11月2015

ツイてない日、青い目の外国人に遭う

ププーッというクラクションの音でハッとして、自分が赤信号で足を踏み出していたことに気づいた。ぼーっとしてしまっていたらしい。調子悪いかも。

プリント夕方、セルフサービスのカフェで、誘惑に負けてオーダーしたチョコレートケーキとアメリカンが並々つがれたカップをのせたトレイをテーブルに置こうとして手元がくるい、熱々のコーヒーをぶちまけてしまった。悪いことに、両隣の女性たちにも被害が及んでいた。クリーニング代を請求してくださいと平謝りで連絡先を渡してその場をしのいだものの、場所をかえてテーブルに着いてため息をつくと、チョコケーキへの欲は吹き飛んでしまった。調子悪いなあ、やっぱり。
084774ここ数ヶ月というもの調子は上々だったのに、ちょっと落ち込む出来事があったとたん、なだれ式に影響が出ているようだ。はあっと二度目のため息をつくと、向かいに座った友人が憐れむような顔で言った。

「すべては必然っていうじゃない。車の件も、今のこともつながってるんだよ。注意力が散漫になってるから気をつけなさいっていうサインなんじゃないかな」

「そうなのかしら」

私は少しだけ顔をあげて、ふうっと小さく息をついた。 

おしゃべりしてだいぶ気分も紛れ、友人と別れて最寄り駅から家へと向かっていると、ガイドブックを手にした青い目の外国人男性に流暢な日本語で声をかけられた。

「このへんに観光するようなところはありますか?」

スーツにコートを羽織った男性は、取り忘れているのかシンポジウムで使うような「弁護士」と書かれた名札を首からぶら下げていた。年齢は40前後と思われる。

「このへんは飲むようなところしかないですね」と私が答えると、「そうかあ」と言いながらその人は私をじっと見て、「ねえ、あなた独身?」と聞いてきた。

「独身ですけど」

それが何か?

217817「一度も結婚したことないの?」
「ないですけど」

記憶にある限りは。

「どうして? どうして結婚してないの?」
「さあ、どうしてですかねえ」

知るかよ、こっちが聞きたいわ。

「プロポーズしてもいい?」
「いや、だめでしょ」

飛躍し過ぎだろ。

「どうして? ずっと独りでいるつもりなの?」
「それはよく分かりませんけど」
「子どもを持とうとは思わないの?」
「いや、どうでしょう」

なんなんだ、この会話。

「僕たち、もしかしたら、明日結婚しているかもしれない」
「いや、しないでしょ」

『ダーマ&グレッグ』じゃあるまいし。

「一緒にどこか行こうよ」
「行きませんよ」
「どうして? いいじゃない、行こうよ」

ネバーランドならいいけど、そんなの無理な話。

とくにふざけている様子でもなく、初対面でそりゃないだろうというストレートな言葉を真顔で次々と投げてくる相手を見て、ハードワークのせいで頭のネジがゆるんでいるだろうかと思いながら、半ば感心し半ば呆れて、「ノリがかるいなあ」とつぶやいた。相手は「そういうあなたは、かたいなあ」と言った。

らちが明かないので、じゃあサイナラと半ば強引に相手を振り切ったあと、お腹がすいていることに気づいて、最近できたばかりの近所のやきとん屋に飛び込んだ。着いたテーブルの正面のテレビではWBSCプレミア12の対メキシコ戦をやっていた。注文しようと選んだメニューは串の盛り合わせ以外ことごとく売り切れていた。仕方なく、追加で冷奴をたのみ、ハイボールで一息つく。

なんだったんだ、さっきのは。それにしても、「かるい」に対して「かたい」と返す日本語力は大したものだと思った。確かに、軟派の対義語は硬派だもの。

ハイボールを飲んでいるうちに、ほんの少しだけアルコールが利いてくる。そして、じわりじわりとボディーブローのように投げかけられた言葉がきいてきた。

「ずっと独りでいるつもりなの?」
「子どもを持とうとは思わないの?」

その問いかけが、ぼんやりと頭の中でリフレインする。実のところ、私にはそれに対する明確な答えがない。答えを持たないといけないのだろうか。ひょっとしてあれは、青い目の外国人に姿を変えた何かなのか? そんなわけないか。友人に言わせればこれも必然ということになるのだろうか。 いや、たまたまでしょうよ。すべてのことに意味があるとは限らないもの。

そうして思いをめぐらせていると、道ばたで遭遇した奇妙な外国人というキーワードで、だいぶ前の夏の日のことを思い出した。うだるような暑い日で、ヒーヒー言いながら坂道をのぼっていると、向こうから頭にターバンを巻いたインド人らしきスーツ姿の男性がやってきた。すれ違うとき、その人が「暑いですねえ」と流暢な日本語で話しかけてきたので、「ほんとうに暑いですねえ」と返すと、その人は「もう、日本の夏は暑くて暑くて、インド人もビックリです」と言って去って行ったのだった。多分私は、インド人から実際に「インド人もビックリ」と言われた数多くはないであろう日本人のひとりであると思うが、今思い返しても、あれに必然性があったとは思われない。

一方で、ここ数日調子が悪いし、もしかして奇妙なことに出くわす引きがあるのかもしれない、と思った。知り合いに、よくもまあというほどアンラッキーな出来事を磁石のように引きつける人がいる。そういうものや出来事を引きつけるエネルギ—を発しているんじゃないかと思う。「私、へんな人にロックオンされる確率が高いんだよね」という友人もいる。彼女はネガティブな雰囲気は一切まとってないのだが、本人曰く、ちょっとおかしな人とか、風変わりな人が寄ってくるのだそうだ。その話をしているとき、私たちは都電を待っていた。「へえ〜、そんなことあるんだ。私はそういうのないなあ」と言いながら到着した電車に乗り込むやいなや、見るからに「ちょっとおかしな人」に友人が鼻クソをつけられそうになっていたので仰天した。目に見えない「引き」というのが人にはあるようだ。

160812これ以上、へんな引きを持ちたくない。落ち込んでいる場合じゃないぞ。気持ちをポジティブに切り替えようとプルプルと頭を振り、冷奴をつついていると、店内にうわ〜っという落胆の声が充満した。日本が逆転されてしまったのだった。「あ〜、これで逆転負けだ」と誰かが言った。「いや9回の表だから。まだ裏の攻撃がある」と別の誰かが訂正し、ほっとしたような空気が漂った。とはいえ最終回だ。分が悪いんじゃないだろうか。逆転するのは難しいんじゃないだろうか。そんなことを思いつつ、いつの間にか画面に釘付けになっていると、一死一二塁で中田がタイムリーヒットを放って劇的な逆転勝利をおさめたのだった。おお〜っという歓声がわき起こり、店内はにわかに活気づいた。おお〜っと言いながら私も気分がよくなってハイボールを飲んだ。

尾瀬の紅葉とセンパイたちと私

尾瀬の紅葉 

 私はかねてから巣鴨の地蔵通りをこよなく愛しているのだが、そのひとつの理由に、人生の先輩である元気なお年寄りにまぎれて、ひよっこ感を味わえるというのがある。

 先日、尾瀬のハイキングツアーにひとり参加した。現地集合、現地解散なので、池袋から高速バスで新潟へ向かい、高速バスを降りたところで宿の送迎バスに乗り込む。なんとなく予想していたが、私以外は想定70歳以上のお年寄りの方ばかりだった。基本的にどの人もグループで参加していて、ひとり参加で年齢も離れている私に興味を示す人はいない。でも、私は興味津々である。お年寄りにまぎれて、まるで子どもに戻ったかのようにワクワク感が高まる。

 バスの通路を挟んだ席の人が飴ちゃんをくれたので、皆さんどういうご関係なのですかとたずねると、近所の仲良しグループで、よく山歩きしているのだということだった。たわいもない世間話をしていると「あなた、ひとりだけ若いわね。あたしは多分最年長だと思うわ」と中のひとりが言う。若くないんですよぉなんて答えながらその発言の意図を察し、「失礼ですが、おいくつなんですか」と訊ねると、「いくつだと思う?」と聞き返してくる。出たよ、質問返し。私調べによれば、年齢を聞かれて「いくつだと思う?」と聞き返すのは、大抵、男性か若さ自慢のお年寄りである。だいぶ面倒くさいが、人生の先輩としてのリスペクトを込めて、「う〜ん、どうだろうな、全然見当がつかないです」と無難に対応すると、「80歳」といたずらっ子のような目をしておばあさんははにかむ。確かに年齢よりはだいぶ若く見える。だから、さらなるリスペクトを込めて大サービスする。「え〜っ、全然見えないですぅ」と私は3倍増で驚きの声をあげる。おばあさんは満足そうである。

 夕食の席で参加者が一同に会した。サービスで出された地元の日本酒を堪能して、どの人もほろ酔いである。何のお仲間なのですかと左隣の人にたずねると、ラジオ体操仲間だという。そういえば、都内ではあちらこちらで毎朝6時半にラジオ体操が行なわれている。朝のウォーキングを習慣にしていたとき、6時半頃にとおりかかる神社の境内でラジオ体操に参加していたことを思い出した。彼女たちは同じ仲間で東京中の坂道を歩く会というのを結成しているそうで、聞けば、ただ坂のあるところに行って、ただ上るだけの会らしい。地味だがなかなかディープな楽しみ方ではないか。他にはダンナが先に逝っちゃったから誘い合って遊びに行っているのよという未亡人グループや夫婦で参加している人たちがいた。

 翌朝は見事な快晴だった。母から借りたトレッキングシューズに昨年ランニング用に購入した服装で間に合わせて集合場所に行くと、皆が口々に「あらっ、山ガール!」と言う。私は山ガールでもないし、世間的にはガールと呼ばれる歳でもないが、おばあちゃんたちからすれば私はぴよぴよのひよっこである。何も否定はすまい。そこはもう、山ガールであり、ガールという体でいく。この若輩者感が楽しい。それにしても、おばあちゃんたちは、オシャレだ。さらりと上から下まで高級メーカーのもので身を包んでいる。そして、みんな元気だ。

 くねくねと曲がりくねった道を1時間半ほど小さなバスに揺られて、ようやくハイキングのスタート地点にたどり着く。経験豊かな男性ガイドさんが先頭を行き、イベントの担当者の男性が最後尾について、5時間のハイキングがスタートした。山は見事に紅葉していた。木々の紅く色づいた葉のすき間から差し込む光に、こちらは気分が高揚する。前を歩く人々の興奮が伝わってくる。私はペースを落として最後尾を歩いていた。今思えば、特に誰に頼まれたわけでも求められたわけでもないのだけれど、参加者の中ではいちばん体力があるだろうから、若くもないが最年少として見守る側に立とうという気負いが無意識にあったような気がする。

 メタル苔 

 最年長のおばあさんが目についた花木の名前を教えてくれる。おかげでツルリンドウを知った。こういう触れあいはステキだ。途中で目を惹かれる苔があって、近頃はやりの苔ガールの気持ちが少しわかるような気がした。ほのぼのとした気分で歩みを進めて行く。傾斜がある足場の悪い場所にさしかかり、おばあさんの歩みが少し遅くなって私との距離が近くなった。私の目の前に彼女のリュックがあった。松茸のストラップがぶら下がっている。なんで松茸なんだろう? 旬の味覚?と思っていたら、もう片方にはあけびのストラップがぶら下がっていた。『山のあけびは何見てひらく 下の松茸見てひらく』という“おとな”の都々逸がある。紅葉を眺めながらのさわやかなハイキングのなかで、私はちょっとしたエロテロに襲われ、軽いめまいを覚えたのだった。80歳。なかなかのパンチ力である。

 2時間と少し歩いて、目的地の川べりへついた。担当者の男性が指差す岩場のかげを見ると、ヒキガエルが潜んでじっと一点を見つめていた。暑くも寒くもないちょうどいい加減の気温で私たちと同じように気分がよかったに違いない。私も座るのによさそうな岩を見つけて座り、配られた山菜弁当を食べた。真正面には川が流れ、その向こうには紅葉が太陽の光を受けてキラキラしていた。ごうっと風が吹いて、まるで雨のようにオレンジ色に染まった葉が一斉に空に舞う様子は、息をのむほどに美しかった。

 周りを見渡すと、グループごとに固まりながらも誰もおしゃべりには興じておらず、それぞれがひとりの時間に没頭しているように見えた。もしかしたら単にハイキングの疲れがそうさせただけなのかもしれない。でも私は、そこに長きに渡って生きてきた人たち個々の人生の輪郭を見た気がした。感覚的なものだけれど、グループで固まってはいるが、その輪郭がそれぞれの個を際立たせていた。それは、私も含めてまだ人生が熟しきっていない若者たちには見られないだろう確固たる何かだ。

 来た道を戻る形で帰路へ着く。途中、木の実や野生のなめこを見つけて嬉々として採取する人もいれば、脚が動かなくなってしまったり、具合が悪くなってしまった人がいたりして、ちょっとしたハプニングを含みながらも、何とか全員がゴールした。近頃ジムでトレーニングしていた私でもちょっときついかなあという箇所があったから、お年寄りにはかなりハードだったのではないかと思う。皆が口々に、体が思ったより動かなかったと口にした。そして、そのことに少しばかりがっかりしているように見えた。最年長のおばあさんが、「冒険しすぎちゃったかしらねえ」とポツリと言ったのが印象的だった。

 とはいえ、もともとこんなイベントに参加する意欲ある方々のことである。夕食の頃にはこちらが驚くほどに元気を取り戻し、夜遅くまで宴は続いた。お酒を片手にいろいろな話を聞かせてもらった。どの人も生き生きとしていて、私も若輩者ながらその中に混ぜてもらっているのが楽しかった。仕事でどんなに取引先から頼りにされていたか、病気でどんなにきつい思いをしたかを語る人もいた。娘の交際相手が頼りなくて心配だと言う人もいれば、この旅から戻ったらすぐに海外旅行へでかけるのだと楽しそうに教えてくれる人もいた。この人のダンナは先に逝っちゃったけど、この人の腕のなかで息絶えたんだから幸せだと思うわよと仲間のことを話してくれる人もいた。うちのダンナが先に死んだら、私は我慢せずに自分の人生を生きる、だからその日をじっと待っているのだと私にそっと打ち明けてくれる人もいた。自分のことを話したくてしかたない人もいれば、そういう人の話を穏やかな顔で、うんうんと聞いている人もいる。ほんとうに、いろんな人がいて、いろんな人生がある。

 宴が一段落すると、まだ元気のある人たちからカラオケに誘われ、先頭を切らされた私はキャンディーズを熱唱した。あとに中島みゆき、ちあきなおみ、ビリーバンバンが続き、昭和の歌とともに夜は更けていった。