12月2014

メダカのいる生活

 IMG_1070夏の終わりに、ネットで“半だるま出目だか”というのに一目惚れして衝動買いしたら、翌日、空気でパンパンになったビニールに入った2匹の半だるま出目ダカが、さらに発砲スチロールの箱に入れられて届いた。今やこういう生き物も通販で買えるんだと驚いた。要はメダカなのだけれど、半分、体が丸いダルマメダカで、かつ、目が出ている出目金ならぬ出目だかだ。あまりにもかわいかったのでベランダで飼っているメダカとは一緒にせず、手頃な水槽を買い、汚れをきれいにしてくれるというミナミヌマエビ2匹とまりもと室内で飼うことにした。

 このペアが運良くオスとメスだったようで、時折イラっとするよどに仲がよく、夏の間は毎日卵を産んだ。ただ、悲しいかな、卵は放っておくと食べられてしまう。そこで一度だけ、卵を採取して小さな容器に移し孵化にトライしてみた。数日後、卵に2つの目ができたと思ったら、さらに数日後には、孵化して仔魚が泳いでいた。結局、見落としてしまうほどに小さな小さなメダカの赤ん坊が4匹生まれた。

 小さいうちに親と同じ水槽に入れると、これまた食べられたりしてしまうというので、100均で売られている瓶に入れて育てている。同じ頃に生まれたはずなのに、その大きさは大、中、小、極小と見事に分かれている。えさをやるときに観察すると、大きいのが真っ先に飛びついて他のメダカを蹴散らす勢いだ。他のメダカは大きいのに気を遣っているようにさえ見える。なるほど、こんな小さな世界でも力関係があるんだなあ、と驚くと同時に、ちびたちに同情心もわいて、世知辛いなあと思わずにはいられない。どこにでも、ジャイアンみたいなヤツはいるのだ。

 あるとき、4匹のなかでも一番小さいのを死なせかけてしまったことがある。今飼っている瓶に移し替えたときのことだ。孵化させた小さな容器からビニール袋に移し、水を入れた瓶に浮かべて、水の温度合わせをした。そのあとで、ビニールの中の水ごとメダカを瓶の中に移したのだが、3匹しかいない。おかしいと思って、ぺちゃんこになったビニール袋を見ると、間にはさまった2つの小さな目ん玉と目が合った。ヒィ〜ッと叫んで、慌ててそのメダカを救出して瓶に入れてやったが、まだ体も透明で小指の爪の先ほどもない仔魚は、泳ごうとするものの頭から沈んでいってしまう。そして、動かなくなる。しばらくして少し動いたかと思うと、また頭から沈む、というのを繰り返していた。焦ってタマラエネルギ—でヒーリングをしたけれども、家を出なければならない時間が迫っていた。もう、ダメかもしれない。家に戻ったときに水に浮かぶ1匹の赤ちゃんメダカの死骸を想像して、少し胸が痛くなった。シラス丼とかもりもり食べちゃうのに、メダカのこども1匹で胸が切なくなるなんて、不思議だなあと思いながら。

 メダカの件と関係はないと思うが、その夜は十数年ぶりに大失態をおかしてしまった。体調が悪かったわけでもないし、無茶な飲み方をしたわけではなかったはずなのに、呑むより呑まれてしまったのだ。友人からミネラルウォーターが入っていたコンビニのポリ袋を奪って活用するだけの理性は残していたけれども、道路に倒れ込みそうな私を友人がタクシーで連れ帰ってくれなかったら、私は翌朝、道ばたで目を覚ましていたことだろう。

 千鳥足で部屋にたどりついて、最悪の体調で瓶の中を覗き込むと、瀕死だったはずの極小のメダカのこどもは、何もなかったかのように他の3匹と一緒にスイスイと泳いでいた。うわあ、よかったとぐるぐる回る頭の中で思った私のほうがむしろ憂慮すべき状態だった。不注意でメダカを死なせかけたことと、いい歳をして調子に乗って飲み過ぎてしまったことを反省しつつ、その晩、私は泥のように眠り込んだ。 

025891 あれからしばらく経って、極小メダカもメダカだと認識できるほどに成長はしたが、やっぱり一番大きなちびメダカが今でも幅を利かせている。つくづくメダカはたくましい生き物なのだなあ、と思う。特別に手をかけなくてもなんてことはなく、毎日元気に泳いでいる。

 何を考えているのかはさっぱり分からないが、えさをむさぼる様子を見ると、彼らの生きる意欲は伝わってくる。時折ピュ—ンと水槽を横切るヌマエビを見ると、おお、こっちも生きてるなあ、と思う。ただ、水槽の底に鎮座するまりもだけは、何があってもびくともしない。まりもなだけに、ね。

 

この時期に読んでほしい過去記事⇒  シングル女子よ、クリスマスは巣鴨へ行け

                  サンタクロースは本当にいるの?

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生まれてくる不思議

illust991昨日、知り合いの素敵なご婦人たちと飲んでいたときのこと。ひとりの方が不思議な話をしてくれた。

2人目のお子さんの妊娠が判明するまえに、上のお嬢さんが、てけてけてけと走りよってきて、「うちにね、赤ちゃんが来るんだよ。春になったら来るんだよ」と突然言ったのだそうだ。性別を聞くと「男の子!」と言い、実際、そのとおりに春には男の子が生まれたという話だった。

時々、子どもは無垢ゆえのすごさを発揮しておとなをびっくりさせる。先のお嬢さんに、弟の名前は決まっているのか聞いてみると、「ドラえもん!」と答えたという。そういうおとなをけむにまくシュールさもよい。その姉弟は今では立派なおとなだが、とても絆が強いそうだ。お姉ちゃんに呼ばれて弟は生まれてきたのかもしれないねなんて話をしながら、私たちは楽しい時間を過ごした。

人は約束のもとに生まれてくるという話を聞いたことがある。よく、母親を選んで生まれてくる、と言うけれど、私も自分でそんな感覚を味わったことがある。それは、過去の記憶、ひいては前世の記憶にまでさかのぼるという退行催眠なるものを体験したときのことだ。

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freedesignfile.com

私は「生まれる前の私」で、高いところから下をのぞいていた。はるか下方には砂粒のような、星のようなものが幾多も散らばっていた。ヴィジョンは見えず、すべて感覚的なものなのだけれど、突然、私はその砂の中から「この人、絶対この人!」と母を選び、光となってシューッとその選んだ砂粒めがけて飛んで行くのだ。ほんの一瞬だったけれど、私は希望とやる気に満ち満ちていた。

次の瞬間、私は胎児の姿勢で丸まっていた。まるでこれから出発する宇宙船に閉じ込められているかのようだった。突然、怒濤のごとく後悔が襲ってきた。しまった、と思った。すっかり忘れていて、やる気を出してしまったけれど、「地球で生きるのって、大変だった」と私は思い出したのだ。しかし、あとの祭り。ロックオンされていてもう後戻りはできない・・・、というところで感覚は途切れた。

好奇心に駆られていろいろなものを試す割には、ヴィジョンが見えたり、感じたりというのをしにくかった私にとって、鮮明な体験だったということと、母を見つけたときの高揚感や、しまった!と我に返ったときの感覚がとてもリアルだったので、よく覚えている。

なんでやる気を出しちゃったのかな〜、後悔先に立たずとはこのことだよと思いながら40まできちゃった、ハハハ、と笑っちゃう一方で、私に中学時代のある記憶がよみがえる。

私の記憶が正しければ、それは庄司陽子の漫画『生徒諸君!』の中のワンシーンだったと思う。主人公のナッキーが言った。赤ちゃんは手を握りしめて生まれてくる。その中には幸せが入っているが、手を開いた瞬間に逃げてしまう。人は、その幸せをもう一度つかむために生きるのだ。

中坊だった私は「そうなんだ!」と膝を打っちゃうくらいに感動して、そのことを母に、私が絶対この人だと選んだ母に話して聞かせた。すると母は言った。「でもアンタ、生まれてきた時、手を開いてたよ」。

そう、私はグーではなく、思いっきり手をパーにして生まれてきたらしい。

私の幸せはいずこに?

 

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