3月2014

彼の気持ちを教えてください

IMG_1964新大久保を歩いていたら、亜土ちゃんこと水森亜土によるものらしき絵を見つけた。透明なガラスに描かれているところが、亜土ちゃんぽくてよい。

子どもの頃、ボーイッシュな服をまとったコケティッシュな雰囲気の亜土ちゃんが、両手で透明なアクリル板に器用に絵を描くのをテレビで見ていた記憶がある。当時、すでに子ども心にもおねえさんと呼ぶにはちょっと・・・と思うようなお年頃に見えたから、少し前に亜土ちゃんブームがやってきて今も健在なのを知ったとき、ひょっとして魔法使いなんじゃ・・・と思ったほどだ。

だいぶ前になるけれども、美容院で目にした雑誌で亜土ちゃんが読者のお悩み相談をやっていた。

20代を対象としたファッション誌だったからか、相談の内容は「恋愛」に関することで、確か彼からメールの返信が遅いとか、彼の仕事が忙しくて会う回数が減っている、というよくあるパターンのやつだったように思う。そして、亜土ちゃんへの相談は、「彼の気持ちを教えてほしい」というものだった。

ふつうはこういう相談がくると、恋愛エキスパートの肩書きを持つ人たちが「男っていうのは〜」とか、「彼はきっと○○と思ってるはず」なんて確信めいた感じで答えちゃっているのが大半なのだが、亜土ちゃんは違った。彼女は腹を立てていた。今で言う、激おこぷんぷん丸な感じが、文面からも伝わってきた。そして、亜土ちゃんは「あなたの彼氏に会ったこともないのに、私に彼の気持ちがわかるわけがない。そんなの自分で聞きなさいよ」と一蹴したのだった。

ごもっとも。目からウロコが落ちて、膝を打っちゃうくらい納得した。そりゃあ、そうだ。誰に聞いたところで、彼の気持ちは彼にしかわからない。そんなシンプルなことなのに、ついつい相談者の彼女と同じことをしてしまう。このメール、どういう意味だと思う? 連絡がないんだけど、どういうつもりなのかしら?って人に聞いてみたりして、でも答えは出ずに、ぐるぐると不安のスパイラルに入る。まるで、自分のしっぽを追いかけている犬みたいに。

今ふと、自分のしっぽを見つめてみて思う。

相手の気持ちを知ったところで、それは相手の気持ちであって、私にはどうすることもできない。いちばんたいせつなのは自分の気持ちだ。そして、それは亜土ちゃんに聞いたところでわかるはずもない。

どうしたいんだ、私?

私のなかのおっさんは、とりあえずビールといい、私のなかのこどもは、プリンが食べたいという。そして、私のなかのおとめは、そんなことしたら太っちゃうじゃん!と叫ぶ。

まるでカオス。

結果として、酒をひっかけ、酔った勢いで帰り道にコンビニでスイーツを買い、それをたいらげてしまったあと、ちょっとした罪悪感にかられつつ、とりあえず寝る。そうすれば、明日はやってくるから。

それがアラフォーの私のある一日。

亜土ちゃん、教えて。こんな私でいいかしら!?

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桜咲く

kero08桜の開花宣言が出された。数日後には、いっせいに桜が咲くのだろう。

先日、いつものように地元の友だちと飲みにでかけた。偶然知り合ってから数年、家が近いこともあり、同い年の彼女とはよく誘いあって飲みに行く。電車の時間も気にしなくていいし、すっぴんでも気兼ねなく飲みに行けるので、私にとってはありがたい貴重な友人である。

帰り道、彼女が「ねえ、見て」と言って、道ばたの桜の木の前でたちどまった。まだ樹齢が若い細身の桜の木は、すでに満開だった。「ああ、今年もやっちゃったね」と私たちはうなずきあう。

昨年の春も今年の春のように気温の上下が激しくて、だいぶ春には遠いのに、とても暖かい日があった。そして、その数日後にはまた冬に戻ったように寒くなるのだった。

そんなとき、かなり早い段階でこの桜は満開になった。ほかでも、若い桜の木がフライング気味に花を咲かせているのを見かけた。そして、いざ本格的な春が来て大方の桜の木々が満開になったとき、すでにその若い木々の桜はあとかたもなく散ってしまっているのだった。

きっと樹齢が古い木は春を知っているのだろう。三寒四温というのが体に染み付いているのだ。だから、少しばかり暖かくなったところで動じない。いわば経験値が違うのだろうな、と思った。

去年の春、この桜の木を見ながらそんなことを話していたのを思い出しての、今年もやっちゃったね、というセリフだった。

「ちょっとしたぬくもりに、舞い上がっちゃったのね」 「若いね」

ふふふ、と私たちは笑い、家路を急ぐ。

明日が早いという理由でいつもより早めに切り上げた私たちは、少しオトナになったのかもしれない。というか、もはや自制しないと、翌朝自分をのろうはめになることが身にしみてわかっているからなのだけど。

桜並木にさしかかって木々を見上げると、少しも咲いていない。いつ咲くべきかを知っていて、その時をじっと待っているかのようだった。さすがだ。

でも、咲きたいときに咲けばいい。これから春は何度もやってくるのだから。

私たちは、遠ざかる満開の桜の若木を、実はちょっとまぶしく、いとおしく感じているのだった。

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テレビ台を捨てる女

いつになく片付けモードが続いていて、いろんなものを処分したい衝動にかられている今日この頃。

まずはガタがきていたベッド。通販で安物を適当に購入してしまったのを後悔していた。それがベッドに伝わったのかわからないが、収納の引き出しが壊れてバランスが崩れ、買い替える必要に迫られることになった。

そうすると、今度はテレビ台が気になって、こちらも処分することに決めた。ガタがきているとはいえテレビを置くだけならその役割は果たせていたのだけれど、何より飽きてしまったのだった。

前にも、急にテレビ台に飽きてリサイクルの店に売ってしまったことがある。計画性を持って処分したわけではなかったから、しばらくテレビは床に置いたままで過ごしていた。

わからんその頃、ちょっといいなあと思っている男の人と食事をする機会があった。ところがいっこうに話が盛り上がらない。いたたまれなくなって、どうしようかなあと困っていたところ、どんな流れだったか忘れたが、テレビ台を処分したからテレビが床に置いたままになっていることを話した。すると、相手がびっくりしたように目を見開いて言った。

「テレビ台を捨てた!? 次に買う予定もないのに?」

そして、テレビ台は必要なものなのに、この先それなしでどうやって生活していくのかと質問してきた。テレビ台がそんなに必要なものかどうかなんて考えたことがなかったので、「まあ、様子をみて考えます」とテキトーに答えておいた。

そんなへらへらしている私を見て、なんだか珍しいものでも見つけたかのように、「テレビ台を捨てるなんて信じられない」と、その人は笑ってビールを飲んだ。

別の話題を振ってみたのだけれど、それではやっぱり盛り上がらなかった。一方で、どこにツボがあるのかわからずに戸惑っている私などおかまいなしに、「テレビ台、捨てちゃうんだ。面白いなあ」と彼は時々つぶやいて、くすりと思い出し笑いをするのだった。

食いつくとこ、そこかいっ!と心でツッコミつつ、私には何が面白いのだかさっぱりわからなかった。

結局、その人とは連絡を取りあうこともなくなってしまったのだけど、彼の中に私の記憶が残っているとしたら、「テレビ台を捨てる女」としてインプットされているのではないかと思う。まったくもって不本意ではあるけれど。

さて、テレビは再び床に置かれたままだが、テレビ台を取り除いてしまうと部屋も気分もすっきりした。晴れ晴れとした気持ちになって得意げにそのことを話したら、友人に「また?」と呆れた顔をされた。

「前にもテレビ台を捨てたよね」と言う。

よくそんな前のこと覚えてるね、と悔し紛れに返すと、ふつう、テレビ台ってそんなに捨てないから、とさらに返された。

友人からも「テレビ台を捨てる女」と思われていたという衝撃。

どうしていつも捨てるのかと聞かれ、そんなに多くのテレビ台を捨てたつもりはないと思いつつも「なんか飽きちゃうの。突然、イヤになっちゃうのよ」と答える私。

「適当なので手を打つからよ」と手厳しい友人。

彼女は正しい。

でも、アタシはそんなに悪い女じゃない。

ただ、運命のテレビ台に、まだ出会っていないだけなのだ。

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