9月2015

よりによって

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「失敗やドジ、それがネタになるわけです。だから、しくじると嫌だなあという気持ちになるかもしれないけれど、それをおいしいと思えるようになれたら素晴らしい」   

『読まれるエッセイを書く』という、ユーモアをテーマとしたカルチャースクールの単発講座で講師がそう言ったとき、どっと笑いが起こった。

「失敗ばかりの人生だけど、勇気が出るなあ」
そんなことを口にするご老体もいて、和やかな雰囲気で講座は終了した。

 帰り道、日焼けどめが切れたことを思い出し、コンビニに立ち寄った。日用品が置いてある売り場をのぞくと、若い男性店員と外国人客が通路を立ち塞いでいた。バックパックを背負っている若者の雰囲気から察するに、観光客らしかった。英語で店員に何かを言っている。彼が背を向けているこちら側からは、ひどく戸惑った様子の店員の表情が見えた。その手にはスマートフォンが握られていたが、現代の神器もこの状況では助けにならないようだった。 
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  なんだか店員が不憫になって、普段はそういったことはあまりしないのだが、「英語でしたらお手伝いしましょうか?」と、僭越ながら声をかけた。「本当ですか?」店員の表情がパッと明るくなった。「お客様がこちらの製品で迷われているんです」と店員が指し示す先を見やると、そこには2つのコンドームの箱が並べられていた。

 「日本の製品なので、サイズが小さすぎないか心配されているようで……。サイトでサイズを調べてみたんですが記載がないんです。多分、大丈夫だとは思うんですよねえ」と、店員は状況を説明した。

 げっ、よりによって、と思った。店員を悩ませていたのは言葉の問題ではなく、サイズの問題であった。あちゃあ、厄介なことに首を突っ込んでしまった。しかし、店員のすがるような目を見たら、そこで引くわけにいかなかった。「おいおい、こりゃまいったね」と陽気なノリでおどけるような雰囲気でもなかったし、度胸もない。こんなときはあれだ、困った時のアルカイックスマイルだ。口角をあげて、私はかすかな微笑を浮かべた。そうしておきながら、どうやってこの状況を切り抜けようか考えた。相手にサイズを問うのもヘンだし、教えてもらったところで、それにどんな妥当性があるのか見当もつかない。そもそも、私はコンドーム博士ではない。

 そこで私は、元来のテキトーさを発揮し、店員の言葉をさらって、日本基準かもしれないけど大丈夫だと思う、という旨のことを伝えた。だってゴムだし。ノープロブレムだよ、たぶん。

 whiteman3_question 外国人の若者は「うーん」とうなって、納得しきれないようだった。まあ無理もない。店員のお兄さんと私の言葉に根拠はないんだから。彼はどうしてもサイズが気になるらしい。コンドームを前に真剣に悩んでいる。その様子に、この人、自分にそんなに自信があるのか、それとも日本男子がみくびられているのか、と疑問が湧きあがってくるが、もちろん私は飛鳥時代の仏像のようなアルカイックスマイルを崩さない。

「これはどうかな?」と、彼が棚に並ぶ別のパッケージを指差した。大きく表示された0.02という数字が気になったようだ。それは薄さがウリの製品である、と私は教えてやった。この答えには自信があった。なんたってオカモトは日本が世界に誇る企業なんだぞ、という日本人として胸を張りたい気持ちもあった。こちら側の確信と自信というのは、相手に安心感を与えるものなのだろうか。「なるほど!」と納得した様子で、彼は目を輝かせた。そして、その商品を手に取ると、「とにかく、トライしてみるよ、サンキュー!」と笑顔を見せ、レジへ向かった。「ユアウェルカム」と私は言った。外国人青年は、私たちのやりとりが終わるのを日本の雑誌をめくりながら待っていたガールフレンドらしき娘とコンビニを出て行った。

 日焼けどめを手にしてレジへ向かうと、店員のお兄さんが、ささ、こちらへという感じで親切丁寧に奥のレジへ誘導してくれた。そして、「本当に助かりました。ありがとうございました」と頭を下げた。「いえ、どういたしまして」と答えたものの、果たして助けになったのか甚だ疑問であるので、爽快感がまったくない。私は清算をすませ、アルカイックスマイルを浮かべたままコンビニをあとにした。

 道を歩きながら、ため息が出た。よりによって、なんなんだよ、と情けない気分だった。よりによって(選りに選って)という表現は、あらゆる選択肢のなかから、それ選んじゃいます? という、呆れたような、かつ非難めいたニュアンスを含み、当人のチョイスのセンスのなさを如実にあらわにしている。今の自分にぴったりだ、と思った。よりによって。偶然とはいえ、いや偶然ながら、なんであんなことになるのだ。んもう。

  pose_doyagao_womanでも待てよ。はたと、私は講師の言葉を思い出し反芻した。そうして、にんまりした。 

これでいいのだ!!

誕生日が来てまた1つ歳をとった。
おにいさんたちだったはずの高校球児が年下になって不思議な気持ちになったのも、サザエさんの歳をとっくに超えていたということに衝撃を受けたのもずっと昔のことで、いよいよ、バカボンのパパと同い歳になった。

子どもの頃、再放送で『天才バカボン』を見ていた。ストーリーはあまり覚えていないが、その存在感と突き抜けたバカさから、バカボンのパパを心のどこかでリスペクトしていた。幼心にバカだけどバカじゃないひと認定をしていたのだと思う。

小学校3年生で理科の授業で太陽の動きを習ったとき、太陽は東と西のどちらから昇るかという問題がでた。

「東だと思う人、手を挙げて」と先生が言った。

先生の言葉に、クラスのほとんどが手を挙げた。こんな少子化の時代と違って、子どもが教室の中にひしめきあっていた。なかでもベビーブームの学年である。40人以上が一斉に手を挙げた。

「じゃあ、西だと思う人」

私ともうひとりが手を挙げた。クラスで2人だけだった。

普通、これだけ圧倒的に差がつけばひるみそうなものなのだけれど、私は自信があって譲らなかった。もうひとりの子も譲らなかった。そして、その子と目が合ったとき、まるでテレパシーが働いたかのように、私たちが信じているものが同じだということを瞬間で理解した。その子とは仲がよかったわけではない。それどころか、あまり話したこともないようなクラスメートだった。でも、そのとき私たちは同じ信念で結ばれた同志だった。私たちは信用していたのだ、バカボンのパパを。

♪西から昇ったお日様が 東へ沈む

バカボンのパパがそう歌っていたから。

先生が正解を発表すると、クラスのみんながワーイと喜んだ。“バカ”な2人の敗北だった。でもなぜか、あの時のことを思い出すたびよみがえってくるのは、あんなにアウェイな中で自信満々で手を挙げていたときの感覚だ。

小学3年生の頃はあまりにも一日が長くて、「一生小学生かよっ」と空を見上げて憂いていたのに、気づいたらおとなになっていた。いろんな経験を積み、山ほど後悔して、時間は前にしか流れないことに打ちのめされたり、救われたりしながら歳を重ねてきた。いつの頃からか、毎日があっという間に過ぎていく。でも、ふと立ち止まって自問自答するときがある。

バカボンのパパと同じ歳になった日、私はまた自分に問うた。
「これでいいのか、私?」

バカボンのパパなら、言うにちがいない。
「これでいいのだ」 

本当にいいのか? 私は葛藤する。

今あらためて、バカボンのパパの「これでいいのだ」について考えてみる。
これは、とても前向きな言葉だ。何の努力もしなくていいという怠惰な、投げやりな言葉では決してない。この言葉は、あるがままを肯定的に受けとめることを意味しているんだろう。それが出来れば、ひとは前へ進むことができる。言葉を換えれば、過去の瞬間の積み重ねである目の前にある現実(自分自身の有り様も含めて)を受けとめることなしには、次の瞬間、すなわち未来へちゃんと意識を向けることができないのじゃないか、と私は思う。

でも、あるがままを受けとめるなんて、口で言うほど簡単ではない。ひとは思い込みの強い生き物だから、現実を見つめているつもりでゆがめてしまっているなんてことはざらにある。まず、あるがままを受けとめるには、あるがままを見つめなければならない。それは胸に痛みを伴うから、ぎゅっと目をつぶってしまいたくなる。事実、まぶたに目を描いて“見えてますよ”ってフリをして生きているひとに出くわすこともある。ある意味、その徹底した盲目ぶりに感心すらしてしまうけど。

開き直るのではなく、自分を思い込みから解放して、バカボンのパパのように「これでいいのだ」と言い切ることは、結構ハードルが高い。そこに至るまでには葛藤もつきまとう。

「あ〜、バカボンのパパのように生きられたらいいのに」と思ったのは一度や二度ではない。

でも、ふと思う。バカボンのパパが言う「これでいいのだ」って言葉は、「これでいいのか?」という問いなしには、出てこないのではないか。

作者の赤塚不二夫は言っている。

「バカボンのパパってさ、別にラクして生きてるわけじゃないんだよ。どうすれば家族を幸せにできるかを考えながら一生懸命ガンバってるわけ。」(『これでいいのだー赤塚不二夫自叙伝』より)

バカボンのパパはガンバっているという事実。私は確信した。「これでいいのだ」の前には、「これでいいのか?」という問いがある。バカボンのパパだって、自問自答しているんだ。葛藤しているんだ。

そして、それはバカボンのパパが一生懸命ガンバっているからにほかならない。

「一生懸命ガンバる」。結局のところ、これって人生を生き抜くうえでの肝なんだと、“よりよくありたい”と求め続けて40年の私は思い至る。 そして、じゃあ、ガンバるしかないなあと観念する。葛藤してもがきつつ、「これでいいのか」と問い続けて、「これでいいのだ」という答えを求めていくしかない。

バカボンのパパと同い年になった日、私はそんなことを考えた。 
うん、これでいいのだ。

44133712わしは バカボンのパパなのだ


この世は むずかしいのだ


わしの思うようにはならないのだ 


でも わしは大丈夫なのだ


わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ 

これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ 

それでいいのだ 


それでいいのだ

わしはリタイヤしたのだ

全ての心配から リタイヤしたのだ

だからわしは 疲れないのだ 

どうだ これでいいのだ 


これでいいのだ



やっぱりこれでいいのだ 


(バカボンのパパの言葉より)

モンタルチーノでわかったこと

モンタルチーノ
 イタリア、トスカーナ州の小さな町モンタルチーノで過ごした時のことを書こうと思う。

 ブルネロという赤ワインで知られるモンタルチーノは、昔ながらの緑の風景が保たれる魅力的な町だった。フードやワインを楽しみつつトラベルライティングについて学ぶというワークショップに参加した私は、この町で一週間過ごした。

 いつもは年代も性別もバラバラらしいのだが、私以外の5人の参加者はみな50代のアメリカ人女性で、どの人もどこから来るんだろうという自信に満ちあふれていて、とにかく元気だった。レストランへ食事に行けば、「あのマスター、私に気がありそうな感じだったわ」と自信ありげにのたまう。(多分気のせいだと思うけど…でも言えない。)肌寒ささえ感じるという日に、ぽんぽこ腹をあらわにしたファッションで登場する。(びっくりして目をむいた。)そんな中にひとり紛れ込んだ、ちょっと疲れ気味のジャパニーズアラフォーの私は圧倒されっぱなしだった。

 何を隠そう私がこの世で一番苦手なのは、おばちゃんの下ネタなのだけど、彼女たちはよく下ネタで盛り上がった。1000年前に建てられたというアパートで授業の一環で料理教室に参加したときのこと。パスタの生地を作っている最中、「それを玉にして」と指示されようものなら、そこから下ネタに走る。ローマでもフィレンツェでも数えきれないほどの裸像を見てきて、うげーって感じだというのに、ここへ来てまで玉が立ちはだかるのか……とやりきれない思いに駆られる私。言葉が理解できてないのだろうと思っていたようだが、わかっていても笑えないんだよ……。そんなとき、私は飛鳥時代の仏像みたいにアルカイックスマイルを浮かべてやり過ごした。

 彼女たちと過ごしていると気後れしている自分を感じた。彼女たちのように突き抜けて楽しめないのだ。彼女たちは自信に満ちていて、ものごとの楽しみ方というのを知っているように見えた。もちろん言葉と文化、ジェネレーションの違いがあるのは否めないが、果たしてそれらが原因なのか? そこそこ楽しんでいたとは思うし、別に落ち込んでいたとかそういうわけじゃないのだけれど、心の中にもやがかかっているような気分だった。

 あるときワークショップの一環で、イタリア料理教室に参加した。町歩きのガイドをつとめてもくれた講師のテレサは白髪のショートカットが似合う元気なローマ女性で、「パッション」が口癖だった。味見ひとつとっても、何気なく口に入れるとしかられる。「パッションが欠けてるわ」と言ってやり直しさせられるのだ。口を開けば「パッション!」と彼女は言った。あんなにパッションという言葉を口にする人を私はパッション屋良以外に知らない。

 テレサは70を過ぎていたが、彼女の凛とした佇まいは、彼女がお年寄りなんかではなく、今でも“女”であることを意識させた。若い頃の写真を見せてくれたが、その若き日の美しさはまるで映画のワンシーンを切り取ったかのようだった。恋多き女だったというのもうなずける。クラスメートたちはロールモデルとして大いに刺激をうけたようだった。私はといえば、イタリア男談義に花を咲かせて、テレサと盛り上がっているクラスメートたちを見ながら、なぜかそこに加わる気にはなれず、場違いなところにまぎれこんだ小娘か何かのような気がしていた。

「パッションがなきゃ、人生はつまらない」と言うテレサと二人きりになったとき、彼女にとってパッションとは何なのか聞いてみた。「道ばたでボーイフレンドとキスすることよ!」と答えが返ってきた。壁に飾られたテレサと彼女のボーイフレンド(といっても、彼女より年上らしいおじいちゃんだけど)で撮ったフォトジェニックな写真を見て、なるほど彼女らしい答えだし、イタリアという国の風土で育った彼女だから出てくる言葉なんだろうと思った。巣鴨の路上インタビューでは決して出てこない答えだと思う。

 私はクラスメートたちにも同じ質問をしてみた。みんな、それぞれの答えをくれた。人とつながること、未知との遭遇、書くこと、美しくあること、などなど。私も同じ質問を返されたけれど、何も答えなかった。というか、答えられなかったのだ。そうしてまたもや、自分がひどく未熟なような気持ちになった。イタリアにくるまで、自分はもう若くないという思いにとらわれていたから、それはすごく妙な感覚だった。

 その気持ちをクラスメートたちに話したことがある。バイタリティあふれるあなたたちといると自分が小娘みたいな気がするのだ、と告げると、彼女たちは一斉に笑い出し、「だって、そのとおりじゃない」と言った。そして誰かが続けた。「わかるわよ、その気持ち」。

 モンタルチーノで過ごす最後の日、私はやっぱり小娘のような不安定さを抱えてモヤモヤしていた。その気分を変えたくて、散歩がてらモンタルチーノの丘を目指した。自問自答する。はるばるこんなところまでやってきたというのに、どうして、こうイマイチ楽しみきれないのだろう? その答えは、丘のうえにたどりついたとき、ひらめきのように突然やってきた。

 これってミッドライフクライシスだ。

 中年の危機、いわば中年の思春期ってやつである。文化も言葉も違う一世代上の女性たちと過ごすことで、私の中の何かが図らずも揺さぶられて、年齢にしばられて憂うつになってる気持ちがあらわになったみたいだった。そして彼女たちはこの憂うつを経験して克服したから元気なのだと思い当たった。なるほどなと思いながら笑ってしまった。そして少し安心した。まるで、重い病気なのじゃないかと心配したあとで睡眠と栄養を取れば治りますよと医者に言われたかのように、ちょっぴりだけど、ほっとした。

 そんなわけで、イタリアのモンタルチーノで、私はミッドライフクライシスに陥っている自分を発見したのだった。何だよ、それって感じだけど。そしてもうひとつわかったのは、これからの人生において私にはパッションが必要である、ということである。

 これを読んでくれているあなたに質問です。あなたにとってのパッションは何ですか?