5月2015

ローマ見物記 1

オベリスクローマ観光ツアー

ローマを手軽に見て回るならツアーがいいというアドバイスを受けて、勝手が分からないローマ観光初日は、主だった名所を駆け足で巡るツアーに参加した。集合場所はその名が古代ローマの公衆浴場テルマエに由来するテルミニ駅近く。宿から歩いて向かうが、方向音痴な自覚は多分にあるので、15分くらいの道のりの間で5〜6人に道を訊ねたと思う。それにしても、ローマは交通量がとても多いし、運転も荒い。信号がないのにどうやって道を渡ったらいいのかと戸惑っていると、地元の人たちはためらいもなくどんどん渡っていく。ひかれなきゃオーケーということらしい。

ツアーは私を含めて5人の日本人に日本人のガイドさんがつく、という形だった。他の参加者に「ひとり旅だなんて偉いわねえ」と言われたが、偉くなんかない。偉いのは古代ローマ人である。

 トレビの泉噂で聞いていたとおり、ローマの街は遺跡だらけだった。紀元前に建てられていた巨大な建物がそこここにあって、知識は雀の涙ほどしかないが古代ローマ恐るべし、と思う。古代エジプトのオベリスクがローマには13本も建っている。あんな巨大なものを運んでくる技術をローマ帝国が持っていたことに驚かされる。中にはレプリカとされているオベリスクもあるが、古代ローマ人が作ったものなので2000年の歴史がある。もはやそれってレプリカの域を超えていないか?

ローマの有名な場所はどこも観光バスが頻繁に出入りし、観光客でひしめいている。まさに、ザ・観光地という感じ。なかでも大人気のトレヴィの泉は残念ながら有名ブランドFENDIの出資で修復中だった。再訪を願ってのコイン投げはできなかったが、通常ここに投げ込まれるコインの総額は半年間で日本円でおよそ7,500万にのぼるというからスゴい。

パンテオン

オベリスクパンテオンは最初に紀元前27年に建設されて、のちに火事で焼失したのをハドリアヌス帝が再建したという石造りの神殿である。ドーム天井の中央が採光のため開いている。床にはちゃんと雨水を排水する穴もある。真ん中に柱を作らずに支えるため、外壁は上部に向かうにつれて素材に軽石をまぜたりして厚みを薄くし、計量化をはかっているんだそうだ。今はキリスト教の聖堂となっているこの建物は、直径43メートルの球体がすっぽりと入る巨大空間。それならウルトラマンも入っちゃうなあと思う。セブンやエースもいける。ゾフィーとかタロウだとはみだしちゃうけど。

和辻哲郎はパンテオンを見て「ローマ建築というものは形の持っている質によって人を動かすよりも、むしろその大きさ、量によって人を圧倒するものなのであろう。」と『イタリア古寺巡礼』のなかで書いているが、まったく同感である。

カンピドリオ広場にて

古代ローマの中心部だったフォロ・ロマーノをカピトリーノの丘から眺めたあと、カンピドリオ広場に出る。残念ながら今回は内部を見学する余裕がなかったが、広場を取り囲むように建てられているカピトリーニ美術館は一般に公開された最古の美術館である。屋上に白い裸像が立ち並んでいて、こちらを見下ろしていた。

カンピドリオ同じ全裸でも、熱海の旅館の屋上に仁王立ちしていたおじさんとは全然違う。なんでだろうと思いながら見上げていると、ガイドさんの説明が耳に入ってきた。裸像というのは欲望を脱ぎ捨てた人間の理想的な姿を現しているのだそうだ。なるほど、それが違いか。熱海の屋上のおじさんは欲望に満ちていたもんなあ。そして何より美しくなかった。全裸にもいろいろあるものだ。

このカンピドリオ広場を設計したのはミケランジェロだ。建物が平行ではなく階段側から見ると逆ハの字型に建っており、広場に至る階段を上って行くと突然目の前に大きな空間が広がるように見える作りになっている。やることがイチイチすごいので、ミケランジェロに嫉妬のようなイラだちを覚えた瞬間である。


ミケランジェロのモーゼ

モーゼ次に訪れたサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会はミケランジェロのモーゼ像で知られている。和辻哲郎が『イタリア古寺巡礼』のなかで触れていたので、ぜひ見たいと思っていた。

和辻哲郎は、ミケランジェロが「中から盛り出るもの」を刻みだそうとし、それをギリシャ彫刻とはまるで違ったやり方でやろうとしていると言う。全体の輪郭を無視するようにむくむくもりあがっているひげも、着物のひだも、腕や肩の肉にしても、ギリシャ人の重んじた簡素さや、輪郭の鮮明さを犠牲にしてまでも「内なるもの」、あるいは精神を外に押し出すこと、それが彼のねらいなのではないかと言うのだ。しかし、ミケランジェロの技術を賞賛しながらも、ギリシャ人が調和の中で朗らかに彫刻を表現しているのに対して、少し偏っている点でミケランジェロの負けだと書いている。

ただそうだとしても、私はそういう意図を持って不自然なまでに大胆な表現をいとわないミケランジェロの勇胆さに脱帽する。私は芸術には疎いし、背景にも知識は持たないのだけれども、ミケランジェロってイヤな奴だったに違いない、と勝手に思う。モーゼをみているうちに、少し前に流行した『嫌われる勇気』という本を思い出した。あなた、絶対読んだほうがいいよと先輩が薦めてくれた本。帰ったらもう一回読んでみようかな。なぜだかそんな気になったのだった。

ちなみに、このモーゼには角が生えている。ヘブライ語の「光輝く」という語がラテン語で「角」と誤訳されたからと言われているが、もともと角であったという説もあるらしい。いずれにせよ、角が生えてるなんて、なんかかっこいい。

なんといってもコロッセオ

コロッセオなぜローマ滞在を決めたかといえば、古代ローマの象徴とも言うべきコロッセオが見たかったからだ。言わずもがな、グラディエーターたちが命をかけて人間や獣と闘った円形闘技場である。巨大なネロの像(コロッスス)が傍らに建っていたことから、コロッセオと呼ばれるようになったと言われている。半分倒壊しているのは地震によるものだそうだ。イタリアも地震が多い国なのだ。元々の建材はだいぶ流用され、ここから運び出された大理石はサン・ピエトロ大聖堂なんかにも使われているらしい。

Goodを意味する親指を立てたジェスチャー、サムズアップ。Facebookのいいねボタンでもおなじみだ。これは親指を下に向けると逆の意味になるわけだけれど、これも古代ローマを起源とする説がある。決闘の末、敗者は命乞いをすることが許されており、その決定権はローマ皇帝をはじめとして、その場にいる最も位の高い者に委ねられた。その者が親指を上げれば敗者は許され、親指を下げれば敗者は殺されたと言う。コロッセオは民衆の目を政治からそらすための娯楽を目的として作られたと言われているが、当時の民衆が食べたり飲んだりしながら、ここで繰り広げられる死闘や処刑に熱狂したというのは、今の私たちからしてみればなんとも想像を絶する。

コロッセオ内部収容人数は5万とも、それ以上とも言われている。日よけの布を張る設備なんかもあって直射日光を受けずに観戦できるようになっていたそうだ。その技術には驚かされるばかりだが、印象的だったのは、各ゲートにちゃんと番号が振ってあることだ。勝者の門、敗者の門、そして神の入り口、皇帝の入り口4ゲートをのぞき、80のうち残り76ゲートに番号が振ってある。当時は板やガラスなどにゲート番号を書いたものをチケット代わりに使っていたというので、その段取りのよさというか、オーガナイズ力には感心した。 

日本史を選択していたため世界史に疎い私にとって、驚きの連続だったローマの市内見物。ローマ帝国が栄えていた時代、日本は弥生時代にあたる。圧倒的な技術と規模の違いに劣等感のようなものすらおぼえ、出土品の展示物のなかに質素な土器を見ると、「こういうのなら私たちも作ってたよ!」と、少しほっとするのであった。

ツアー解散のとき、他の参加者の方に「がんばってね!」とエールを送られた。のん気なひとり旅なんだけど、私の人生か何か大変そうに見えるのだろうか。いちおう「がんばりますっ!」とガッツポーズを返しておいた。

ひとりごはん in ローマ

PicCollageツアー解散のあと、滞在B&B近くのトラッテリアで夕食をすませることにした。ローマでの初ひとりごはんである。ローマ名物のトンナレッリというパスタを注文。でも食べてみて、その味の濃さにびっくり。こんなのうちのお父さん食べたら血圧上がっちゃうよというくらい塩辛いのだ。私は味が濃いめでも平気なほうだと思ってたが、これはキビシイ。かなり賑わっている店内を思わず見回してみるが、みんな普通に食事している。こ、この味の濃さが普通なのかっ? とても食べきれず、ローマでのひとりご飯デビューはしょっぱい思い出となったのだった。

でも、ビールとワインはおいしかった。

つづく。

あ、私もこのアイコン使っていたんでした。今気づきました。恐るべし、古代ローマ(笑)
ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

いざイタリアへ

045655半年ほど前、「海外のワークショップに参加してみたら?」とある方からアドバイスをいただいた。なるほどそういう休暇の過ごし方もいいかと思って探してみたら、トスカーナでフードとワインと旅をテーマにして書くことを学ぶワークショップを見つけた。イタリアには興味がなかったけれども、書く技術が上達したらうれしいし、トスカーナの太陽の下でワインを飲むことを想像したらがぜん楽しそうに思えた。ワークショップは英語で行なわれるが、まあ何とかなるだろう。だめそうだったら、ワインを飲んで酔っぱらって笑っておけばいいさってなわけで、えいやっと思い切って初めてのイタリアへ行きを決めた。しかもありがたいことに2週間も休みをもらえた。ワークショップが始まる前に数日間余裕があるので、ここは王道ともいえるローマとフィレンツェ観光をしようと思っている。

 この半年間はこの旅へ出ることを励みに毎日を過ごしてきたが、出発が近づくにつれて少し落ち込む自分がいた。来週の今頃はイタリアにいるんだと考えて一瞬ウキッとするけど、結局あっという間に終わってしまうんだろうなという思いが込みあげて、悲しい気持ちになってしまうのだ。

そして今回はビビってもいる。ローマはスリが多いと聞くからだ。実際に友だちが身ぐるみはがされたよ、とか、かばんをとられそうになったとかリアルな声が聞こえてきた。そこで腹巻きタイプの貴重品入れで対策することにした。奮発してオーガニックコットンのやつ。どうか怖い目に遭いませんように。そんなことばかり考えているので、「ちゃんと楽しんできなよ」と友だちに念をおされる始末。 

ちゃんと海外旅行保険にも入った。これは必ず入るようにしている。かつてアイルランドのコークを旅したとき、お湯を出しっぱなしにして浴槽から溢れさせてしまったことがある。フロントから下に水が漏れていると苦情の電話が来た。しかも階下はレストランだったらしい。水がしたたってしまうので、お客さんが傘をさして食事をしていると聞かされた。想像するとなんともシュールだが、ばつが悪いし申し訳ないしで笑えなかった。いたたまれず、次の日朝一番で逃げるようにチェックアウトしたというなんとも苦い思い出がある。賠償金として数百ユーロ請求されたのだが、海外旅行保険に入っていたおかげでカバーできた。保険のありがたみを痛感し、それ以来、海外旅行の際は必ず入るようにしている。

IMG_1393さて、そんなこんなでアリタリア航空で永遠の都ローマへとやってきた。夕方の7時頃の到着だったが、まだ空は明るかった。ヨーロッパの好きなところは日が長いことだ。タクシーを拾って宿へ向かう。タクシーの運転手はまったく英語を話さないし、私の付け焼き刃のイタリア語はまったく役に立たなかった。コロッセオが見えてきた時、運転手が「コロッセオ!」と教えてくれたので、「ワオ!」と返したのが道中にかわした唯一の会話である。 

ローマの宿は、迷ったあげくBooking.comで口コミ評価が高くて安いB&Bを選んだ。3階なのにエレベーターがなく、予想以上に重くなってしまったスーツケースを運び込むのは骨が折れたが、手頃な値段だから仕方あるまい。また、ゴールデンウィーク中に貝に当たってしまい、夜中に悶絶するという目に遭ったので、きっと食べ過ぎてしまうであろうローマで共同バスルームというのは少し躊躇したけれども、思ったより快適に過ごせそうだ。口コミどおりホストも親切で、居心地もよい。

日が落ちてきたなか、ローマの空気を吸ってみようと散歩がてら近所へ水を買いに出かけたら、犬のフンをふんだ。だじゃれではない。

・・・幸先が良い、と思うことにしよう。

 

ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

寅吉と和平

おじいさんの狛犬めぐり冊子

 face_ojiisan_laughゴールデンウィークに帰省して実家でのんびりしていた時のこと。父を訊ねて客人がやってきた。父が退職後に地域の生涯学習プログラムでボランティアをしていたときにお世話をしていたお年寄りのひとりらしい。父が不在だったため対応した私と母におじいさんは冊子を差し出した。最初はただ話を合わせるためだけのつもりでその「福島県南の狛犬めぐり」と題された手作り感満載の冊子をめくっていたのだが、いつの間にやら魅了されてしまった。あちこちの神社の狛犬や石仏の写真とともにコメントが添えられている。「狛犬の雌は子育てに夢中です」とか「こっちの狐さんはマフラをまいています コンコン」とか。ところどころに見られるタイプミスとともに、コメントがほのぼのしていて笑いを誘う。お茶を飲みながら話を聞けば、おじいさんは今年81歳になるという。パソコン教室に18年も通っているのだそうで、その意欲に母とともに驚かされた。耳が遠いため、時々会話に衛星中継のような間が入るが、とにかく好奇心旺盛で元気なおじいさんで、話を聞いていて楽しかった。

 冊子の中に小松寅吉と小林和平の名が何度か登場するので、気になってググってみるとwikipediaを初めとして結構な情報が出てきた。寅吉とその弟子である和平は、それぞれ明治、昭和に活躍した知る人ぞ知る名工らしい。彼らは私にとっても馴染みのある土地の神社の狛犬やら石像やらを手がけていた。彼らが手がけた狛犬がある神社はへんぴな場所にあることが少なくないのに、全国から小松寅吉や和平の狛犬ファンが訪れるらしい。私は神社仏閣は好きだが、あまり石像に興味がなかったので狛犬に注目したことはなかった。でも考えてみれば、名を知られた仏師がいるように名を知られた石工がいるのも当然のこと。しかもこんな身近にいたとは驚いた。

 そんなわけで、おじいさんが帰ったあと、早速私は母に付き合わせて寅吉・和平の作った石像を訪ねたのだった。

 

長福院の毘沙門天と仁王像

 PicCollage-1石川町沢井の長福院は地元の人でなければ分からないような場所にある、とても小さな日蓮宗のお寺である。母に教えられて道路脇にのびる細い坂道を車で上って行くと、そこに長福院はあった。目の前の道は子どものときから数えきれないほど通っていたのに、こんなところにお寺さんがあるとは思いも寄らなかった。境内にそびえたつ樹齢130年というしだれサクラの木が葉を青々と茂らせていた。その回りを囲むように色とりどりの花が植えられていて、そこはちょっとした楽園みたいだった。

 住職さんに許可をもらい裏庭に入っていく。太い竹が生い茂り、これまた桜の木がそびえ立つ裏庭の真ん中に小ぶりの仁王像を従えた大きな毘沙門天が立っていた。この毘沙門天は手伝った和平がかなりの部分を彫っているという話もあるが、小松寅吉の最後の作ともされているようだ。毘沙門天らしく視線は鋭く猛々しい。そして重厚感がある。ただ、好みの問題なのか、私はどうも和平が手がけたとされるユーモラスな仁王像のほうに目がいってしまう。赤い色が所々に残っていて、なかなかいい味わいを醸し出していると思う。

 

寅吉の失敗作

 仁王寅吉の作品で特に興味を引かれて訪ねたのが、富貴作集落の公民館にあるという仁王像だ。これは寅吉が失敗作として土に埋めてしまったものを彼の死後に地元の人々が掘り起こして設置したのだそうだ。

 寅吉と言うのは誇り高きアーティスト気質の人であったようだから、そういう人にとって失敗作として葬ったものを人の目にさらされるのはどんな気分なのだろうと複雑な思いもある。確かに、途中で彫るのをやめたのであろう未完の作品で巧さや緻密さは感じられない。でも、なんだかほっこりする。作品としては失敗だとしても、そこには仁王さんらしさというか威風堂々とした存在感みたいなものは漂っているように感じた。

 

寅吉と和平の飛翔獅子

IMG_1335中島村の川田神社に寅吉が作ったとされる最初の飛翔獅子を見に行く。

獅子が乗る装飾を施した雲を含めて一つの大きな石から掘り出すこのスタイルは画期的で、狛犬美術史においても大きな意味合いを持つらしい。我ここにありと声高に叫ばんばかりの、台座に目立つように彫られた「石工 小松布孝作之」という寅吉の銘が印象的だった。専門的なことはまったく分からないけれども、寅吉の作品はフォトジェニックだなと思う。改めて写真で細部を見てみると技巧の凝らされた様子がよく分かる、そんな作品のような気がする。って逆光の写真で申しわけないのだけれど。

 
IMG_1358
石川町の石都々古和気神社の飛翔獅子を訪ねる。この神社を訪れるのは久しぶりだ。この神社は私にとっていわゆる産土神である。遥か昔に七五三もここでやった。長年にわたって初詣に訪れていた思い出の神社でもある。だからこの和平の手による狛犬の前を幾度となく素通りしていたことになる。今、小林和平の名を知り、改めて狛犬を眺めてみる。とても表情豊かなかわいらしい狛犬である。3頭の仔獅子を連れた雌の様子がなんとも微笑ましい。お乳までしっかり彫られている。和平は3人の子どもをなくしており、その子どもたちへの思いが込められているのではないかと言われているが、なんとも優しい気持ちになる狛犬だった。「ネバーエンディングストーリー」のファルコンを思い出した。

おじいさんの好奇心に刺激を受けて、なかなか楽しい石像探訪ができた。狛犬の世界も奥が深く、熱心な愛好者も多いようだ。ところで寅吉の代表作品一覧を見ていてはっとした。それは、彼が石川町にある近津神社の境内にある摂社、煙草神社の馬を手がけていたからだ。あの馬の作者は寅吉だったのか。

 

空飛ぶ馬

FullSizeRender小学生の頃、学校帰りに近津神社で寄り道をしたものだった。そこには石の馬がいた。私はいつも大きな台座によじのぼり、馬の腹をなでた。回数が決まっていたような気もするが定かではない。そうすると次の日晴れになると言われていたからだったと思う。そしてまた、どこからかこの馬は夜中に空を飛ぶのだと聞き、その様子を想像してみたりなどしてみたものだ。そういった意味でこの像は思い出深くて、午年となった昨年の正月に数十年ぶりに訪ねたほどだった。当時はなかった社の中に入れられていて日差しをよけながら少し窮屈そうだなあと感じ、当時思っていたよりも小さかった気がした。子どもだった私にはあの馬がとても大きく思えたのだ。

文字通り、意外にも子どもの頃に私は寅吉の作品にそうして触れていたのだった。そして、私があの神社を通るたび、和平の仔獅子を連れた狛犬たちも私を見下ろしていたに違いなかった。そう思うとなかなか感慨深いものがある。

これから神社の前で狛犬を見かけるたび、ふむふむと眺めてしまうだろうと思う。おじいさんの好奇心に刺激されて、思わぬ楽しみを見つけ、昔の記憶を呼び起こされた充実した休日だった。

ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ