1月2016

中年を笑うな

いつものように仕事を終えた帰り道、副都心線の池袋の改札を出たとき、アラサーで絶賛婚活中の同僚がまゆをひそめて「みっともない」とつぶやいた。彼女の視線を追うと、改札のすぐそばの柱の前で人目をはばからず盛り上がっている中年カップルがいた。化粧っけもなくフリースを来たラフな恰好でオシャレとはお世辞にもいえない女のほうは涙を浮かべている。これまたあか抜けているとは言い難い男のほうはそれを恍惚とした表情で見つめている。あら〜、シンデレラエクスプレス的なシチュエーションかしらんとのんきに彼らを眺めたあとで、そのフレーズを同僚は知らないかもしれないと思った。

247426「人前でいちゃつくなんて。いい歳をしてみっともない」
同僚は軽くご立腹である。
「大目に見てやってよぅ」
私は見ず知らずの中年カップルの肩を持つ。
「優しいなあ」
呆れたように同僚が言う。

 彼女ぐらいの歳のころは、私だって「げげっ、みっともない」と思っていたけれど、今や憂うつな中年となった私は、彼らを笑う気持ちにはなれない。いや、笑えない。 

 同僚と別れたあと、真っ直ぐ家に帰らず、近所のやきとん屋に立ち寄った。文字通り、何かあっても這って帰れる距離にあるこの店を私は気に入っている。ハイボール片手に本好きなちびっこに教えてもらった最近話題のWonderという本を読んでいたら、子どもの世界で孤軍奮闘し、成長していく主人公たちに心打たれて涙した。別に誰にも見られてはいなかったと思うが、涙をふき鼻水をすすると、いい歳をしてみっともない、という同僚の言葉がふと頭をよぎり、客観的に考えて、いい歳をして私ってかなりイケてないなと思った。

 翌日が休みで気が大きくなったのか、なんだか飲み足りない気分になってはしごした。これまた近所の小さなバーに入ると、カウンターにはさほど私と歳が変わらないだろうなという男女が楽しそうに酒を飲んでいた。女性の隣に座り、ウィスキーのソーダ割りを一杯あけてお代わりを頼もうかと思ったとき、バーテンが「このウィスキー、ちょっと珍しくてオススメなんですよ」と言ってPOWERSとラベルに書かれた一本のボトルを棚から取り出した。じゃあ、それをソーダ割りでとお願いすると、ロックで飲むのがよいと勧められた。なにせ次にアイルランドに行く時にはアイリッシュウィスキーを飲もうというだけの思いつきでウィスキーを飲み始めたばかりで、ロックで飲んだことはない。でも、それならと言われるがままロックを試してみたら、これがとてもうまかった。そして、そのことにちょっぴり感動した。子どもの頃に大人が飲むウィスキーをなめて、おえ〜っと舌を出しながら、なぜこんな薬みたいな苦くてまずい液体をおとなは飲むのだろうと不思議に思ったことを思い出したからだ。ロックで飲めるなんて私もオトナじゃんとほくそえんだところで、ふと、あの頃の父ぐらいの年齢に自分はなっているのだなあと漠然と思った。でもそれをどんな気持ちで受けとめていいか分からないから、ただ漠然と受け流した。

 バーテンが振ってくれる話につきあいながらウィスキーを飲んでいると、隣の男女がいっそうの盛り上がりを見せてきた。ところどころもれ聞こえる会話の端々から察するに、彼らは今日この場で出会って意気投合したらしかった。男はまだ少しの余裕を見せていたけれど、女はだいぶ酔いがまわっていて、しばらくすると揺れだした。時折、揺れが大きくなって私の肩に軽くぶつかってくる。でもそのことに気づいていないのかおかまいなしなのか、私に背を向けるようにして座っている女はとなりの男に夢中である。しばらくするとウェーブがおきて、揺れた女の背中が私の左肩にぶつかる。バーテンが申し訳なさそうな顔をして、声を出さずにすみませんと言って片手を上げる。私も声を出さずに、だいじょうぶ、とうなずく。中年に優しくあれ、と言うのが今の私のモットーである。特に今夜は。

 それにしても女はなかなかのはしゃぎっぷりだ。男も平静を装いながらも鼻の下を伸ばしていて気分は上々なのが見え見えである。彼らの今夜の行く先は誰の目にも明らかだ。だったら、うだうだしてないでとっとと行くところに行ってしまえばいいのにと思うが、彼らはもったいぶったように席を立たない。そして女は揺れる。「大丈夫ですか」と声をかけたバーテンに、彼女が隣の男の腕をつかみ、さらに揺れながら言った。
「この人ぉ、いい人なんだよ。43歳のあたしなんかに、優しくしてくれるの」
たぶん、それは彼女の本音だ。そして、それゆえに彼女はこんなに揺れるほどに酒にのまれてしまったんだろう。でも、それを私は笑う気持ちにはなれない。いや、笑えない。
 
 やがて、もつれるようにしてふたりは店から出て行った。「あの女性、あんなに酔うの珍しいんですけどね」とバーテンが言い、ウェーブが去った店内には静けさがもたらされた。あの人、翌朝酔いがさめて後悔しなきゃいいけど、と余計な心配をしたところで、数日前に久しぶりに一緒に飲んだ1つ上のセンパイが放った言葉が頭の中でリフレインした。
「あたしね、反省はしても後悔はしないの」
 ワインを飲みながらセンパイはきっぱりと言った。印象的なフレーズだった。心の中で、センパイの言ったフレーズをエールとともにあの女性に贈った。フリーランスでバリバリと仕事をこなすセンパイは凛としていて揺らぎがない。会うたびその潔さをうらやましいと思う。でももしかして、私の知らないところでセンパイも揺れたりするのだろうか。 

 whisky_glass POWERSのロックを何杯か空けた頃、時計の針が2時を回った。会計をすませて、さあ帰るかと、ひとり寒さに身をすくめる覚悟をして店を出ると、冬だというのに気味が悪いくらいに暖かくて拍子抜けした。暖かいだけで、なんだか何もかもが大丈夫なような気持ちになった。不謹慎かもしれないが、「サンキュー、温暖化」と思った。

 明け方、服をきたまま部屋のカーペットの上に転がっている状態で目が覚めた。家にたどり着いたところまでは覚えているのだが、部屋に入るなり眠りこけてしまったみたいだ。さすがに酔いがまわっていたのだろう。体がだるく重い。くぅ、調子に乗って飲み過ぎた。実家の母にバレたら、まったくいい歳をした女がみっともないと大目玉をくらいそうだ。

 でも。反省はしても後悔はしない。
 ウィスキーがうまかったから、それでいい。