7月2015

もぐらのはなし

モグラ先輩近ごろ、モグラ先輩が話題らしい。彼は多摩動物園の「おしえて!モグラ先輩!」という掲示板のキャラクターなのだが、その毒舌ぶりがウケている。「モグラって日に当たると死んじゃうって本当?」と問われれば、「死ぬわけねーだろ!!」とツッコみ、もぐらの生態について分かりやすく解説を加える。ツンデレである。やるなあ、モグラ先輩。

そう、なかなかやるんである、もぐらは。

小学生の頃、家のそばで小さなもぐらが死んでいるのを見つけた。当時の私の手のひらにも乗るくらいの大きさだったと思う。もぐらを見るのは初めてだったけれど、図鑑や本の挿絵で見ている姿そのものだったから、「あ、もぐらだ!」とすぐに分かった。そして、その珍しさに興奮した私は、家に走り戻って、死んでいるもぐらを見つけたことを母に報告した。すると母が驚くようなことを言う。

「もぐらは死んだふりをするから、本当は生きているかもしれないよ」

mogura_big急いでもぐらのところに戻ってみると、こつ然とその姿は消えていた。まんまと一杯くわされたみたいだった。私はあんぐりと口を開けて、その小さな生き物に感心したのを覚えている。

あるとき、誰かが「もぐらは不安で死んでしまうのだ」と教えてくれた。もぐらは土に触れていないと、不安になって死んでしまうらしかった。それを聞いて以来、私はもぐらにシンパシーを感じている。なにせ私は生まれつきの心配性なのだ。無駄にいろんなことが心配になって不安に駆られ、しょっちゅうドキドキしている。私がもぐらだったら、もう死んでいるかもしれないとさえ思うほどだ。

おとなになるといい加減さが増すせいかだいぶましになったが、子どもの頃は、おねしょが一生治らなかったらどうしようとか、明日死んじゃったらどうしようとか、戦争が起こったらどうしようとか、 宇宙人に遭遇してさらわれたらどうしようとか、とにかくいろんなことが心配になって、妄想が大きく膨らみ、不安にさいなまれるという具合で、生きづらくてしかたなかった。あらゆることの結果を懸念するような子どもだったのだ。そんなあるとき、『まんが ことわざ辞典』で「案ずるより産むが易し」ということわざを知って、子ども心にも救われる思いがした。おとなになった今も励まされる言葉である。もぐらにも、このことわざを教えてやりたい。

もぐらトリビアをもう1つ。野生のもぐらは、12時間以上何も食べないでいると空腹から死んでしまうらしい。やはり、空腹に弱い私はもぐらにシンパシーを禁じ得ない。

「もぐらは、腹ペコだと死んじゃうんだよっ!」と世の中に向かって叫びたい気分である。うさぎはさびしくても死なないらしいが、不安と腹ペコで死ぬなんて、もぐらはなんと繊細でおセンチな生き物であることか。もっと、日の目をみてもいいんじゃないかと思う。

あれ、でももぐらって、日に当たったら死んじゃうんじゃ……。

死ぬわけねーだろ!! by モグラ先輩

並んで食べる一杯〜Japanese Soba Noodles 蔦

テンポ太陽が照りつける月曜日の昼下がりに、巣鴨を訪れた。目的はJapanese Soba Noodles 蔦のラーメンである。先日放送されたTVドラマ「ラーメン大好き小泉さん」で、超人気の行列店として紹介されていたのだ。『ミシュラン東京ガイド』でビブグルマンとして紹介された店としても知られているらしい。ビブグルマンとは、ミシュランガイドのオススメの、5000円以下で食べられてコスパが高いレストラン。2015年度版ではラーメン店が掲載され、この店はその中の1つである。

さて、巣鴨駅からすぐのところにその店はあった。一見、日本食の店のようなこぎれいな店構えだ。店の前には誰もおらず、平日だから並ばなくても大丈夫そうだと安心したのも一瞬のことで、店隣の車庫のようなところに、人がひしめいているのに気づいてぎょっとした。私が甘かった。15人は並んでいたかと思う。ドラマほどの行列ではなかったにせよ、平日にこれだけの人が並んでいることに驚いた。自分のことを棚にあげて、平日の昼間からこの人たちは何しているのだと呆れる。どうしようかと迷う。

そもそも、私は並ぶのが大嫌いだ。普段から、並んでまで食べるくらいなら、少しぐらいまずくても早くありつけるものを選ぶ。しかし、この時は暇を持て余し、ここを離れたところで何をするのだと考えたら、何も思い浮かばなかった。それならば、並んでみてもいいんじゃないかという気になった。人々が黙って規則正しく並んでいるので、そこに加わったらどんな体験ができるのだろうと好奇心がわいたせいもある。 

暑さで汗だくのおじさんや、タトゥが見え隠れするやんちゃそうなお兄さんやら、並んでいるのは男性ばかりで、女性は学生らしき子が私の数人前にひとりいるだけだった。ほとんどがひとり客のようで、ケータイを眺めたりしながら時間をつぶしている。誰もおしゃべりには興じておらず、とにかく静かだ。なんだか声を発したら悪いような独特な雰囲気さえ漂っていた。それならばと私はおもむろにバックパックから、読みかけの江戸時代を描いた歴史マンガ『風雲児たち』12巻を取り出した。マンガを読みながら待つことでオタク感をかもしだして、場になじむ作戦である。

時折店内から店員が出てきて、数人を店内に招き入れるたび、粛々と列は前へと動いていく。そして、マンガの中で伊能忠敬が全国測量の第一歩を踏み出した頃、私は店内に入ることができた。塩と迷ったが初めてなので、代表的な味玉醤油そばの食券(950円)を購入し、壁際の椅子に座って、今度はカウンターに座る順番を待つ。店内にも静けさが漂っていた。カウンターのみでこざっぱりした繁盛店をまわしているのは、なんと店員2人だけだ。彼らも不要な音はたてないし、客は皆、もくもくとラーメンを食し、食べ終わるとカウンターの上の台に器を置き、席を立って出て行く。行列に並び一杯のラーメンを食べることが、まるで何かの行のように思えてきて、面白くなった。

ラーメン席について時計をみると、並んでから1時間近くが経っていた。間もなくラーメンが運ばれてきた。さすがのヴィジュアルの良さに感心する。シンプルながら、具の乗せ具合が洗練されている。素材はどれもこだわりぬかれているようだ。噂の黒トリュフがほのかに香るスープはすっきりしていて、化学調味料を使っていないというのがわかる。味付けに赤ワインが加えられているメンマなんて初めて食べたかも。噛み切れず、思わず丸ごと口に入れてしまった分厚いチャーシューをほおばると、なんともいえない満足感に包まれた。麺もクセはないが、なかなか個性的だ。ううむ、なんとも高級感漂う美味いラーメンだった。

無言で完食し、「ごちそうさまでした」とだけ声を発して店を出たとき、腹八分の心地よさと一種の行を終えたような爽快感があった。振り返ると、まだ3時前だというのに、営業終了の札がかかり、待ち合い場所には誰もいなかった。並ぶのがもう少し遅かったら、ありつけなかったかもしれないのか。

並んで食べることを面白いと思ったのは初めてだ。ドラマの中で小泉さんが、ラーメンは一期一会だと言っていた。もしかして、別の機会に訪れて並んで食べたとしたら、また違った印象を持ったのかもしれないと思うと、それってあてはまるかもしれない。といっても、正直なところ、また並べと言われたらあまり気乗りはしないけど。

 

ルネサンスの都にて

フィレンツェ

フィレンツェの街

フィレンツェの街は、ローマとは雰囲気がだいぶ違う。イタリアは北と南で人も文化も違うと聞くが、フィレンツェのほうが、ポッシュで、ちょっとクールな空気が漂う気がした。ああ、ここは北でローマは南なんだなあと感じた。こぢんまりしたフィレンツェの街は、確かに歩きやすくて、この街をローマより好む人が多いのも分かる。『冷静と情熱のあいだ』の舞台にもなったこの街は、なんといってもドゥオモが有名である。ドゥオモを目印に歩けば迷うことはない、と言われる。それでもドゥオモが予想しない方向から姿を現したりして、ちょくちょく自分のいる場所が分からなくなった私は、つくづく自分の方向感覚のなさにあきれた。

フィレンツェB級グルメランプレドット

ランプレドット市場の店市場

さて、私がフィレンツェで食べたかったのが「ランプレドット」。ラプンツェルに似たメルヘンな名前をしているが、いわゆる牛のモツ煮込みのこと。イタリア料理といえばトリッパが有名だけれど、トリッパには牛の2番目の胃が使われている。一方、ランプレドットは牛の4番目の胃(ギアラ)を煮込んだもの。宿のすぐ近くに屋台を見つけたので、早速パニーノではさんだランプレドットを注文。これはうまい。辛みが効いてスパイシーだ。内蔵料理を好むところに、フィレンツェの好感度が上がる。というわけで翌朝も朝食にランプレドット。美味しいと評判の店が市場にあると聞いたので、そこで腹ごしらえをしてから、ウフィッツイ美術館へと向かった。

ウフフ、ウフィツイ

リッピウフィツィ美術館と言えば、ルネサンスの至宝が目白押しの、世界屈指の美術館だ。ダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ボッティチェリなどなど、作品が飾られている芸術家の名や作品名をあげれば枚挙にいとまがない。そんな超一流の作品群をヴァチカン美術館よりもゆったりと見ることができた。もちろん人は多いが、ガイドツアーの一団などもすぐにその場から去って行くので、ちょっと待てば、気に入った作品をじっくり見ることができてよかった。

ちなみに、私はフィリッポ・リッピのファンになった。リッピといえば、ボッティチェリの師でもある。作品では『聖母子とニ天使』が有名だが、聖母の顔立ちがまるで少女マンガみたいできれいだなと思った。しかし、こんな繊細な絵を描く割に、リッピは、修道士でありながら、修道女と駆け落ちして子どもをもうける、というかなりスキャンダラスな人生を送ったようだ。

さて、この美術館の作品群の中でも特に人気が高いのが、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『春(プリマベーラ)』であると思う。とくに、『春(プリマヴェーラ)』は描かれている人物も多く、いろいろな解釈がされているようだ。

中央はヴィーナスまたはアフロディーテ。その頭上にいるキューピッドは三美神のひとりに矢を向けている。左端にいるのはヘルメス。右端に描かれているのは、西風のゼフュロスで、彼がつかまえようとしているのがニンフのクロリス。彼女の口からは花が咲きだしており、前に描かれている女神フローラはクロリスが変身した姿である、というのが一般に言われている説だったかな。ニンフのクロリスをフローラとして、フローラがプリマヴェーラに変身するとしているものもあるようだ。いずれにせよ、プリマヴェーラには謎が多いらしい。

春
この絵は、横幅が3メートルくらいある大きな絵なのだけれど、じっーとみていたら、なんだかモヤモヤしてきた。なんでかなと思ったら、この中の誰も視線を合わせていないことに気づいたからだ。

ゼフュロスとクロリスが見つめ合っているように見えないこともないが、クロリスは倒れかかっている木の方に気が取られているようにも思えるし、いずれにせよ、意識は体の向きからして前に向いている。フローラにおいては、どこ見てますの?という感じである。三美神もお互いを見てはおらず、視線はからみ合っていない。キューピッドは三美神の左端のひとりを狙っていると言われているが、目隠ししているし、狙われている女神はそれに気づいてもいない。ヘルメスにおいては、頭上に意識を向けていて杖のようなもので何かしている。

真ん中の右手を上げているヴィーナスが、「あの、ちょっとみなさん…」と戸惑っているようにさえ見えてきた。彼女、センターなのに、誰も彼女を見ていない。みんな意識がバラバラなんだもの。ピーッと笛でも吹いて「はい、注目!」と言いたいような気になった。なんだか、みんな勝手だなあというのが、名画を前にして私が抱いた感想である。「春」なだけに、みんな気がそぞろなのかしらん。

世界の中心でひぐちカッターを叫ぶ

ジョット高いところがあるとのぼりたくなる質である私は、ここフィレンツェでも、ドゥオモのクーポラとジョットの鐘楼に上るつもりでいた。でもドゥモは朝早くに並んでも、結構待つことになりそうなので断念した。ジョットの鐘楼のほうは、比較的待たずにのぼることができた。 ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラにのぼるよりはだいぶ楽だと思う。

414段をのぼりきると、フィレンツェの街を見下ろせた。よく写真で目にしていたレンガ色の町並みが、緑をバックに見えた。深呼吸してフィレンツェに来たんだなあ、と思った。ルネサンスの都である。そして、ルネサンスといえば、ひぐちカッターである。そんなわけで、私は世界の中心で「ひぐちカッター」を叫んだ。というのはウソである。でも、ちっちゃくつぶやいたのはホント。

向こうに、ドゥオモのクーポラが見えた。たくさんの人がいる。手を振ったら、誰かが振り返してくれるかもしれない。それってステキじゃないかと思って手を振ってみたけど、誰もこっちを見ておらず、無反応だった。心にひゅうっと風が吹いた。人生、そう思うようにはいかないのねん。

ドウモ