11月2014

コミュニケーションの極意

父から電話がかかってきた。もしもし、と出た瞬間、「あのさあ、英語のリスペクトってどういう意味?」と質問が飛んできた。ああ、またかと思う。

ときどき、父からこの手の用件で電話がかかってくる。疑問がわくとすぐかけてくるので前置きはないし、今、大丈夫?とかいう気遣いもなく、ウザいことこのうえない。ただ、父の様子は何となく伝わってくる。 

030000「ねえ、マニフェストってどういう意味?」
「公約のことだよ」
 選挙の時期だしねえ。ニュースでも見てたんだろうな。

「レイアウトって何?」
「配置のことだよ」
 パソコンいじってるのね。

「ルンバってどういう意味?」
「ルンバ!? タンゴみたいなダンスの一種っていうか…」
意外に説明が難しいな。掃除機のCMをみたのか?いや、氷川きよしの歌の話かも知れぬ。

ちなみに、リスペクトの意味を聞かれたのは2度目だ。「尊敬するって意味だよ。前にも教えたじゃん」と面倒そうに答えると、父が「あん?」と聞き返してくる。近ごろ、父は耳が遠くなった。空耳アワー状態でトンチンカンな会話が繰り広げられることも少なくない。この間などは、喫茶店でウェイトレスさんに「さとうとミルクはこちらです」と言われて、「いやあ、さとうとしおさんって人は知りませんねえ」と答えて恥ずかしい思いをしたらしい。 

「だから、リスペクトは、尊敬するって意味だってば!」と私は少し声をあげる。
「えっ? あんだって!?」
 志村けんかよ。

 ならば。
「うやまうってことだよ」と言葉を変えてみる。
「えっ?よく聞こえないんだよ」
 ダメだこりゃ。私はいかりや長介の心境である。

「尊敬する、う・や・ま・うっていう意味」と声を張り上げて繰り返すこと三度目くらいで、父はやっと聞き取れたようだった。「ああ、そういう意味かあ。最近よく聞くから、どういう意味かと思ってさ。なるほどね、はいはい、どうも」と電話は切れた。

確かに、リスペクトって、最近若い子がよく使うからなあ、と苦笑する。父は溢れかえる横文字にまったくついていけていない。どうも英語に興味だけはあるようなのだが習得するセンスはないらしい。だいぶ前になるが、父が唐突に「向こうの人は、ショッピングって言葉は使わないんだね」と言ってきた。和製英語は数あれど、ショッピング= shoppingである。なぜそんなことを言いだしたのか不思議に思いつつ「いや、普通に使うけど?」と言うと、「だって、CDでは、ショッペン!って言ってるよ」とそれこそ不思議そうに言うのを聞いてコケそうになった。“go shopping”が、父にはゴー、ショッペンと全く別モノに聞こえたらしい。悲しいかな、英会話CDレッスンの効果は父にはまったくないようだった。

038881そんな父に、やられた、と思ったことがある。私が高校生の頃、父の知人の家にホームステイしていたオーストラリアからの留学生に会いに連れて行ってもらったことがあった。私が英語に興味を持っていたから、ネイティブと話せるいい機会だと思ったようだ。私は教科書に出てきた単語を頭からしぼりだし、会話を試みた。片言の英語ながら出だしは上々だったが、途中で行き詰まってしまった。状況は忘れたが「ハエ」を説明したくて「フライ」と言ってみるも、発音が悪いらしく、相手は首をかしげたままなのだ。どうしよう、通じない・・・と思って困っていると、それを見ていた父が「どうした?」と聞いてきた。「ハエって言いたいけど通じない」と答えると、「ばか、お前、コミュニケーションはハートなんだよ」と父は言って、その子に向かって、プーンと言いながらジェスチャーでハエが飛ぶ様子を真似てみせた。すると、その子は“Oh!”と目を輝かせ、瞬時に理解したのだった。それは、私にとっては悔しくもあり、ハッとさせられる出来事でもあった。 

父が放ったあのときの言葉は、いつも私の頭の片隅にある。英語に限らず、日本語でも、コミュニケーションは難しいなあと思うことがある。特に、人に何かを伝えるというのは。でも、人とのやりとりで頭でっかちに考えすぎてしまったり、言葉に頼りすぎて行き詰まりそうになったりすると、ふとあのことが思い出されて、我にかえるのだ。そんなわけで、英会話は「ゴーショッペン」レベルだし、ときに果てしなくウザいけれども、そんな父を実はちょっとリスペクトしていたりする。

 

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イエティと黒ひつじ

イエティ

ボクはこう見えて、ひつじではない。

ボクをひつじだというなんて、ゾウを飲み込んだウワバミを帽子だというのと同じことだ。見かけにだまされて、思いこんじゃあいけないと思う。

ひつじじゃないなら、何なんだとよく聞かれるけど、イエティだってこたえると、「どう見てもひつじでしょ」って、たいていの人が笑う。まったく失礼な話だ。ボクはイエティなんだ。ボクをつくったおばさんがそう言うんだから。

reunion今日、ボクは初めて仲間に会った。とてもうれしかった。でも、彼は黒ひつじとよばれている。じぶんでもそう思っているみたいだ。そうすると、彼はひつじなんだろうか。 それとも本当はイエティなのに、それを知らないだけなんだろうか。ボクはちょっと混乱している・・・。イエティとひつじを区別するものって何なんだろう?

来年はひつじ年らしい。12年にいちど、ひつじが注目されるときだ。ということは、黒ひつじくんは脚光を浴びるわけだ・・・。ここはもう、ボクもひつじってことでいいんじゃないか。イエティが脚光を浴びることなんてありゃしないんだから。いや、ダメだ。ボクはイエティだ、イエティのはずなんだ。でも、やっぱり・・・。よくわからなくなってきた・・・。

——ある日のイエティの日記より。

伊豆高原にフェアトレードの商品を扱っている「ロロシトア」というお店がある。カフェも併設されていて、訪れるたびに時間を経つのを忘れて楽しんでしまうとても素敵なお店だ。このイエティは、レジの前にちょこんと置かれていて、値札に「ひつじではありません」と書かれていた。なんだかそれにウケて、レジの前を通るたびに、「ねえ、これ、ひつじじゃないんだって」としつこく一緒に行った友だちに見せていたら、「そんなに気になるんだったら買いなよ」と笑われた。実用的じゃないしなあ、と買うつもりはなかったのだが、清算の際、勢いづいてコンビニでレジ脇のスイーツを買ってしまうみたいに、結局このイエティも加えてしまったのだった。

イエティはネパールの元気なおばさんが2つ作ってきたのだそうだ。しかも、ひつじではない、イエティなのだと言い張ったらしい。おばさんのやる気は買いたいが、どうも売れそうには思えなくて、1つだけ引き取って日本へ連れてきたのだとお店の方が教えてくれた。誰も買ってくれなくて、ずっとここにいるものだと思っていたのに、引き取ってくれる人がいてうれしいととても喜ばれて、私もうれしい気持ちになった。 

それ以来、このイエティは私の部屋の片隅にちょこんと置かれている。

ある日のこと。Facebookに知人が黒いイエティをアップしていて、たくさんの「いいね!」が押されていて大人気だった。でも、イエティではなく、彼は黒ひつじということになっていた。 とてもあっさり。あれ?

何をもってイエティはイエティで、黒ひつじは黒ひつじなんだろう?

先日、ふたりは念願の対面を果たしたのだけれども、やはりうりふたつ。

いやあ、本当は黒ひつじに見せかけて黒イエティなんじゃないの?と私は思っているけど、初めての仲間と、迫り来るひつじ年を前にして、少しばかりアイデンティティが揺らいでいる我が家のイエティなのである。

ロロシトア http://www15.ocn.ne.jp/~lolo/ 

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孤独のグルメでひとり打ち上げ

孤独のグルメ——。それは、誰にも邪魔されず、気を使わずものを食べるという孤高の行為だ。そして、この行為こそが現代人に平等に与えられた、最高の「癒し」といえるのである。

―—『孤独のグルメ』より(原作:久住昌之・作画:谷口ジロー)

 仕事が終わって、煩雑な一週間をなんとか乗り切ったなあと息をついたら、誰との約束もなくひとりだったけれど、おいしいものが食べたくなった。何が食べたいかと考えたら、大好きなレバ刺しがいいなと思った。そういえば、池袋に「木々家」(はやしや)という焼きとん屋があって、内蔵系の刺身が充実していると聞いたのを思い出して、行ってみることにした。本店にいったら満席で、ここはおとなしく帰ろうかなと一瞬考えたけれども、食べたいと思ったらおさまりがつかず、2号店へと足を向ける。幸い席は空いていてすんなり入れたが、2度、「おひとりさまですか?」と確認された。ええ、そうです、ひとりです。 

まずはビール、そして目当てのレバ刺しとひとり分の焼きとん盛り合わせを注文する。ここの焼きとんは、通常の倍ぐらいのある大ぶりらしい。新鮮さがうりなので、レバーなどはレアだ。

自分に「おつかれ」と言いながら飲んだビールが空きっ腹にしみる。新鮮なレバ刺しは評判通り大ぶりでうまかった。生食が好きで、ホルモンでも肉でも食べられるものは何でも生で食べたい私。この日は日曜だったこともあって、通常は要予約のミノ刺があるとのこと。アップルハイボールとともに注文してみる。ミノ刺しはコリコリして食感がとてもよい。かなり好きな味だ。続いて刺身への食欲に駆られてコブクロ刺しも注文。すでにしてある味付けもなかなかだ。願い通り、刺しを食べられて満足。この間バスツアーで千葉に行った時に生落花生を買い損ねたのだが、ゆでピーナツまで食べられてさらに満足、ということで、いつものことながら食べ過ぎた感はいなめないが、私はひとり打ち上げを楽しみ、孤独のグルメを堪能した。

よくひとり行動をするので、ひとりではカフェが精一杯という女性に感心されることがあるが、私にとってはごく普通のことだったりする。「おひとりさま」という言葉が出てきたとき、オシャレな言い方をするなあと思ったものだ。かといって、自分を「おひとりさま」と思ってはいない。おひとりさまというのは、あえてひとりで何かの行動をすることをさすわけで、大げさにいえば「孤高の美しさ」をアピールしている感じがして、ちょっとこじゃれた感じがするのだ。一方、最近使われるひとりぼっちの略である「ぼっち」。こちらはいちまつの寂しさを漂わせる。なんだか気づいたら自分ひとり、みたいな。また、自分のことを「おひとりさま」とはあまり言わない気がするが、自分で自分のことを「ぼっち」と言う傾向があることを考えると、ちょっとばかり自虐的なニュアンスがある。ぼっちの対義語は「リア充」らしいが、「今、ぼっち飯中」なんてSNSで発信したりしている人はそんな自分をアピールしているわけで、結局は「リア充」だったりするんじゃないかと思うけれど。孤独のグルメの「孤独」が、孤独感をともなわないのと同じように。

まあ、おひとりさまにせよ、ぼっちにせよ、誰かと一緒にいることや過ごすことが前提にあるんだなあと思う。あえてひとりを選ぶ「おひとりさま」と、気づいたらひとりの「ぼっち」。どちらかというと私はぼっち寄りな気がするが、記憶をたどると、子どもの頃からデフォルトはひとりなんである。 

けれども、小学生の頃、なかなかクラスになじめなくて、遠足で誰とお弁当を食べたらいいんだろうという状況に陥ったときは、それこそいたたまれない気持ちになった。「誰かと一緒に過ごすこと」を当たり前と思った瞬間に寂しさというのは襲ってくるものらしい。とくに、食事という行為については際立つ。よく、食事は人とするもので、ひとりご飯は考えられないという外国の人の話を聞くが、そういう国に住んでいる場合、友だちがいない人はどうしたらいいんだろうと思う。強制自炊かしら?孤独感がいっそう強まりそうだ。孤独のグルメは楽しみたいが、孤独は楽しめない。よく、「孤独を楽しむ」なんてフレーズを聞くが、楽しめた時点で、孤独ではないんじゃないかと思うんである。

きっと、ひとりで食べることが当たり前だと、おひとりさまもぼっちも何もないのだ。食堂で孤独のグルメを楽しむおじさんたちは、自分を「俺、おひとりさまだぜ」とか、「わいはぼっちや」とか思っていないだろう。ただ食を楽しむ。おいしいものや食べ方を知っていたりしてすごいなと思うことがある。私もデフォルトは限りなくおっさんに近いものがあるが、そこはオトメ(いや、異論はあろうがここはあえて使わせていただく。)である。ときおり、いたたまれず、自分のなかにぴゅうっと冷たい風が吹くことがある。いわんや、この季節においてをや、である。 

だいたいホルモン系、生肉が大好き、という人が周りにいない。もつ鍋のうまい季節だというのに。ただでさえ数少ない友だちを思い浮かべてみても、メインをホルモンでGOGO!という人が思い当たらず、ホルモンを食べたい時にはちょっぴり寂しさが募る。

そんなわけで、ホルモン好きがいたら、ぜひご一報ください。

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