3月2015

まだまだ若輩者です

066888久々に生ガキが食べたいと友人にこぼしたら、彼女が幸運にもカキ好きだということが判明した。このところ私たちはとてもストレスフルな日々を送っていたので、自分へのご褒美として少しくらいぜいたくしようじゃないかと、後日オイスターバーで待ち合わせをした。

生ガキの盛り合わせをひとつずつ産地を確認し、味くらべをしながら堪能した。しばらくして、後ろのテーブルの若い男女4人に気がついた。バイトの話題で盛り上がっているところからすると学生のようだった。ひえ〜、学生のときにオイスターバーなんて来られなかったよ、若輩者のくせに生意気だねなんて、冗談めかして友人にささやきつつ、実のところ少しうらやましくもあった。大学時代、安い居酒屋で生ガキに手を出してしまい、結果、大当たりしてひどい目にあったことがある。あのときは、ふとんの上で身動きする余力もないまま天井を見上げて、本気でもうダメかも…とこの世の終わりのような気持ちになったことを思い出した。 

ピチピチの生ガキの前でキャピキャピしている若者たちを見ていたら、なんだか自分がだいぶ年長者のような気がして少し気後れしてしまった。とはいえ、料理はどれも美味しくて、私はその夜を満喫した。

翌日、休みだった私はひとりランチをしようと久しぶりで巣鴨に出かけた。縁日だったので、地蔵通りは人出も多く、お年寄りで賑わっていた。お年寄りというのは何の行列か分からなくても、行列ができているととりあえず並んでみるという習性があるらしい。誰かが並んでいると、どんどこおばちゃんが後に続くのだった。そうやっておばちゃんたちは未知のモノとの出会いを果たしていくのかと思うと興味深かった。

私の目当ては、海鮮丼をイートインできる小さな店だった。本日のおすすめメニューのサーモンとクリームチーズ丼を小さなテーブルで食べていると、おばちゃんたちが次々と店内に入ってきて、わずかな席はあっという間に埋まった。そこでは、私が完全な若輩者だった。なんだか身がすくむ思いがする。お茶をくんで渡してあげると「あら、お姉ちゃんありがと」とお使いをした子どものように礼を言われた。

海鮮丼を食べ終わってふと横を見ると、壁にシルバー川柳が貼られていた。おもわずほうじ茶を吹きそうになるほどの出来ばえだ。028088せっかくなので、勝手に厳正なるひとり選考を行なった結果、すばらしいで賞に輝いた句を紹介しようと思う。 

無農薬 こだわりながら 薬漬け
ーこれぞまさに本末転倒。人生にはしばしば矛盾がつきまとう。それを端的に表したすばらしい句である。

恋かなと 思っていたら 不整脈
ー切ない……。なんだかおセンチな句である。私も、ドキドキして恋かもと思ったら、ただの尿意を勘違いしていたということがたまにある。

お迎えは どこから来るのと 孫が聞く
ー子どもは無邪気だ。悪気はないのが心に刺さる。ほんとに、どこから来るのかねえ。ドキドキである。

 私の一番のお気に入りは次の句だ。

妻旅行 おれは入院 ねこホテル
ー家族のコントラストがとてもよい。それぞれに人生があるよね。ちよちゃんも歌っていたけど、人生いろいろである。

海鮮丼とシルバー川柳を堪能した私は、おばちゃんたちにぶつからないよう身を縮めながら通路を歩いて店を出た。

通りをぶらぶらしながら、私もまだまだだなあと思ってにんまりする。地蔵通りを訪れて元気なお年寄りたちを見かけるたび、ちょっとやる気が湧いてくるのを感じる。私はもう若くはないけれど、まだ若いと思えるからだ。

人生は悲喜こもごも。いいときもあれば悪いときもある。そして、そのどちらも、ずっとは続かない。

へこんでいる友人の前でシルバー川柳を読み上げると、たいてい笑ってくれる。笑える気力があれば大丈夫だ。もし、あなたがちょっぴりへこんでいたり、あなたの周りにへこんでいる人がいたりしたら、シルバー川柳に目を通してみると元気をもらえるかもしれない。

ブログランキングに参加しています。ポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

運命のひと

 p69前回、占いの勧誘メールのことを書いた。今はそうでもなくなったが、占いは昔から好きなので、占ってもらったこともたくさんある。

 もう数年前のことなのだが、スピリチュアルの聖地と言われるセドナに住むサイキックの占いを受けたことがある。しばらくして届いたメールには、私の未来を透視した結果が英語でつづられていた。そのなかで、恋愛に関する一文が私の気をひいた。そのときは春先だったと思うのだが、「夏までに、あなたは運命のひとに出会うでしょう」と書かれていたからだ。その人は、とても穏やかで心が広く素晴らしい人間性の持ち主である、とも書かれていた。

 だめんずではなさそうだし、なかなかいいじゃないの。長いこと待ったけど、ようやく報われるのかしらんと、高鳴る胸の高まりを抑えつつ読み進める。「ただ・・・」、とメッセージは続いていた。

 彼はヘアロスプロブレムを抱えています。

 ヘアロス? プロブレム? 直訳すれば、髪喪失の問題ということである。でも、いい人だからがっかりしないで、と恋愛の項は結ばれており、結局、私が運命のひとについて得た具体的な手がかりは、髪が薄いか、髪がないということだけなのであった。

 不思議なものである。いわゆるヘアロスな人々を、日々あちらこちらで見かけていたはずなのに、その日から、目の前にヘアロスな人が一向に現れなくなってしまった。出会う人出会う人、しっかりした毛根をお持ちなのだ。そして私はふさふさの髪の人を見るたび、ちょっぴり残念な気持ちになるのだった。

 「カツラってこともあるかもよ」と冗談めかす友人に、バカにするんじゃないよ、そんなことはこちとら想定しているさ、と腕まくりして返してみるが、「最近は、植毛技術もかなり高度らしいからねえ」と言われてしまえば、私になす術はない。植え込んだ時点でヘアロスのプロブレムは解決しているわけで、それは運命のひとではないという理屈をこねてみたりして。どこにでもあると思っているのに、いざ必要になって探すと見つからないATMマシーンのように、ヘアロスプロブレムを抱えている人に出会えぬまま、夏はやってこようとしていた。

 そんなある日、私は地下鉄に揺られていた。どこかの駅で停まったとき、乗り込んできた乗客が私の正面の席に座った。落としていた視線を何気なく上げると、その人の頭には髪がなかった。ハッとしてグーである。も、もしかして……!と思ったのはほんの一瞬で、ピッチピチな白いTシャツをまとったマッチョでスキンヘッドの彼のとなりには、細身でフェミニンな、色白の青年がぺったりと寄り添っているのだった。

 そっちかい!と心の中で私は叫び、表情を変えることなく脱力した。かくして、その年の夏はやってきた。そして、いつの間にか過ぎ去っていったのだった。

 結局のところ占いは、当たるもハゲ……もとい、当たるも八卦当たらぬも八卦ということなのだ。

 037826どうしてこんな話を思い出したかといえば、先日友人と飲んでいたとき、「チャンスの神様には前髪しかないんだよ」と教えられ、チャンスの神様もヘアロスプロブレムを抱えているのかと思ったからである。

 私たちは、仕事や恋愛について、お金や人間関係について、飲みながら語りあっていた。なにごとにも悪いことばかりが続くことはなく、運命を大きく変えるようなチャンスはやってくるはずだという話の流れになったときだったような気がする。そこで友人が言ったのだ。チャンスの神様には後ろ髪がないから、タイミングを逃して手遅れになる前に、その前髪をしっかりつかまなければいけない。

 私の想像力が乏しいのか、チャンスの神様をイメージしてみたら、ハゲ散らかした貧相なじいさんが、白髪まじりの長い前髪をなびかせ、薄い着物の裾をはだけて疾走する画が浮かんだ。いかにも毛根が弱そうなのに、前髪をつかんでしまっていいのだろうかと心配になった。

 でも、なんたって神様なんだから、実のところタフに違いない。私は頭に浮かんだイメージを振り払い、チャンスの神様の到来はどうやったら分かるのかと訊ねた。「直感よ。だから直感を逃しちゃだめなの」と友人は言い、でもね、と続けた。直感はドンドンとドアを叩いて注意をひくように明確にやってくるものじゃない。とてもさりげなく、ふっとやってくるものだから、わずかなサインを逃さないことが大切なのだそうだ。

「直感はチラリズムってわけね」と、酔った私は訳のわからない返しをしてビールを飲みながら、目には見えないにしても、私の運命を変える相手は、結局ヘアロスなんだわ、と思ったのだった。

 そんなわけで、私は直感を逃すまいと耳をそばだてるようにして、目に見えない運命のひとがやってくるのと、春がやってくるのを心待ちにしている。

2つのブログランキングに参加しています。ポチポチっと押して応援していただけたらうれしいです。
 読んでいただき、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へ