12月2015

サンタクロースがやってきた!

 099981サンタクロースの存在を知ったのは、4歳のときである。その日、同じ町内の祖父母の家に泊まっていた。まだ暗かったような気がするから冬の早朝だったのだろうか。目が覚めて祖母のもとへ行くと、「サンタさんがきたよ」と言う。キョトンとしているとキティちゃんのぬいぐるみを渡された。私と世代が近い人はご存知だろう、横向きのキティちゃんである。それでサンタクロースを知った。見ず知らずの子どもにプレゼントをくれるなんて奇特なおじさんだなあ、というような印象を幼心に抱いた気がする。今思えば、両親も粋な演出をしたものだ。私はすっかりサンタクロースの存在を信じた。 

 我が家へやってくるサンタクロースの正体を知ったのは小学3年生のときである。リクエストしていたのは、家族で遠出をしたときに寄ったデパートの書店で見かけた本だった。けれども町内の本屋にはそんなラインナップがあるはずもない。当然、今のようにAmazonなどないし、クリスマスの朝、枕元に置いてあったのは全然違う本だった。でも、サンタさんにもいろいろ都合や事情があるのだろう、とさほど気には留めなかった。そういう子どもだったのである。それよりも、サンタに書いた手紙の返事があったことに興奮した。胸の高まりを抑えつつ手紙をひらいた瞬間、私の夢は打ち砕かれたのだけれど。そこには筆ペンで書かれた達筆な字が並んでいた。しかも縦書き。「ああ、お父さんか……」と思った。

 その翌年だったと思う。サンタに何をお願いするつもりなのかと5歳上の兄が聞いてきた。兄は小遣いをためるということに長けていて、私からすればちょっとした小金持ちだった。そして私はその時点で、兄がサンタクロースになるつもりだなと感づいた。私はチョコやキャンディの詰め合わせをリクエストした。といってもただのスーパーで売っているようなお菓子ではない。女の子向けの雑貨などを扱うファンシーショップで1個10円ぐらいでバラ売りされている、包み紙もポップなオシャレなチョコやキャンディである。翌日、私の枕元には私が望んだとおりのキャンディやチョコがぎっしりつまった小箱が置かれていた。中学生の兄があんな女の子のお店に入るのは恥ずかしかったんじゃないだろうかと思い、何よりもその気持ちがうれしかったのを覚えている。サンタクロースがくれたことになっているから兄には何も言わなかったが、喜んでいる私を見て、兄は満足そうな顔をしていた。 

 兄のサンタクロースはひとつ下の弟のところにもやってきた。弟はまだサンタクロースを信じていた。手紙の一件のあとも、私は弟に何も言わなかったんだろうと思う。我ながら出来た姉である。

 さて、弟がサンタクロースにお願いしたのはドリルロボであった。乗り物がロボットに変身するというこの玩具シリーズを弟はコレクションしていた。当時で1つ600円くらいだったと思う。繰り返しになるが、Amazonのない時代である。町内の小さなおもちゃ屋にはドリルロボの在庫がなかったらしい。サンタクロースから弟へ届いたのは、ドリルロボではない違うロボ2体だった。

santa-back弟はこれに満足しなかった。母が朝食の用意をしているのを待っている間、食卓で父に不満をぶつけた。

「ねえ、どうしてドリルロボじゃないの? ボクはサンタクロースにドリルロボを頼んだんだよ」
 
父は少し困ったような顔をして、
「どうしてかな、サンタさんにも都合があるんじゃないか。でも、違うロボが来たんだからいいじゃないか」となだめた。
 
兄を見ると、気まずそうな顔をしていて、ちょっと気の毒になった。
 
それで落ち着けばよかったが、弟は納得しなかった。

「サンタクロースなのに間違うの? ボクはドリルロボって言ったんだ。なのに違うじゃないか。なんでドリルロボじゃないんだよぅ」

父は気が短いのである。不穏な空気を感じ、私は心の中で、「ドリルロボ、ドリルロボ言うんじゃないよ、このバカ」と毒づいた。

「ねえ、なんで。ドリルロボが欲しかったのに。なんで違うの?」
 
弟は訴え続ける。どうも納得いかないのである。

「ねえ、ドリルロボ……」

「ドリルロボ、ドリルロボうるせえな! これはなあ、お兄ちゃんがサンタクロースになってお前のために買ってくれたヤツなんだぞ! それを文句ばっかり言いやがって、何なんだお前は! このバカッ!」

父がブチ切れた。
兄は思惑が外れてがっかりしていた。
私は、あちゃあ、と思った。
そして、弟はギャン泣きした。父に怒られたショックと、サンタクロースの正体を知ってしまったショックとのダブルパンチである。いや、ドリルロボが手に入らなかったから、トリプルパンチか。
 その年のクリスマスの朝は、ちょっとしたカオスであった。
 それを境にサンタクロースはぴたりと我が家に来なくなった。

 あれから30年たった今年のクリスマス。
 弟から結婚式の招待状が届いた。

冷めたフレンチフライ

158571 「セックス・アンド・ザ・シティ」のDVDを見ながらバスタイム、というのがここ数年来の私の日課になっている。「セックス・アンド・ザ・シティ」が好きな女はモテないらしい。それは認める。でも、念のために言っておくと、私は恋愛のバイブルとしてこのドラマを見ているわけではない。主人公たちの男の入れ替わりの激しさは尋常じゃないし、それをリアルライフに当てはめようとする人がいたら、どうかしてるぜ、と思う。ただ、長さもバスタイムにちょうどいいし、ドラマとしてよくできているから好きなのだ。

 何度見てもいいなと思うワンシーンがある。カフェでキャリーとミランダが語らうシーンだ。 

 主人公のキャリーは恋人のビッグと別れ、失恋の泥沼にはまっている。ミランダはいつまでもクヨクヨするなとキャリーを励ます。自分は元恋人のエリックと別れてもすぐに立ち直って行動を開始したと言うのが彼女の主張だ。しかし、街でエリックを見かけたミランダはショックを受ける。一方キャリーも元恋人のビッグに遭遇し、傷心のあまり公衆電話からミランダに電話して、15分後にいつもの場所でと約束を取り付ける。キャリーがカフェにつくと、ミランダが待っている。ぎこちなく、キャリーはミランダに告げる。

「ビッグに会って、ボロボロになっちゃった。
 あなたが早く立ち直れって思ってるのは分かってるんだけど…」

 そんなキャリーに、ミランダは優しい眼差しを向ける。

「バカなのは私のほうだった。
 今日、エリックを見かけたの。
 私、隠れちゃった、2年も経ってるのに。
 どんなに立ち直るのが大変かってこと忘れてた。
 必要なだけ時間をかけていいからね」

 忘れていた、とミランダは言った。そう、人は忘れてしまうのだ。そして、ミランダの眼差しが優しくありながらも少し切なそうにも見えるのは、私の思い込みだろうか。闘って立ち直ったつもりだったけど、思ったほど強くはなかったという自分の弱さを見てしまった彼女の切なさもそこにあるような気がするのだ。でも、そうして痛みを思い出したからこそ、彼女はキャリーの気持ちに寄り添うことができたのだろうけれど。 

 人を励ますとき、「いつまでクヨクヨしているの、私なんてね…」というのは常套句だ。時に、実際の経験を話すことが相手の役に立つこともある。でも、ボロボロになっている相手にとっては、その励ましは空を切ることが多い。それは励ましている方の意識が向いているのが、目の前の相手ではなく、自分自身だからだ。つらかったことから頑張って立ち直った自分。それは励ましのように見せた自分への賛美だから、相手の心には届きにくい。誤解しないでほしい。私はそれを批判しているわけではない。その人たちだってその時には苦しんで、もがいて闘ったのだろうから。ただ、忘れてしまったのだろう、と思う。時折、自分もそれをやっていることに気づくことがある。

 失恋ではなかったけれど、ボロボロになって壊れかけたことがある。必死で立て直そうとしたけれど気持ちは空回りするばかりだった。「また同じこと言ってるよ」「いつまでクヨクヨしてるの」という叱咤激励の言葉に応えられない自分にふがいなさを感じ、ない自信をさらになくして心を硬くしていた私に声をかけてくれた人がいた。ご主人を亡くしたその人は、沈み込むことしかできない私に言ってくれた。

「今はつらいと思うけど、時間が癒してくれるから」

 気持ちが一瞬、すっと軽くなったのを覚えている。何年も経った今、その人の言葉は本当だったと実感するけれど、私の心を軽くしたのは言葉そのものではない。それは、その人の切なく、そして優しい眼差しだ。その人は忘れていなかった。だから、彼女は私の心が漂う場所に寄り添ってくれたのだと思う。

fa802menu039 キャリーは、ミランダの前に置かれた皿からフレンチフライをつまむ。

「これ、冷めてるね」
「だから?」

 クールにミランダが答えるシーンがたまらなく好きだ。待ち合わせはキャリーの電話から15分後だったはずだ。それなのに既に冷めているフレンチフライ。元恋人を見かけてショックを受けたミランダは、キャリーが電話するよりも前にこの場所に来ていたのだ。そして、フレンチフライが冷める間に、彼女は忘れていたことを思い出し、切なくも優しい眼差しを取り戻したのだ。

 このシーンを見るたび、自分が大切なことを忘れていないか考える。

 冷めたフレンチフライをつつきながら2人が談笑する場面とともにナレーションが流れ、エピソードが終わる。

失恋から立ち直るために一番大切なルールは、誰に傷つけられようと、どれだけ立ち直るのに時間がかかろうと、支えてくれる友だちを持つこと。

 これは失恋に限らない。話を聞いて泣いてくれた人もいた。将来の不安を抱えている私に「お腹すいたらさ、ご飯ぐらいごちそうしてあげるから」と言ってくれた人もいた。何も言わずに話を聞いてくれた友だちもいた。「うまいもの、食べに行こうぜ」と誘ってくれた人もいた。ありがたかった。普段口にはしないけど、忘れてはいない。感謝している。

トイレにまつわるエトセトラ

 013657先日、朝のワイドショーを見ていたら、トイレが話題にあがっていた。小学校では耐震化工事を優先するなど予算の関係もあり、まだ昔ながらの和式便器が主流なのだそうだ。でも今や一般家庭では洋式が主流であり、使い方が分からなくて戸惑う子も少なくないらしい。トイレで“大”をするのを躊躇してしまう率が洋式に比べて高いらしく、子どもの便秘にも影響を及ぼしているのだそうだ。コメンテーターたちも、“今時、和式ですか!?”みたいな反応で、まるで和式便器が悪者みたいで不憫になった。

 私は公共のトイレは断然、和式派である。どこの誰がどれだけ座ったか分からない便座に座るのには抵抗があるので、便器と距離を保てる和式のほうがクリーンな気がする。昔、ダブリンに一年留学したことがあるのだが、海外の公共トイレの便器は便座の位置が日本のものよりも高い。しかも清潔感はあまりなかった。海外に住むとなると、この便器とずっと付き合わなければならないのかと考えると、ややブルーな心持ちになったのを覚えている。近頃は便座シートや除菌ジェルなどが備え付けられているところも増えてきてはいるけれど、外のトイレで和式と洋式の選択ができるなら、私は今でも迷わず和式を選ぶ。駅やデパートのトイレで並んでいると、和式と洋式の両方がある場合、「お先にどうぞ」と和式を譲られることもよくあって、ラッキーと思う。人気でいえば、洋式が和式を圧倒しているようだ。和式に肩入れしている私としては無念である。

 私は十八歳まで和式便器で育った。いや、別にその中で暮らしていたわけじゃないけど。そして、何の告白なんだよ。さらに言えば、何を隠そう我が家のトイレはいわゆる“ボットン便所”であった。タレントの有吉弘行が「家のトイレがボットンなのが恥ずかしくて学生時代に彼女を作らなかった」と告白していたのを何かの番組で見たことがあるが、その気持ちはよく分かる。当時もすでに一般家庭では水洗の洋式が主流だったと思うから、それはちょっと恥ずかしい事実であったりもした。そのうえボットン便所は、入るたびに幾ばくかの緊張感がまとわりつく。何度スリッパを落としてしまったことか。中学生の頃にはお年玉でもらった一万円を入れたお気に入りの財布をうっかり落としてしまったことがある。結構な深さがあるので、財布は見えるが手を伸ばして届くような距離ではない。どうする、あきらめるしかないのか……。ショックで落ち込む私を救ったのは、私よりもボットン便所歴が長い兄であった。趣味の釣り道具を持ち出して、私の財布をつり上げてくれたのだった。トイレに集合して様子を見守っていた家族から「おおっ!」と歓声があがり、その正月一番の盛り上がりを見せた。お気に入りの財布はおじゃんになったが、一万円は無事に戻ってきた。 

 引っ越しをして、ボットン便所からいきなり洋式の水洗トイレになった。あのスリル感は失われ、トイレタイムはまったりと心地よいものになった。劣勢の和式に加勢したい気持ちはやまやまだが、私だって完全プライベート空間である家のトイレにおいては洋式がいい。ロダンの「考える人」みたいなポーズもできちゃうし。物心ついたときから洋式だったという人より、和式のボットン便所から洋式トイレへの移行を経験している人のほうが洋式の恩恵を享受しているに違いないと思う。

 我が家に私が“ブルーレット事件”と呼ぶ出来事が起こったのもその頃である。
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大学生のとき、帰省したら家のトイレの水が青くなっていた。おお、あれを使っているのか、と思った。母によれば、それには理由があった。

 ある日、母がトイレに入ると床に色の着いた粉が散らばっていた。よく見ると、それはバスクリンであった。なぜ、トイレにバスクリンが……? いぶかしがる母は、その日知人の家を訪れてトイレを借りた父が、トイレの水が青いことに衝撃を受けたことを知った。バスクリンは父の仕業であった。単純思考で、色のついた水といえばバスクリンしか思い浮かばなかったようだ。試しにトイレのタンクにバスクリンを入れてみたらしかった。結果は言わずもがなである。

 色のついた水がフラッシュとともに透明に戻ったときにショックを受けただろう父の様子を想像したら笑えた。
「バスクリンて緑色じゃん、そもそも青くないっつうの。信号じゃないんだから」と言いながら、腹を抱えて大爆笑した。
「だからお母さん、ブルーレットを買って来て、そっと入れておいてあげたのよ」と、笑いながら母は言った。笑い転げながらその言葉を聞いて、我が母ながらその懐の深さに感服した。笑いが収まって冷静になり、父のDNAを色濃く受け継いでいることを思い出した私には、自分の将来に対する一抹の不安だけが残った。兄弟の中で誰よりも私が父親に似ているのである……。だから、父の行動パターンはよく分かる。手塚治虫の「ブラック・ジャック」の文庫版を書店で見つけて第1巻を置いておいたら、私のもくろみどおり、次の帰省時にはトイレに全巻揃っていた。その正月、私を含め兄弟たちのトイレ滞在時間は長くなった。

 トイレについて考え、トイレにまつわる出来事を思い出した朝であった。確かに、和式トイレがなくなったとしても特に問題はなさそうな気もする。でも、でもだよ、和式と洋式、どっちが良いとか悪いとかじゃない、いろんなトイレがあっていいじゃないか。スリル感あるトイレ修行をして育ち、和式トイレを難なくこなせる私としては、公共のトイレでくらい和式を残してほしいなあと思う。あれがなくなっちゃうとさびしいというちょっとしたノスタルジーもあるのかもしれない。ひょっとして和式がなくなったら、ちょっと尖ってみたいうんこ座りするヤンキーも消滅して、地べたに座るゆる〜い系若者だけになってしまうのかもしれないというビミョーな危惧もある。

 「初めてのときは使い方が分からない子どもたちも、絵のついた説明書きや足跡シールをつけたりすることで、和式便器をこなせるようになっているそうです」とアナウンサーが言うのを聞いて、私は心の中で「がんばれ、ちびっこ!」とエールを送った。