8月2015

目玉おやじと昼間のビール

少し前になるが、大手小町・発言小町という投稿サイトを暇つぶしにのぞいていると気になる投稿があった。

ケーキ店での話である。幼い兄弟がケーキを受け取ってすぐ転んでしまった。すると、同じケーキを受け取った男性が気づかれないように自分のケーキの箱とすり替えて立ち去った。兄弟は箱を開けてケーキが崩れていないのを見て、よかったと大泣き。それを見ていたトピ主は、その男性のさりげない優しさに感動し、彼のような男性の恋人か奥さんは幸せだろうなと思ったという内容だった。

私は『泣いた赤おに』の青おにが付き合いたいくらい好きなので、見返りを求めない行為ができるその男性をステキだなあと思った。たぶん、そんな光景を目にしたら惚れる。

でも、賞賛コメントが相次ぐ一方で男性の行為に対する意見は実に様々だった。子どもがつぶれたケーキを食べることで学べる機会を奪ったとか、まずは子どもの安否を確認すべきだとか、すり替えられた商品なんて怖いとか、子どもがアレルギーだったらどうするんだとか、相手の意志を無視してケーキを交換するなんてただの自己満足じゃないかなどなど。今さらながら、世の中にはいろいろな物の見方があるんだなあと驚いた。

友人にこの話をしたところ、「あたしもそんな人イヤだ。私のダンナがそんなことしたせいで私がつぶれたケーキを食べなきゃならないなんて勘弁だわ」と言い放たれた。なるほど彼女のポイントはそこか。私にとっては魅力ある人が、他の人にとってはただのええかっこしいということになるようである。  

目玉おやじ「小さな親切大きなお世話」という言葉があるように、よかれと思った行為が相手には好意として受け止められないこともあるから難しい。

私は水木しげるの故郷・鳥取に旅行した時に購入した目玉おやじの湯のみをとても気に入っていて、部屋に客が訪れたときに最大級のお・も・て・な・しのつもりでそれにお茶を入れて出したことがある。客の感想は「気持ちわるっ、あんた、これ嫌がらせ?」だった。残念だなあ、ヒヒヒ。

話は戻るが、例の投稿についてはトピ主が見た光景および感想について第三者がワイワイ言っているのであって、当の幼い兄弟は男性の好意に気づいていないし、男性においては自らの行為を自慢したわけでもない。彼の行為は深く思慮した結果ではなく、咄嗟の判断と善意に基づいていたに違いない。まさか自分の何気ない行為がこんなにも物議をかもしているなど本人は想像もしていないだろう。

自分の何気ない行為というのも、人によって様々なとらえられ方をされるんだなあと思う。

公園先日、仕事が早く終わって帰宅の途についたが、最寄り駅に着いたとき、まだ5時前で陽は高くうだるような暑さだった。なんだかビールが飲みたくなって、コンビニでビールを買い込んで公園でひとり飲みした、という話を会話の流れで友人にしたら、両極端な反応が返ってきた。「いい歳した女が昼間から何やってんのよ」とひとりは渋い顔をして言い、もうひとりは「いいじゃん、すごい楽しそうじゃん! ドラマでそういうシーンがあったよ。出会いなかった?」と言う。彼女によれば、公園でひとり飲みする菅野美穂がとなりのベンチに座った玉木宏と知り合うというドラマがあったらしい。でも、当然ながら玉木宏はそのへんには転がっていない。隣のベンチにはランニングシャツを着たじいさんがひからびそうになって横たわっていただけだった。って、私も菅野美穂じゃないけどさ。ただ、昼間ののんびりしたひとり飲みは結構楽しかった。

もちろん自分ひとりで生きているわけではないから、ある程度他人への配慮は必要だと思う。でも、結局何をやろうとも、ネガティブな反応があるのは避けられないのかもしれない。一方で、支持してくれる人もいる。そういうことなら、人の目ばかり気にしていてもらちがあかないし、自分が納得できるようにやりたいことをやるのがよい、と思う。

ノーマンステイズ

居酒屋で隣合わせになった外国人の若者と話をしていたら、私の年齢とシングルであることを知った彼が驚いて「どうして結婚していないのか」と聞いてきた。本当に不思議に思っているようで、そこには嫌味がなく、むしろ好意的な問い方だった。でも、あまりにもストレートだったので残念ながら咄嗟にうまい返しができず、ハハハ、カンパーイ! と笑ってごまかした。飲んでいたのは酒だったが、お茶をにごしたってわけだ。そうしながら質問の答えを考えていたら、あるフレーズが頭をよぎった。

ノーマンステイズ。

だいぶ昔の話になるが、とある外国のとある街の路上で占ってもらったことがある。5ドルを払って手相を見せたところ、占い師は「あなた、男運が悪いわね」と言う。そんなこと金を払って人に言われるまでもないが、いざ指摘されるとそれはそれでへこむ。じゃあどうしたらいいのさと訊ねると、手相には運が悪いということしか書いていないので、対処法を知りたければタロットカードで見てあげると言う。ちぇっ、そういうことかと苦々しく思いながらも、海外まで来てこのままでは後味が悪いと、さらに5ドルを払って今度はタロットカードで占ってもらった。まったくいいカモである。

だいぶ使い込んであるタロットカードを切って山を作り、そこから引いたカードをなにやら複雑な形に並べ終えた占い師は、渋い顔をして「ノー…」とつぶやき、首を振りながら言った。

“No man stays…”

026728ノーマンステイズ!? 「男は皆去っていき、誰も残らない」ということ!?その、きっと単館でしか上映されないであろう地味な外国映画のタイトルのような響きは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせた。ミステリー? 戦慄が走る。いや、これはホラーだ。

ノーマンステイズ。その言葉は私の胸に矢のように突き刺さった。当時、チョベリバに代表されるギャル語がはやっており、なかに(矢が突き刺さったカモのように)傷ついたという意味の「超ヤガモ」というフレーズがあったが、まさにそんな心境、私の心は超ヤガモである。

そもそも対策を教えてくれるはずだったじゃないか。矢で撃たれながらも「だから、どうしたらいいのよ」とヤガモがキレ気味に詰め寄ると、占い師は山からもう一枚カードを引き、それを見てため息をついた。そして憐れむような目で言った。

“Pray to God.”

「神に祈れ」ということである。神にすがるしか私に道は残されていないらしかった。第二の矢が突き刺さり、ヤガモは瀕死である。

ひどいショックを受けたとき、しばしのち、人は突きつけられた現実を否定しようとするものだ。私は2本の矢を力ずくで抜き取り、投げ捨てた。しょせんは占いに過ぎないんだから当たるとは限らないと自分に言い聞かせ、てやんでい、てやんでいと気持ちを奮い立たせてその場を後にし、そこで占ってもらったことは記憶の片隅に葬った。

しかし今、赤ちょうちんの灯りの下でその時の記憶とともに「ノーマンステイズ」のフレーズがよみがえり、ふうむ、あの占いは当たっていたのかもしれない、という気になった。ならば、私が取るべき行動は神頼みというわけだ。じゃあ、とりあえず神様にお願いしてみようか。

と思いながら、ほろ酔いで帰宅し、母が神社から受けて毎年送ってくれるお札をよく見たところ、昨年までは「良縁祈願」だったのに、今年から「厄除け」にかわっていた。Oh, no!

ウェットティッシュの思い出

イタリアに旅行をした時、持ち物のなかで何が役に立ったかって、除菌タイプのウェットティッシュだった。海外のレストランでは日本のようにおしぼりなんてでてこないので大活躍した。

まだ10代だった頃のある日、学校へ向かっていたら、道路の向こう側に止まっている車の中から、「すみません!この辺に病院はありませんか?」と声をかけられた。声の主は20代後半ぐらいであろう男性だった。ケガでもしているのかなと思った。wet_tissue

車に近づいていくと、その男の人が前屈みになって股間を手で押さえているのが目に入った。「あ、この人、ヤバい人かもしれない」と思った矢先、その人が「ぼく、病気なんです。今、発作が来ちゃって」と私の思いを見透かしたように訴えかけてきた。私はそれで、ああ、この人は病気なんだ、しかもちょっと恥ずかしい病気っぽいけど、偏見を持っちゃいけないと思ってしまった。

「ティッシュ、持ってませんか?」と聞かれたので、私はかばんの中からウェットティッシュを取り出した。その頃、その使い勝手のよさからウェットティッシュを気に入っており、普通のティッシュより使えると思って常備していたのだ。ほら、こんな時にだって役に立つ。

私がそれを差し出すと、その人は嫌そうな顔をした。

「これ、ウェットティッシュでしょう?これじゃ使えないなあ」

「すみません……」

思いがけない反応に私は恐縮した。

「まあ、他にないなら仕方ない。それでいいや。じゃあ今から処置するんで、あなたにも手伝ってほしいんだけど」

なぜか上から目線でその人が言う。

そのとき、私は本当に急いでいた。大事な授業があって遅刻するわけにはいかなかった。それに、このシチュエーションは私のキャパを超えていた。いくら相手が可哀想な病気の人でも、手伝うのは自分には無理だと思った。

「私、本当に急いでいるんです。手伝えなくてすみません。これ、使ってください」

私は謝って、ウェットティッシュをその人に押し付けるようにして渡した。

「ぼく、本当に怪しい者じゃないんで、警察に言ったりしないでください」

とたんに挙動不審になったその人の言葉にうなずくと、私はその場から走り去った。

授業にはギリギリで間に合った。でも、授業中ずっと、自分は発作を起こしている病気の人を見捨ててしまったんじゃないかと、ちょっとした罪悪感に駆られていた。

帰宅して、歳の離れた兄に、発作を起こした人に遭ったのだとその日の出来事を話すと、「お前はバカかっ!」と激怒された。兄によれば、健康な若い男性ならば、数日ほうっていおいたら誰でも発作が起きるんだそうである。ひええ、男の人って大変だなあと気の毒になった。

どうもあの男の人はいわゆるヘンシツシャというやつらしかった。自分が置かれていた状況を把握して、まぬけな自分がひどく恥ずかしかった。そして、人にだまされたのだという事実に気持ちが沈んだ。まあ、よく考えてみれば、ある意味ビョーキなのだろうから、嘘をつかれていたわけではないかもしれないが。

親切にしたつもりが、ウェットティッシュにダメだしされるわ、兄にこっぴどくしかられるわ散々だった。世間知らずながら、ああ、世知辛い世の中だなあと思ったのを覚えている。

でも、誰がなんと言おうとやっぱりウェットティッシュは便利なのだ!って何の主張だよ。