4月2014

タマラエネルギー

エネルギ—ときいて、何を思い浮かべるだろう?

地球資源のことを思うだろうか? 学生時代に苦手だった物理のことを想像するだろうか? 

私がエネルギ—と聞いてイメージするのが、両端のコイルのようなもののあいだに、稲妻のように電気が走っている図。 

一方で、ひとに対して、エネルギッシュという表現をすることがある。この場合、元気だとか、活力にあふれているさまを指す。

そういう意味では、物質だけでなく、ひともエネルギ—をもつ存在なんだろうと思う。そして、私がイメージする図のように、ひととひとのエネルギ—は呼応するんじゃないかしらと思っている。

エネルギ—私はタマラというエネルギ—をもっている。タマラは、ひとをポジティブな方向へ向かうよう働きかけるエネルギーで、アクティベーション※を受ければ誰でももつことができる。実感しないと理解しがたいかもしれないが、不思議なことに、必要な情報を得たり、人や物ごとの流れとタイミングが合ったりといったことが起こるようになる。よく、ポジティブに物事を考えたり、イメージングしたりすることで物事が好転すると言われるが、それを後押ししてくれるような感じといったらいいだろうか。

タマラのエネルギ—をもつと、自分や人にヒーリングをすることもできるようになる。離れている相手に遠隔ヒーリングというのもできる。 

といっても、しばらくの間はピンとこなかったというのが正直なところだ。エネルギ—は自然に流れるから、疑わずに、ただ送ることを意図すればいいと言われるのだけど、手をあてたところで、何も感じないと言われることもあるし、なんていうか、怪しいひとだと思われやしないかと心配したりもしていた。

けれども、手をあてているだけで、相手がこっくりこっくり眠り始めてしまったり、何にも感じないと言った人から、「あのあと、いつもできなかったヨガのポーズができるようになった」と連絡をもらったり、痛みが軽くなったと言われたりして、ヒーリングできているのかもという実感が次第に募ってきた。動物や子どもなどは面白いもので、目に見えて元気になったりする。

手をあてているこちらはどうかというと、相手によってさまざまだ。相手は「熱い」と言っているのに、氷のような冷たさを感じることもある。時には、直感的に相手についての情報を受け取ることもある。 

MH900446096タマラのワークショップに参加していたとき、ある末期がん患者の男性にエネルギ—を送ってほしいという要請があり、みんなで遠隔でタマラのエネルギ—を送った。少し持ち直しましたと、家族の方から連絡があり、一同がほっと胸をなでおろした。

後日、ふと、そのひとのことを思い出して、遠隔でエネルギ—を送ったときのことだ。突然、手のひらに電気が走ったような刺激があった。ビリビリとした強い痛みに思わず肩に力が入り、腕をすくめた。その痛みはしばらく続いた。

その男性のエネルギ—が私の送ったエネルギ—と呼応したのじゃないかと思っている。私の手のひらに走った鋭い刺激は、がんと闘っていたそのひとが感じていた痛みだったかもしれないし、そのひとの思いだったかもしれない。それとも全然違う何かだったかもしれないし、本当のところはわからない。でもそこにはエネルギ—が確かにあった。送るたびに、ビリビリとした反応を手のひらに受けた。タマラのエネルギ—があることを改めて思い知った。

間もなく、そのひとはこの世を去った。そのひとの仕事柄、そのことはニュースにもなったので、テレビに流れる映像からそのひとの人となりを偲ぶことはできた。まだまだ若かった。壮絶な闘病を強いられ、志半ばで寿命尽きたことは、どれだけ無念だっただろうかと思う。それでも、彼は人生を生き切ったと、そのひとをよく知るひとから聞いた。

あの手のひらに受けた感覚に、私はひとの“生”というものを意識せずにはいられなかった。いや、ありのままの“生”というもの以上に、もっと能動的な“生きる”という思いであり、力だったのかもしれない。人生を生き切る。それは生半可にできることではないだろうから。

あの出来事によって、私は自分の中の何かが変わるのを感じた。それが何か、というのを言葉にするのはまだ難しい。でも、それが私を前に向かせる何かだということは確信している。むろん、そのひとは私の存在など知らなかったし、何かを伝えようと思ったわけでもないだろう。けれども、私はとても大切なことを教わった。そのことに感謝している。

タマラアソシエーションhttp://tamara.cc

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夢の告白

泣いている夢を見て、目が覚めた。

指定席の切符を買い、電車のようなものに乗り込んだのだが、出発まで少し時間があった。待つのが嫌いな私は、荷物を車内に残したまま外へ出て歩き出した。しばらくして、なぜ出て来ちゃったんだろう、と思うと同時にはっとして戻ってみると、その電車のような乗り物はバスのように走って、ちょうど岡の向こうへ姿を消すところだった。あわてて追いかけたけれど、到底、追いつくことはできなかった。そこで、近くにいた地元の人らしいおじさんたちに状況を説明してみたものの助けを得られず、がっくりした私は地面に両手をついて号泣した。そこで、目が覚めた。

なんとも心地よくない夢だ。抑圧でもされているんだろうか、私。乗り遅れるなんて、嫌な感じ。しかも、荷物までもっていかれて。夢って、思い通りにならないのがもどかしい。どうしてあんなことをしてしまったのだろうと思う夢を見ることがある。

昔、俳優の高橋克典が夢にでてきた。よくある、ファンでもない芸能人が夢に出てくるパターンのやつ。そしてなんと夢の中で、私は高橋克典に「つきあってください」と告白された。

MH900044988なんの願望の表れだよって感じだけど。

そこで私は言った。

「考えさせて」

夢のなかとはいえ、バカ、私のバカッ!

夢のなかの私も、どうしてすぐにイエスと言わなかったのかと後悔し、ちゃんと彼の思いを受けとめようと心に決め、次の日、高橋克典に会いにいったのだった。

そして、「もちろんイエスよ!」と言おうと口を開きかけた瞬間、高橋克典は言った。

「きのうの話はなかったことに」

ぎゃふん、と実際に人が言うのを聞いたことがないが、心のなかで、自分の声がそのセリフを言うのを聞いた。まったくもって後悔先に立たず、とはこのことである。そこで目が覚めた。

この話を同僚にしたら、「それ、ネタですよね」と爆笑されたが、本当の話である。そして、こんなネタ、いらないんだよ、と思う。だって、夢のなかでくらい、いい思いをしたいじゃない。

今晩は、いい夢をみれますように。

ラム・カートンとランデヴーとかね。

…おいおい、ランデヴーって(笑)

 

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おじさん。

友だちが、「家で彼が待ってるから帰るね〜」と言って早々に切り上げて帰っていった。 待ってる人がいるっていいねえ、と思いながら手を振る私。

そして帰宅したら、私をおじさんが待っていた。

写真 4

あ、こっちでも。

写真 3

そして、ここでも。

写真

こんなところでも。 写真 1

けっこう、人口密度の高い私のおうち。

一時、オヤジキラーと言われていたことがある。私の食いっぷりのよさを気に入ってくれた飲み屋の大将とか、職場のひとたちが出前を頼む中華料理店のおじちゃんとか、たまたま隣で飲んでいたおじさんに気に入られるということがよくあった。注文してもいないのに、「そばを打ったから喰いな」と出前してくれたり、「なんかあったら、おじちゃんに言いなよ。力になってやるから」とバイト先で助けてもらったり、おじさんにはよくしてもらうことが多かった。同年代の男子にはまったくもってウケない私の不器用さとか地味さみたいのが、そのおじちゃんたちの人情をかきたてるみたいだった。

学生の頃、同級生の女子2人と住み込みで配膳のバイトをしたことがある。厨房を仕切っていたのは、おでこのテカリが半端ないオッサンだった。小学生のとき、禿げ頭の先生が「おでこのひろい人は頭がいいんだ」と言い出して、(この先生の場合は、果たしてどこまでがおでこで、どこからが頭なんだろう?) と首をかしげたことを思い出すほどに、オッサンはハゲ散らかし、テカっていた。そのうえ、下心いっぱいなのがミエミエだった。おじさんといえども、この手のオッサンには私はまったくウケないのだった。オッサンは私たちをよく飲みに誘った。というのも、私の同級生2人を気に入っていたからだ。彼氏が途切れたことのない華やかな雰囲気のA子と、おっとりした不思議ちゃんのB子。タイプは違えど、ふたりともスラリとしたなかなかの美人だった。

断りきれず飲み会に3人で参加したところ、このオッサンが場を仕切りだした。とかく上から目線で断定的にものを言う。そういうところがいけすかなかった。そのうち、話題の矛先は私たちに向けられた。

「A子ちゃんは、どっちかっていうと恋人にしたいタイプだな。遊び相手にしたいっていうかね、エヘヘ」 (はぁ、タイプ診断ですか。っていうか、言い方がサイテー。)

「B子ちゃんは、結婚相手にしたいタイプだな、やっぱり」 (はいはい、恋人タイプに結婚相手タイプ。よくあるやつね。)

じゃあ、残る私は友だちタイプかなんかだろうと思ったら、オッサンはこっちを向くや否や、間髪入れずに笑ゥせぇるすまん・喪黒福造ばりに私を指差して言った。

「まんが家で大成しそうなタイプ!」

ど〜ん!

(はぁっ? 何だ、その脈絡のないカテゴリー分けは。っていうか、まんが描かねぇし。)と心の中では思いっきり悪態をついたけれども、「ははっ」と口元だけの笑みを浮かべ、私はその場をやり過ごしたのだった。

しかし、不惑を目前にした今、家で待っているのが小さいおじさんたちだけの境遇をみると、確かに私は遊びたいタイプでも、結婚相手にしたいタイプというのでもないらしい。とすると…残るは、まんが家 か。あのオッサンが言ったことは、まんざら的外れでもなかったりして。まんが家を目指していたら、今頃は世に出ていたかもしれない。作品がアニメ化とかされていたかもしれないっ。

ただ、何より大事なことが欠けている。私には泣けるくらいに絵心がない。ドラえもんが描けるようになったのは中3だったし、人間の絵を描けば首から手が出る。くぅっ、致命的だ。

もしも、まんがが描けたなら。

往年の名曲「もしもピアノが弾けたなら」の替え歌で「もしもまんがが描けたなら」唄います。 がんばって、B賞狙います。

♪ もしも まんがが描けたなら〜    思いのすべてを絵に描いて 君に伝えることだろう                          (中略)    だけど〜 僕には絵が描けない 君に伝える腕もない

  あああ〜ああ〜・・・

おセンチな夜だな〜と思ったら、もうすぐ満月なのだった。 (※ 満月と私との関係については、こちらを⇒「満月の憂うつ」 )

オフィスにもおじさん。

オフィスにもおじさん。

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