていたから、私はバラに腹を立てた。高慢ちきで憎たらしいと思った。たぶん、生まれて初めて何かを憎いと思ったような気がする。私はバラを恐れていたんだろうか? 

 それから少し大きくなって原作を読んだときも、やっぱりバラはいけすかないと思った。でも、大人になって読み返してみたら、バラの弱さや脆さが垣間見えた。肯定的に見えた王子さまの優しさって、実は相手を傷つけるパターンのやつじゃんと、ちょっぴりバラに同情した。なにせ王子さまは彼女のもとから逃げたのだ。それは傷つくよなあと思う。でももちろん、そうしむけてしまったのはバラなわけで。瀬戸内寂聴が「男と女はフィフティフィフティ」と言い切っていたのを思い出して、妙に納得した。

 バラは美しさと、守ってあげなきゃと思わせる術をもって、遠く離れても王子さまをとりこにする。なんていったって王子さまに、「もしも誰かが、何百万もの星の中のたった1つの星に咲く花を愛していたら、その人は星空を見るだけで幸せになれる」と言わせちゃうんだから。幼いながらも、私は自分がバラのような性質を持ち合わせていないことを直感して、ジェラシーを感じたのだろう。自分にない何かを持っている相手というのは、確かにこわいものだ。

 331464B0-3E69-11E1-88F3-CE01CD288735_lとはいえ、バラはこの世に1本しかないと思っていた王子さまの思いは、庭園に咲き乱れるたくさんのバラを見たときに揺らぐ。あのバラは普通の花で、そんな花しか持たない自分をちっぽけだと悲しむ。でも結局は、誰かとの間に絆ができれば、その相手も自分も世界でたったひとりの特別な存在になるのだということ、その相手に対する責任が伴うのだということをキツネから教わり、バラへの思いを強固にする。そうして、「大切なものは目に見えない」ということを学ぶのだ。

 ただ、自分にとって大切なものに気づくのはステキなことだけれど、王子さまが庭園のバラたちに言葉を投げつける場面はいただけない。自分のバラが特別だという思いから、「きみたちはぼくのバラとぜんぜん似てないよ」と庭園のバラたちを当惑させ、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」なんて言い放っちゃうんだから。時に恋する者はやっかいだ。コラコラ、それは浅はかってもんだよ、と王子さまをしかってやりたい。王子さまにとって特別でないからといって、責任がないからといって、庭園のバラたちに価値がないなんてことはないのだ、絶対に。

 それは砂漠に咲く一輪の花にだって、同じことが言える。

 D7912EF2-3E68-11E1-8C44-C701CD288735_l砂漠を縦断していくうちに、王子さまが出会ったのは一輪の花だけだった。花びらが3枚しかない、ごく地味な花。
「こんにちは」と王子さまは言った。
「こんにちは」と花も言った。
「人間はどこにいますか?」と王子さまは丁寧に尋ねた。
 花はいつか、キャラバンが通るのを見たことがあった。
「人間? 6人か7人はいるはずよ。何年か前に見たことがあるわ。だけど、どこにいるかは誰も知らないの。あれは風に飛ばされるでしょ。根がなくて生きるのって大変よね」
「さようなら」と王子さまは言った。
「さようなら」と花も言った。(『星の王子さま』池澤夏樹・新訳 集英社)

 バラのような美しさを持ちあわせておらず、王子さまの興味をひくこともない地味な花。でも私は、砂漠に根を張って孤独に生きるその花に魅力を感じてしまう。そこにはどんな世界があるのだろうと興味をかきたてられる。私とその花の間にはなんの絆もないし、私はその花になんの責任も持たない。その花は私の気持ちをつゆとも知らない。それでも、やっぱりその花には尊厳があり、価値がある、と思う。

 幼い私がバラを憎らしく思ったのは、どこまでもわがままなのに王子さまにとって特別な存在だったからだ。a roseではなくthe roseであるバラ。ただキレイってだけでずるい、と思った。私だって特別な何かになりたいけれど、バラのように振る舞ったら嫌われてしまう。いつの間にやらそんな思い込みとともに、何者でもない自分の存在の軽さに苦しんだ。それはたぶん、誰かにとって特別な存在であることと、そのものの尊厳や価値を混同してしまったからだ。

 あの庭園に咲き乱れるone of themであるその他大勢のバラにだって、砂漠に咲く一輪の花にだって、王子さまのバラと同じだけの尊厳がある。それは別の誰かによって左右されるものではない。そう思ってはいても、傷つくたびに王子さまのように泣いたり揺らいだりしてしまうけれど。いわゆる大人になった今、もはやバラを憎いとは思わない。王子さまが星に戻ってきたら、素直になれるといいね、と思う。